見出し画像

面倒くさがる試験勉強法

本質的な思考を育む面倒くさいという感情

今回は、試験勉強法についてです。

私の試験勉強法それ自体は、そのほとんどが巷に溢れる試験勉強法と大差ないものですが、その心構えにおいては、若干特徴的なのではないかなぁと思います。

それは、できるだけ面倒くさいことはしたくない、というものです。

私は極度の面倒くさがりで、特に字を書くのが苦手でした。字を書くのってすごく面倒くさくないですか(私だけ?)。とにかく私にとって字を書くのが苦痛でたまらなかった。でも、勉強ってどうしても字を書かないといけません。何とかならないものか。

だから、私はいかにして字を書かないでいられるかということを常に探究していました。同じ内容なら、できるだけ短く書くように、余計なものを削ぐようにしていったのです。

ノートはなるべく取らない。とるにしても短く、少なく。マーカーもなるべく短く、少なく。教科書や参考書の複雑な箇所や難しい箇所はその余白に短く要約メモや理解メモを残したりもしました。

面倒くさがりという私の性格の結果として生まれた勉強法ですが、振り返ってみると、意外と理にかなった勉強法なのではないかと思います。こうすることで、本質的な内容がわかるようになるんです。その内容の最低限必要な部分を把握するようになる。要約メモや理解メモは余白に書かないといけないので、本質的な、最低限の内容しか書けない。短く書くには内容をしっかりと理解しなければなりません。だから理解するように頭を使う。さらに、結果として、短く本質的な表現をするトレーニングにもなっていました。

司法試験は時間との勝負でした。特に論文試験は、本当に短い時間で問題文を読み解き、考えて構成して、制限時間内に答案を書きあげなければなりません(しかも手書きなのです!実務ではパソコンを使うのに!)。でも、上述の勉強法をとったおかげで、問題文の必要な部分を短い時間で把握し、短い時間で考え、短く表現することができたのです。

私の答案は短く、それがコンプレックスでもあったのですが、それでも合格できたのは、短い中にも必要な内容がしっかり含まれていたからだと思います。

周りでは、基本書(法学の教科書をこう呼びます)を何回まわした(通読して勉強した)といったことが叫ばれておりましたが、私は、同じ内容を何度も読むことが本当に苦痛で耐えられませんでした。基本書をまわせない自分に不安を感じていたのです。でも、これは自分の性格だと諦めて、何度もまわさなくても、頭に残るように工夫する方向に努力のベクトルをシフトしたら、結果として合格することができたのです。

結局、試験勉強の方法に正解はなく、試験に必要な知識と技術(問題を読み解く技術、答案に表現する技術など)を、いかに(できれば効率よく)身に着けることができるかが大事なんだと思います。

結語

いかがでしたでしょうか、面倒くさがる勉強法。面倒くさがりという一見試験勉強に不利な性格も、上手く付き合って工夫することで、強みに変えることだってできるのです。

工夫ってつくづく大事だなぁと思います。

感想等があれば是非是非コメントください。

法律書よりビジネス書が好きな弁護士。弁護士業務や弁護士になるまでに培った経験をなるべく言語化して共有したいと考えております。皆様からサポート・リアクションをいただき本当に感謝しております。励みになります。