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#2 「出会い」  僕の言語化note☘️

こんばんは、しょーたです!今回は第2回目の投稿ということで、自分がお付き合いしている病について書こうかなと思います、、!

「あなたの病気はパニック障害です。」ちょうど11ヶ月前のことでした。
11月14日の出来事は今後一生忘れることはない、ある意味記念日です。
京都北部の活性化で起業していた自分は、出張帰りにいつもの如く特急列車の中でくつろいだり、寝ていたりしていました。

「次は篠山口です」というアナウンスを聞いた時、突然心臓がバクバクして呼吸が苦しくなりました。やばい、しんどい、これ倒れるかも…
篠山口で特急を降りた自分は、大阪まで各駅停車で帰ろうと思い時間も時間だったので乗り込み、出発しました。
「え、ここから三田まで無人駅ばっかじゃん、、どうしよう。。」
みるみる心臓が取れそうなくらいバクバクして、頭は真っ白。フラフラするし呼吸ができない。降りたいけど、無人駅だから終わる、、

そのまま30分死ぬ気で耐え、三田駅で力尽き救急搬送。帰りは両親の運転で下道で4時間かけて帰宅。正直おおごとが起こってるのに、週末のサッカー観戦には行けるだろうと思っていました。
しかし、翌日からは地獄の日々。まず布団から起き上がるのが精一杯、階段で動くことで心臓がバクバクするから動けない。電車やバスにも乗れない。

「俺、生きる価値ないわ。楽になる方法ないかな?。」と考えたあの時期はどん底でした。何をする気にもならない。引きこもりで、FPSゲームの「Apex」だけやってたのでエペだけは上達していく毎日でした。
何かをはじめようと思って、YouTuberを目指したり、ゲーム実況をしたりしたけど何もできなかった。そんなことを自分が本当にしたいことではなかった。何か生きがいになるものを暗闇で探している、そんな感じでした。
あの頃を振り返ると自分本位自己中で散々でした。

ある日、なんかこんな人生送っても意味ないからバイトを探そうと思ってオンラインでできるバイトを探した時に見つけたのが、某通信制高校の「総合型探求授業のサポーター」でした。こんな僕でも受け入れてくれるのか不安でしたが、実際入ってみるとそれぞれ「夢や実現したい未来」を持った同じサポーター仲間や生徒と出会いました。それは過去の「心の死んだの自分」を生き返らせてくれた出会いと言っても過言ではありません。

改めて感謝です。一緒に働いている同僚のみんな、生徒さんありがとう☺️


パニック障害になって大学も辞めました。できることも少なくなりました。でも決めたんです。「病気との付き合い方を上手く考えた生活をする」と。
大学は通信制大学に変更したり、バイトはオンラインで続けたり、少しずつではありますが両親や友人に一緒に電車に乗ってもらってリハビリしたりと今は前向きにパニック障害とお付き合いをさせて頂いています(笑)

電車に誰かに乗って貰えば各駅停車で移動できるようになりました。トラウマだったJRに乗れるようになりました。お外を散歩できるようになりました。外出や外食ができるようになりました。1人でタクシーに乗れるようになりました。1人でスーパーに行けるようになりました。一人暮らしを再開することができるようになりました。

最初は何もできないって思ってた。治るまで10年以上かかると思ってた。でも「この状況を変えるのは自分しかいない。生きることや治すことを諦めてどうする。」って思った時に強くなろうって思えました。
今は11ヶ月目で成功体験を積み重ねている途中だしまだまだだけど、ここまで1年間も経たない時間で頑張った自分は褒めてあげたいし、もっといろんな景色を元気な頃のように見れるように日々頑張ろうと思っています!

最後に、ここまで支えてくださった周りの皆様(両親、友人、医療関係者など)本当にありがとうございます。これからもお世話になるし、たくさん迷惑を書けると思いますがよろしくお願いします。

ps:こんな自分にもができました。もう一回這い上がる情熱が見つかったんです!次回はそのお話を書こうかなと思ってます☺️ 次回もお楽しみに🍀


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