見出し画像

おいしいチョコレートの歴史(2)

先月、「おいしいチョコレートの歴史」という記事を書きましたが、今回はその続き。カカオ豆の紀元前からの不思議な魅力とヨーロッパに伝わった経緯についてです。

紀元前から大切にされるカカオとは

紀元前2000年頃のマヤ文明から飲み物の原料として使われてきたカカオ豆。その後、道具や火を使ったり、発酵や乾燥をしてこれまで長年重宝されてきたことはわかっていますが、14世紀のアステカ文明になって記録が残っています。

日本チョコレート・ココア協会のHPに、14世紀のアステカにおけるカカオについてその記録につき興味深い記述がありましたので、引用させて頂きます。

(アステカ人社会にとってのカカオとは)
・カカオは神秘的な力を持つものとして大切なもの
・カカオを利用できたのは王族・貴族・上流階級などに限定
・カカオが貴重な理由:生産地が限られ、入手が困難
・カカオの利点:カカオ豆自体が堅く、腐ったり潰れたりしにくく、交易に有利(但し、輸送途中に泥棒に襲われないために戦士が護衛につきました)
アステカ人にとってカカオの利用法)
1.儀式の捧げものとして
2.薬として(疲労回復・滋養強壮や精神高揚など、薬草を混ぜて様々な病気の治療に)
3.貢納・交易品として
4.貨幣として (カカオの貨幣価値が1545年に書かれた記録に存在)
※よく太った雌の七面鳥一羽:粒の揃ったカカオ豆100粒、またはしなびたカカオ豆120粒
※雄の七面鳥:カカオ豆200粒
※野うさぎまたは森うさぎ:カカオ豆100粒
※小さなうさぎ:カカオ豆30粒
※七面鳥のたまご1つ:カカオ豆3粒
摘みたてのアボガド1つ:カカオ豆3粒
大きなトマト1つ: カカオ豆1粒
5.飲み物として(摂取できたのは王族、貴族、上流階級、貿易商人などの特権階級)


カカオ豆をヨーロッパに持ち込んだのは誰?

アステカ文明でも重宝されてきたカカオ豆。
ヨーロッパでは、やはり硬い果実の中の不思議な種子は直ぐに受け入れられなかったようです。半信半疑でスペインに持ち帰った様子が伺えます。

カカオ豆をアメリカ大陸からヨーロッパに初めて持ち込んだのは、16世紀半ばにアステカ帝国(メキシコ高原)を征服(植民地化)したスペインの英雄エルナン・コルテスといわれています。

ただ、スペイン王室がサポートする探検家クリストファー・コロンブスが1502年に中米に向かう最後の航海時、ヨーロッパ人として初めてカカオの実を見て「マヤ人が大切にしているもの」と思ったそうだが、スペインに持ち帰ったかどうかは定かでない、と。。。

16世紀のアメリカ大陸の初期記録者の一人であるスペインのイエズス会士ホセ・デ・アコスタは、カカオについて次のように述べています。

不思議さを物語っていますね。

非常に不快な味のするかすや泡があり、体験したことがないほど気分が悪くなる。だが現地の者たちには大変尊ばれており、高貴な来訪者をもてなすのに用いられる。この国に慣れ親しんだスペイン人ならば男女を問わずこの飲み物に貪欲となる。彼らはそれを飲むことで暑さや寒さその他さまざまなものが和らぐと言い、唐辛子を大量に入れる。さらに胃腸に良くカタル予防になると肌にも貼り付ける。(Wikipediaより引用)

最後に

16世紀のヨーロッパでは、ココアの硬い果実と種子はどうやって扱えばいいのか見当もつかなかったのでしょう。

コロンブスは、航海の帰途でココア豆を何かの糞だと間違えて海に捨てたという話もあります。

カカオ豆は貨幣としても使われていたとは驚きで、しかもカカオ豆1粒と大きなトマト1つが同等だって🤣
今の時代に生きて幸せです。

古代の人の経験や知恵や言い伝えって大切なんですね。

この記事が参加している募集

スキしてみて

サポートをしていただけたら大変嬉しいです! 循環生活の潤滑油として使わせて頂きます(^^) Mail:contact@shokusaiadcom.jp