見出し画像

腐男子をたくさんあつめてみたら ?? (2) ⛱⛱

前回の3行あらすじ

「ノンケの腐男子に会いたい」という強い思いから奮闘する筆者。本屋、ゲイアプリ、匿名チャットの健闘の上、ついに腐男子会を開催。しかし、集まったのは…。

ということで、たまたま集まってくださった腐男子たちは、ゲイやバイセクシャルで、彼らはBL作品を主に現実の延長で性的に楽しんでいることが分かり、ショックを受けていたわけです。

それでは、「ゲイやバイセクシャルの腐男子と、ノンケ(ストレート)の腐女子、ノンケの腐男子に隔たりが深まるのではないか?」そんな不安があります。そこで、僕自身のBL作品の見かたを今一度考えてみたいと思います。

①擬似恋愛
僕はゲイですから、きっかけは少女漫画と同じです。恋愛への憧れからBL作品を見るということをしていました。これは、腐女子とは似て非なる部分かもしれません。

②新しさ (アバンギャルド性)
少し成長したり、たくさん見たりするとできるようになるのが、作品の比較です。性や同性愛を扱うことのタブーは、前提として感じていましたから、どこまで攻めた表現ができるのか?を楽しむようになります。知らない設定、知らない絵、知らない表現、知らない性癖、知らない世界、知的好奇心のままに漁るんです。腐女子に限らず、オタクとは本来、探究心の生き物だと思います。

③社会との関係
さらに成長したり、たくさん見たりすると、今度は見てきた作品を年代ごとに並べることができるようになります。オタクは想像力の生き物です。社会背景がわかることもあります。これが、フィクションの作品と現実社会の関係の難しさです。

「BLはファンタジーで、現実のゲイとは別物だし、お互いに失礼だから、早くBLとゲイを切り離した社会が実現したら世界が平和なのに。」と言う人をよく見かけます。しかし、これは言葉足らずです。別物ではあるかもしれないけれど、切り離す必要もなければ、そもそも切り離す方法なんて存在しません。豊かな現実があるからこそ、フィクションは面白く、逆に、豊かなフィクションが現実社会を豊かにすることもあります。
BL作品がどのように同性愛を表現し、その価値観と立場を広げてきたのかは、現実の同性愛者がどのように権利の獲得を目指してきたかと変わらない闘争なのです。



すこし難しい話になってしまいましたが、ゲイやバイセクシャルがBL作品をどう見るかは、ノンケの腐男子や腐女子がBLに何を見てるのかと同じくらい大切になります。それがそのまま今の社会になりますから。

さて、匿名チャットを続けていると、一度だけ、ノンケの腐男子に会えたことがありました。すっごい数が少ないんじゃないかと思いますよね。気になる話を聞くと、元々、百合作品を楽しむ人で百合の延長として楽しむそうです。「えっちなBLも見れますか?」と聞いたら、流石にそれは難しいと話してくれました。つまり、BLの精神性や関係性を楽しんでいるんです。腐女子にもえっちなBLを好まない人たちはいるので、それと近いものだと思います。

BLと百合には、似た部分もたくさんありますが、ただ性別を変えたものではありません。主にメジャーな作品の傾向が違って、ざっくり百合のほうが、キャラクターの精神的なつながりを肉体的なつながりよりも重視していることや、癒し系のストーリーによる特徴があります。精神的なつながりを重視した癒し系の百合っぽいBLもあるので、一概には言えませんが、大まかにはそんな状況です。しかし、せっかくなら王道BLを楽しんでほしいと思うのが、オタクの性ではありませんか?

もちろん、性的な表現も肉体的なつながりも表現される王道BLですが、決してエロだけでは収まらないのを腐女子は知っています。男女ならよくある話だとしても、男同士でやるから面白いというのもあります。男同士じゃなくても普通に面白いのに、男同士だからさらに面白いということもあります。なぜ男同士なのか?男とはなんなのか?考えてみると、なかなか面白いです。

ということで、王道BLが分かる!そんな粋なノンケ腐男子の登場を期待しておきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?