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“自分の歌”をうたう − トオイダイスケ ロングインタビュー 【前編】

トオイくんの活動が騒がしい。
今年7月に発売された、女性シンガーソングライター「けもの」のセカンドアルバム『めたもるシティ』(TABOO/ヴィレッジレコーズ)では、全編にわたり編曲・ベース演奏を手がけ、8月に刊行された現代俳句のアンソロジー『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』(佐藤文香編著・左右社)には、若手を代表する俳人のひとりしてその俳句作品が収録されている。
両作品ではじめて彼の名前を目にして、気になった人も少なくないはずだ。
そんな方への「トオイダイスケ入門」とすべく、旧知の友人・酒井 匠がロングインタビューを敢行。
音楽のこと、俳句のこと、今までとこれからを、たっぷりと聞いた。


−−今日はよろしくお願いします。『めたもるシティ』、『天の川銀河発電所』でトオイダイスケを初めて知ったみなさんに向けては、「ベーシスト、ピアニスト、作・編曲家、俳人の、トオイダイスケさんです」という紹介でいいのかな。

うーん、そうですね……。自己紹介するなら、「音楽と俳句を作る人間」だよね。全部の肩書きを名乗ることももちろんあるし、「それらのどのフォーマットでもやる」ということを目指している、としか言えないかも。

−−最初に出会った時は、ジャズベーシスト、だったよね。

音楽を仕事にし始めた頃は、なんとかやっていけることが「ベースを弾く」ということ以外に無い、という気持ちになってたから。ピアノを弾くことに苦手意識が強くあったし。
今思うとやり始めた時期が、一番プレイヤー志向が強かったかもね。どうやってプロミュージシャンになるのかを知らなくって、今思うと真剣に考えてもなかったから、大学をドロップアウトしてどうしようかなという時に、ジャズのジャムセッションに出入りして、ちょっとずつライブのサポートを頼んでもらえるようになって。いろんな人と知り合って、いろんな人と一緒に演奏することに夢中になっていたんだよね。

−−いわゆる「サイドマン」としてのジャズミュージシャンだよね。そこから、ジャズの仕事で、ピアノもやるようになって。

うん。人前でライブをするようになって2年目くらいから、徐々にピアノでも演奏していた。ライブの後、酔っ払ってみんなで遊んでるときに不意に弾いたら、もっとやればいいって言ってもらえたんだよね。

例えば歌の人と一緒にやるときに、ピアノの方が、アレンジをするような気持ちで演奏できて楽しいというのがあって。ぼくはベースを弾いてるときも、ハーモニーだったり、全体のムードやカラーというのを、支配したいというか、一番下の位置から左右したいという欲求があるんだけど、それがピアノだと、もっとより普通に無理をせずできるからね。
もともと、全体を構成したり、作りたいという部分のモチベーションが大きかったんだと思う。そのことを、ベーシストとしていろんな人とやる中で再確認したのはあるかな。

−−あらためて音楽遍歴を聞くと、中学生からジャズを習ってたんだよね。小さい頃から家でずっとジャズがかかっていた?

いや。父は若い頃ジャズをよく聴いていたらしいんだけど、ぼくが物心ついた時点ではそういう様子はなかったんだよね。父の友人の喫茶店とかに連れてかれてて、そこではジャズがかかってた記憶があるけど。ジャズを意識して聞くようになったのは、習うようになってから。
小さい頃は山下達郎さんとか、荒井由美さん、今井美樹さんとか、親が好きで聴いていたものを車でいっしょに聴いていて。オリジナル・ラブとかSing Like Talkingにも、最初はそうやって出会ったような気がするな。

−−じゃあ、シティポップ的というか、そのあたりのサウンドが、自分のルーツみたいなところもあるんだ。

うん。キャラメル・ママ~ティン・パン・アレー的サウンドや、他にも70~90年代の日本のアレンジャー−−例えば佐藤準さんや小林武史さんのサウンドにノスタルジーも感じてるんだろうね。
シティポップもジャズも、一面だけを言えば、“メジャーセブンスの音楽”じゃない。ぼくにとってジャズの、初期から感じてる魅力は、「メジャーセブンス音楽だ」という部分だから、ユーミンや山下達郎への郷愁とジャズの快楽は近いというか、混ざってるんだと思う。

カルチャーとしての音楽というのに興味を持ち出したのは、小学4年生のときに旅行にいった帰りに、「車でラジオを聴くのが楽しい」というのをはじめて思ったんだよ。「赤坂泰彦のミリオンナイツ」だったんだけど。それでTOKYO FMの他の番組も聞き出して。
小学5年生になると、周りにCDを買う子や芸能情報に興味がある子が出てくるじゃない。ぼくもそういうのをチェックしたい欲が出て、Mr.Childrenやスピッツを聴くようになったり。
中学1年の時点でジャズを習い始めることになるんだけど、でもジャズを聴くものとしてハマるまではそれから2年かかるんだよ。中学1、2年のときは、当時のJポップを中心に、ラジオ、FMラジオでかかるものをいっぱい聞いてたんだよね。

−−ジャズはなぜ習うことに?

小学生のときピアノを習って、卒業と同時にクラシックの過程がひと段落したら、父親から「クラシックじゃなくていいからピアノを続けろ」と言われて、別の先生のところで連れてかれて。
その先生が、バンドでやるようなキーボード、ポップスと、あとジャズを教えます、という人だった。その時点でバンドをやる気もつもりも予定も無かったし、「一人でやるものならジャズピアノなのかな」と思って。

ジャズを習うようになってから、父親が持ってたレコードや、新たにジャズピアノのCDを買って聞かせてくれるようになって、特にビル・エヴァンスに興味を持って、深入りするようになる。
同時にJ-WAVEを聴くようになって、洋楽志向、ブラック・ミュージックやジャズに近いもの、小室哲哉以外のプロデューサーもの−−その頃、藤原ヒロシさんや大沢伸一さんが番組を持ってて、細野(晴臣)さんも番組をはじめて、メインストリームのポップスとちょっと違うものを作ってるプロデューサーという存在をJ-WAVEで知って。
「ジャズ」、「Jポップ以外の音楽」、「プロデューサー」という存在を、ジャズを習い始めた頃に同時に知ることになったてきたんだよね。

−−なるほど。ベースはいつ頃から?

ビル・エヴァンスにハマるとさ、スコット・ラファロやマーク・ジョンソンを聴くことになるじゃない。

−−(笑) ベースを手に取る動機としては……。

そうなんだよ、おかしいんだよ。でもビル・エヴァンスでなく、そっちをやってみたくなったの。
コードのこととかがちょっとわかったつもりになってきた時に、ベースというのは、ソロイストに対して対旋律で絡んだり、コードを揺るがすことができる楽器だと思ったんだよ。ルートを変えたり、リズムを変えたり。

−−その頃同時に聴いていたオリジナル・ラブや、当事の大沢伸一関連のような、いわゆるグルーヴィーなベースには興味を持たなかったの?

それらに関しては、ベースそのものへの興味ではなかったな。サウンド全体への興味だった。自分がやってるのはジャズピアノでありジャズベースで、オリジナル・ラブとかMONDO GROSSOとか、J-WAVEで聴いてかっこいいなと思ってた音楽は、当時は自分がやるものとは特に思ってなかったんだよね。

ベースを触りだしたのは高1とかだけど、バンドはやらなかった。高校の友達の、ビジュアル系のコピーバンドの手伝いをしてたけど、それはキーボードで。ベースは、家でCDをかけながら遊んでただけで、人とやるようになったのは大学入ってからだね。
大学に入って音楽サークルに入って、そのときはベースをいっぱい弾くぞという気持ちがあった。でもかなり初期の段階で、当時サークルにいた歌の人に、デュオでピアノで一緒にやろうって言われたから、やっぱりベースとピアノを並行してやる運命だったんだね。

−−ジャズベーシストはウッドベースを要求されることも少なくないけど、ずっとエレクトリック・ベースでやってきているよね。

たまたまぼくがジャズで知り合ったり一緒にやってくれる人たちが、「ウッドにしなよ」ってあんまり言わなかったっていうのもあるし、ゲイリー・バートン・グループだとか、エレベや、ジャズのギターの音楽っていうのに馴染んでたから、そういう感じのことができたらいいなって思ってた。今もそうだけど。だから、エレベでやるっていうのが自然だったんだよね。
エレベだと、ギターを弾いてるみたいな気持ちにも、ピアノを弾いてるみたいな気持ちにもなる。当初はリズム・セクションでいるという気持ちもあまり無かったし。

−−けもの『めたもるシティ』は、「ジャズミュージシャンの演奏するシティポップ」で、「メジャーセブンス音楽」だし、90年代末のJ-WAVE的なところがあるとも言える。
今挙がった色々なキーワードとわりとドンピシャな作品だと思うけど、そこにはアレンジャー=トオイダイスケの嗜好が反映されているのかな。

今回のアルバムを作るって話が出た時点で、シティポップとかAOR的なサウンドにしようというのは最初から提示されてて。ぼくがそういう音楽を好きだというのは、青羊(あめ)さん(※けものは、シンガーソングライター青羊の一人ユニット)も知ってたから、それで相談しながら作っていくことになって。自然と、その嗜好を反映させてもらえるように作らせてもらえた、という感じはする。

−−けものの前作『LE KEMONO INTOXIQUE』には、ベーシストとして演奏に参加している感じだったけど、『めたもるシティ』はトオイくんがより深く全体に関与しているよね。

このアルバムについては、「共同制作者」っていう言い方が一番正確かなという気がしてて。それは、ぼくがアレンジ以上にいろんなことをしてますよっていう意味ではなく。アレンジでも青羊さんのアイディアの部分が多々あるし。
青羊さんは基本、楽曲はもちろん、パッケージとしての見せ方の部分でも、自分でアイディアをいろいろ思いつく人だから、そういう話やアイディアをまず聞いて、ではサウンド面においてはどうそれを具体化するかっていうのを提案してくっていう、「第一聞き手」みたいな立場だったと思ってる。サウンド面での諸葛亮孔明っていうかさ。
家がわりと近所だから、制作の相談に乗ることも多くって、それでいろいろ、具体的にアレンジだったり、練るところにも関わっていったって感じかな。

−−メンバーは最初から決まっていた?

いや、いよいよ録音日程を固めよう、という段階で決まった。石若(駿)くんは前作にも参加していて、塚本(功)さんはね、「けもの」を気に入ってくれてる福岡のお店の人が、青羊さんに塚本さんを紹介したらしいんだよ。その縁で今回参加してもらおうということになった。

−−なかなか珍しい組み合わせだけど、すごくハマってる良いメンバーだよね。トオイくんの具体的な作業としては、どんな感じだったの? わりと細かく譜面を書いて、やることを指定したり?

曲によって差はあるんだけど、ぼくがコードをつけたものもあるし、青羊さんがある程度コードをつけているものもあった。青羊さんがわりと譜面を作ったりもするんだよ。
このアルバムのためにいちから作られた曲については、デモを作る、というのが、ぼくが最初のやることだったのね。
アレンジをデモで詰めたんで、そこでぼくがコードを付け替えたりというのもあったし、デモを作って青羊さんに聴いてもらうというのが第1弾。そこからやりとりをして、仕上げていった感じかな。

ぼくがはっきり決めたり、フレーズを書いたという側面が強いのは、シンセの部分なんだよね。デモの時点で、どう入れるかというのを厳密に、音色の感じやパンの振り方、エフェクトまで決めてて、フレーズも収録されてるのとほとんど同じもので。
ぼくが構想を練って、青羊さんが一部足したり変えたりして、フレーズやコンセプトははっきり決めてから、本番テイクの録音をするために機材のパラメーターを実際にいじったり、サウンドを具体的に作ってもらう作業を、坪口(昌恭)さんにお願いしたのね。坪口さんが持ってる10数台のシンセをほぼ全部使わせてもらって。

あとは、今回デモを作り出す前からライブでやってた曲もいくつかあって、そのとき一緒にやってたメンバーで作り上げられていった感じが保たれた曲もある。「オレンジのライト、夜のドライブ」とか「第六感コンピューター」とかはそう。

−−「伊勢丹中心世界」では、管弦八重奏のスコアを書くというチャレンジもしているよね。

曲自体はずいぶん前からあって、アルバムのアレンジをぼくがやるということになったから、やらせてくれるなら管弦のアレンジもやってみたいと言ったら、青羊さんがいいよって言ってくれたんだよね。
GREAT3の、ジョン・マッケンタイアと一緒にやってる『When you were a beauty』ってアルバムが好きで、ジョンが弦やホーンのアレンジをしててさ、それへの憧れもあったんだよね。
インタビューで読んだ記憶があるんだけど、弦とかを入れようとなったときに、ジョン・マッケンタイアが「自分は書いたことないからやってみたい」って言ったんだって。ぼくも「やったことないからやってみたい」と言いたかったというのもある(笑)

いきなり唐突なことを言うけど、小さい頃にピアノを習ってたときにオリジナル曲を書く宿題で、ピアノ1台でやるように作った曲があったんだけど、先生が気に入ってくれて、エレクトーン4台用にアレンジしてくれたことがあってさ。今思うと、自分の曲が広がってアレンジされて、ということに、喜びだったり、そういうことをやってみたいという気持ちが、そのときに発生してた気がする。
その後、中学生の時に、老人ホームの慰問で演奏をすることになって、ハンドベルとピアニカとトライアングルと、ぼくがキーボードを弾いたりという形で、その曲をどういうふうにやるかというアレンジの初歩みたいなのをぼくが考えることになって。各パートフレーズを考えて、譜面を書いて。それって、いわゆるヘッドアレンジ(※バンド編成でよく用いられる、枠組みを決め、細部については演奏者に委ねる編曲方法)というよりは、管弦を書くのに近いじゃない。それが楽しくって、アレンジする喜びみたいなのを知ったのはあるね。

−−管弦を書くのって、ジャズも含めたポピュラー音楽肌の人間にとって、一度はトライしてみたいこと、みたいな気持ちがあるよね。

そうそう。あと、ジョニ・ミッチェルの『Court and Spark』とか好きなんだよ。ジャコ(・パストリアス)やウェイン・ショーターが入ってジャズになりだす前くらいの、けっこう木管楽器とかもいる、あれのサウンドとかもすごい好きで。

といっても「伊勢丹中心世界」は、青羊さんからチャイコフスキーの「花のワルツ」みたいなイメージだという提示があって、その譜面ももらってさ。青羊さんにイメージがあったから、自分の和声感とか、ジャズ的な和声感に寄せようというのはあまりなかった。

あとはとにかく、(レコーディングでホルンを吹いている、木村)あすか先輩含め、管弦のメンバーがものすごく実力のある方たちだったので、それで救われた。ぼくが指揮とかちゃんとできるわけじゃないし、ポップス的なグルーヴ感やテイストとして管弦がどうやるかというのを自分たちでディレクションして進めてくれたから、ぼくはスコアを書いただけで、ニュアンスを含めてあの感じに仕上げてくれたのはあの8人。本当に助けてもらってありがたく思います。

−−本作のプロデューサー菊地成孔さんとの協業はいかがでしたか。ラジオで、ほとんどスタジオに来なかったと言っていたけど(笑)

前作は、菊地さんがアレンジだったりディレクションだったりをわりと主導していたところもあったんだけど、でもその時も、プレイヤーとしてのこちらを尊重してもらいつつ、リラックスして出来たというのがあって、そのときの感じの延長かな。
録る前に、デモはずいぶん随時聴いてもらっていて、この感じでどんどんやってと言ってもらって。
録音の日に何時間かずつ見に来てくれて……あ、そうそう、「PEACH」の坪口さんのエレピのソロは、あのテイクはファーストテイクで、菊地さんが「こっちのほうが豊かだ」と言って採用した。それは大きなことだったし、あの音源がスマートすぎない、長い時間聴いていてもいつも耳に残るものになったから感銘を受けた。
基本的にはすごく任せてもらって、ぼくに関しては「自分が好きなことを好きなようにやっていくことを保証してもらえた」という安心が大きかった。だからずいぶん勝手に、許可も得ないでやったこともいっぱいあるし、菊地さんをプレイヤーとしても断りなくずいぶんこき使った(笑)し、一つもホーンアレンジをお願いせず全部自分で書いたし、今思うと失礼なことをしたな、申し訳なかったなと思ってもいます。

*写真出典: https://twitter.com/kemonoz/status/885343501994602497

−−アルバムまるごとアレンジを手がけるというのは、初めてだと思うけど、どうでしたか。

たしかに、ぼくの志向性とやってることがそのまま結実した感じだと、今話してて思った。ジャズの要素はそんなに強くないけど、シティポップ的なサウンドで、ベースを弾きたいように弾いて、且つ、アレンジ、全体を構築するという部分もあって。
やってみて、やりがいがあると思ったし、今回「けもの」でそういう立場をやらせてもらったことで、それは今後自分のやっていきたいことのひとつだなって再確認した部分はあるな。

−−なるほど。
ところで、ジャズってざっくり言うと、何人かのミュージシャンがその場の相互作用で作り上げていく音楽で、「自分でサウンド全体を支配・構築する」のとはだいぶ考え方が違うものだよね?
ここまで「音楽全体を自分で構成したい欲求がある」という話が何回か登場しているけど、その志向とジャズは、トオイくんの中でどう折り合いがついてるのかな。

そこは実はすごい悩ましいところでさ。
ジャズは好きでずっと聴いてたし、ずっとやってたしね。ジャズをやることは自分にとって自然でもある。
でも、例えば今、自分名義の録音作品を1枚作ろうと考えたときに、ジャズ的なフォーマットのものをやろうというイメージが全く無いんだよね。

−−えっ、そうなの?
でも、トオイくんは今も、ジャズのフォーマットで、自分のリーダーライブ(※自分が中心となって、メンバーを集め、選曲等をするライブ)をやっているよね。

ぼくはたぶん、本質的に、自分のフレージング、トーン、リズムで音楽をやりたいと思ってる欲求が、自分で思っていたよりも強くあって、インストで自分の音楽をやろうとすると、それを出来てる実感がないんだよ。
リーダーでライブをやるなり録音するっていうのは、ぼくにとっては「自分で音楽を作るとか構築すること」だという気持ちが強いから、「一人でやろう」と思ってる志向と根は近くなるじゃない。
で、「ジャズをやりたい、ジャズの個性的なプレイヤーの人と一緒にやろう」というのと、「一人で構築する」のは、重ならない……と言ってしまうと言い過ぎなんだけど。

例えば、自分ひとりで重ね録りしてジャズのトラックを作っても、当然面白くないわけ。ジャズとか楽器で人と一緒に演奏することというのは、「コントロールしきれないことに良さがある」のが前提で。
なんだけど、自分名義のソロ作品を作ろうとなると、ついどうしても自分が直接弾かないところまで、全部を思い浮かべちゃうんだよね。他のプレイヤーに任せておいて、出てきたものを楽しむようになりきれないところがあるのかもしれない。

ラルフ・タウナーとゲイリー・ピーコックが一緒にやっているのを聴いて、「自分はラルフ・タウナーをやって人にゲイリー・ピーコックをやってもらおう」とか、その逆とかを、発想しないんだよね。「ラルフ・タウナーとゲイリー・ピーコックが合わさってる全体」をやりたい、って思っちゃう。

−−協業に不向きなタイプ……。

いや、バンドでみんなで作り上げるとか、人の作品でいち参加者として協業するのはぜんぜん良くてさ。
ベーシストとして誰かの作品に参加させてもらうときには、そのフィールドの中で「ぼくの歌」を歌うつもりで弾いているわけで。そこで自分が“歌う”ことを肯定したもらったときのうれしさは代え難いから。

同様に自分の曲や、自分がリーダーでライブをやるときも、自分のパート以外の他の人の、身体感覚、トーン、熱が出るじゃない。
ジャズは、違う人の“歌”や、違う人の体が、混り合ったりぶつかりあったり、屹立してるという楽しさで、人とやるときにはそれを楽しみにするんだけど、自分の作品を作るというときには、メロディを違う人が弾いてるとかコードを違う人が支配していると、その人のサウンドがいくら好きで、そこで良い音楽が生まれていても、「これは自分の“歌”じゃない」という気持ちになっちゃうんだよね。ちゃんと全体が自分のカラーにならない、というか。

−−その“歌”っていうのは、「歌心」っていうか、「自分の音楽」みたいな意味だよね? 自分がボーカルをとるという意味ではなくて。

そこなんだよ(笑) やっぱり声というのは、どうしても、一番その人固有のものだと思うんだよ。楽器の声=トーンももちろんそうなんだけど、人の声はもっとはっきりそうで。
だから、自分が実際に歌ったら、他の人が楽器で参加してても、サウンド全体が自分のカラーになる気がするの。自分がボーカルをとることで、「全体が自分の“歌”だ」っていうのが保証されるような気持ちになるんだよね。

みんなそうだと思うけど、自分の書く曲は自分が歌うように最適化されているわけで、今まで自分が作って人にやってもらっていた曲も、たぶんどこか自分で歌うために作ってたんだよね。

−−それで、比喩では無く、自分で歌うことへの関心が高まっている、と。
では次は、歌と言葉、俳句の話を伺います。

後編に続く

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