エビデンスとかEBPMに興味がある教育関係者が読んでおくとよさそうな文献

みなさん、こんにちは。うちの大学院はPhD Candidateになるために、二度コンプという年度末試験を乗り越えなければなりません。明後日、1年目のコンプが控えているのですが、その科目の中に教育の政治学が含まれています。この科目の中には、Research Useというトピックがあるので、試験勉強がてら、教育政策形成においてエビデンスはいつ誰によってどのように活用されるのかまとめてみようと思います。

一つ目のテキストは、Using Evidence: How Research Can Inform Public Servicesです。詳しい話はテキストの方を読んでもらうとして、一文で内容を要約すると、政策形成におけるリサーチの活用は、重複もあるし、流動的であるし、真っすぐ進むものでもなく、かつその活用方法も多岐に渡り、それを予測することも難しい、という感じです。これだと、リサーチの活用について何も分からないに等しい状態なので、もう少し深堀りしてみましょう。

リサーチの活用方法は大きく二つに分けられます。一つは直接的な活用です。こちらは一般的にイメージされるEBPMで、政策形成の過程で直接こういうエビデンスがあると影響を与えるものです。もう一つは間接的な活用で、政策関係者の知識や理解、態度などを醸成するものです。なんだそれという感じがするかもしれませんが、例えば人的資本論分野の研究に理解がある政策関係者がいるのと、いないのとでは政策形成過程に大きな違いが出てきます。前者のケースだと、教育は投資だという考えがあるので、希少なリソースの配分に対して効果・効率に基づいて政策形成がされがちですが、後者のケースだと、ニーズベースで教育政策が形成されやすい、といった感じだと思います。さらに、教育分野ではアクションリサーチに代表されるように、リサーチのプロセスそのものが重要なケースがあることも見過ごしてはならないでしょう。

さらに、リサーチの活用は文脈に依存することも重要です。ある文脈ではエビデンスの誤用だとされても、別の文脈では正しい活用となる場合(その逆も然りですが)があります。これは外的妥当性と内的妥当性にも関係する話で、特に比較教育学に強く当てはまる話なので、NGOブログの「幼児教育無償化から考えるーアメリカの研究結果は日本にとって妥当なのか?」でも言及しました。つまり、研究結果の誤用と活用は正反対に位置するというよりも同じスペクトラムの上にあると考える方が妥当で、エビデンスが示すことに固執する事と文脈に合わせて調整を加える事の間でバランスをとる必要がある事を示唆しています。

政策関係者は様々な形でエビデンスに接するのですが、それは受動的・能動的の2種類に区別することができます。政策関係者は論文や報告書を読む、研修を受ける、政策ブローカーと接触する、メディアから情報を得る、といった形式でエビデンスに能動的に接触することがあります。また同様に、エビデンスが反映されたプロトコールやガイドラインに接して、知識や態度をアップデートすることでもエビデンスの影響を受動的に受けます。

肝心のどのようなエビデンスが活用されやすいのかは4つの要因に左右されます。第一の要因は、エビデンスの性質です。質と信頼性が高く(ここで難しいのは、研究者の世界では論文は掲載されたジャーナルの格(Impact Factor)や引用回数、追試の結果によって、質が高いとか信頼性が高いと判断されますが、政策分野ではこれらだけでは質や信頼性が規定され切らない点です)、議論されている政策との関連性が高く、かつタイムリーに出てきた研究は政策論争でより活用されやすいという特徴をもちます。

第二の要因は、研究者と政策関係者の特徴です。Twitterを見ていても、積極的に自分の研究結果を発信している研究者がいる一方で(ミシガン大の教授で、学会の会長も務めているダイナスキ―教授は良い例だと思います)、良い研究はしているんだけど、自分からは積極的に売り込まない教授もいます(私の指導教官ですね)。前者と後者を比べると、諸条件を一定とた時に、やはり前者の研究の方が政策形成過程への影響力が大きくなります。

政策関係者側についても、例えば政策関係者に反知性主義的な人がいれば確実にEBPMを抑制する要因になりますし、研究結果を解釈できる(≒論文が読める)人がいればそれはEBPMを促進する要因になります。裏を返すと、政策関係者側に院卒が少なく学歴が低い状況は、論文を読める人が少ないことを意味するので、EBPMが進む余地は殆どなくなってしまいます。これは今の日本に当てはまっている状況だと思いますが。

第三の要因は、研究者と政策関係者の関係です。政策ブローカーと関係の深い研究者が生み出したエビデンスはより政策議論の中に浸透しやすいですし、政策関係者とのネットワークが太くて強い研究者(御用学者?)が生み出したエビデンスも同様でしょう。

最後の要因は、Weissの4つのIに代表される文脈です。4つのIとは、Interests、Ideology、Information、Institutionsで、これがエビデンスの活用に好ましい状況ではEBPMが進みますし、逆もまた然りです。

次のペーパーはTseng and Nutley (2014)です。このペーパーは先ほどのテキストの要約版みたいなものですが、政策関係者はエビデンスの活用について3つの用法を持っているとしています。それは、他者を説得し自分の主張を正当化する用法、自分の学習のための用法、予算の分配を決める用法、の三つです。

上の3つの用法を想定した場合、エビデンスの活用を進めるために4つの事ができます。一つ目は、ネットワークと信頼関係の構築です。論争を呼ぶ政策分野なのにお互いの信頼関係が構築できていないと、そもそも相手の言うことに聞く耳を持てないのですが、それはエビデンスについても同様です(顔を突き合わせて議論した時には出てこないような罵詈雑言がネット上で起きやすいのは正にこれですね)。二つ目は、キャパシティービルディングです。これはもちろん政策関係者がエビデンスを活用できるようにトレーニングすることを指しますが、研究者側が質の高いエビデンスを生み出せる・それをタイムリーに広められる・ネットワークを構築できる、といったキャパシティも指します。三つ目は、エビデンスが活用されやすい文脈作りです。今は亡くなられたHans Rosling氏や、ヘックマン教授・クルーグマン教授・ジェフリーサックス教授の活動なんかはこれに該当すると思います。もう少し広い所で言うと、今の日本で感じられる反知性主義的な雰囲気を諫めるのも研究者ができることではないかなと思います。最後は、研究者と政策関係者の関係作りです。日本を見ていると、ものの見事に政策関係者に絡めとられる研究者を見かけるので、研究者と政策関係者の間で建設的な関係が築かれる必要があるのかなと思いますが。

しかし、このエビデンスの活用は偶然の要素が強いのもまた事実です。これを描写したのがDaly et al. (2014)です。このペーパーが分析した事例は、教育委員会的なものの職員が政策ブローカーとなって、各学校の校長先生に対して、エビデンスの活用を働きかけていくというものでした。しかし、政策ブローカーとなった職員が期待されている役割を果たさないだけでなく、エビデンスの活用をするためのフィードバックが担当職員と校長の間で起こるのではなく、別の職員と校長の間で起こったり、校長間で起こったりと、全く予期せぬ結果となりました。特筆すべきは、所謂困難校の校長ほど孤立して誰からもフィードバックを受け取れていなかった、という点でしょうか。

また、エビデンスの活用で怖いのが、利益相反や機密性の問題です。利益相反の問題は、最近医療分野の研究者の方々がTwitterなどで、禁煙や分煙の問題で、あの研究はタバコ会社から資金を受け取っている研究だから危ういと発言しているので、世間的にも認識が広がっていると思います。特に近年、公的な研究資金が低下するとともに、研究の民営化も進んでいるため、この問題が顕著になってきています。

NGOブログの方で教育の民営化の問題点を色々と指摘していますが(ビルゲイツやザッカーバーグは救世主なのか、それとも破壊者なのか?-教育政策における新たな利益団体の話障害児をクラスメイトに持つと学びが阻害されるのか?-障害児教育の教育経済学現在の国際的な潮流の中で、女子教育をもう一度考え直す、など)、この教育の民営化に伴う教育研究の民営化の問題点を、チャータースクールを題材に描いたテキストが、Spin Cycle: How Research Gets Used in Policy Debates--The Case of Charter Schoolsです。


まとめると、政策形成におけるエビデンスの活用を進めるためには、人材の育成や質の高い研究の蓄積など長期的にできる"かも"しれないこともあるわけですが(とは言え、関連分野の大学院も出ていない人をキャリア官僚として採用するのを辞めることは、効果が短期で見込めるのでさっさとやって欲しいですが)、情報発信やネットワーキングなど短期で確実に効果が見込めることがあるわけです。なので、なぜ教育政策に研究結果が活かされないんだと憤っているタイプの研究者の皆様におかれましては、それ相応の努力をされることをお勧めします(Don't sit back and relax after publishing a quality paper!)。教育政策で博士課程にいるともう少し深堀りして、アジェンダセッティングや問題のフレーミングなどを学んで、どのタイミングで誰にどのような働きかけをすべきなのか、またメディアをどう活用するかも学びますが、それを書きだすと半端なく長くなるので、詳しくはEducation Change and the Political Processという本を読んでみてください。


うちの大学院のコンプ第一段階は、4時間×2の記述式で、一つの解答で6-10程度の論文が引用されることを想定しているらしいのですが、エビデンスの活用で4時間もかかる問題は作るのが難しいんじゃないかなと考えていて、このトピックは軽くさらった程度なので、可笑しな日本語があったら丁寧に訳す時間も無いのでそこはご愛敬で、この話題に興味がある人はぜひ紹介した本や論文を読んでみてください。個人的には、インセンティブ・アカウンタビリティ・チョイスか、集権化vs分権化、教育の経済的側面vs民主主義的側面辺りからの出題だろうなと山をはっています、当たると良いのですが。。。

サルタック・シクシャは、ネパールの不利な環境にある子供達にエビデンスに基づいた良質な教育を届けるために活動していて、現在は学校閉鎖中の子供達の学びを止めないよう支援を行っています。100円のサポートで1冊の本を子供達に届ける事ができます。どうぞよろしくお願いします。