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信念、哲学は必要なのか?

先日、私が主催するビジネススクール、職人起業塾の懇親会の場で、講義の感想を聞いていたところ、1人の若者が「これまで哲学とか思想とか苦手だったけど、前向きに学んでみようと思う。」と口にされました。30代のその若者の言葉を聞いて、これまで哲学や思想に全く興味も関心も持たず、触れることなく、10年以上も建築の仕事を続けてこられたのかと少し驚いてしまいました。しかしすぐに、実は圧倒的多数の若者がそんなもので、あえて口に出してない、話す機会がないだけなのかもしれないと思い直しました。

哲学なき教育

その彼は、少し気難しそうな雰囲気はありますが、非常に細やかなところに気がつきそうな繊細さと、自分の価値観を大事にする芯の強さを持ってるような印象の若者で、しっかりと自分の考えを口にされます。決してバカでも意識が低いわけでも学がない訳でもなく、どちらかと言うと私の若かりし頃よりをずっと優秀なのだろうと簡単に推察がつきました。
要は、学生時代や就職し働き始めてからも哲学や信念を持つ必要性や意味、その価値を教えられる機会が無かったのだと思いました。学校も職場も教えるのはどのように上手くやるかのやり方ばかり、どのように在るか、との問いかけを己にして、信じるものは何か、何の為に行うのかとの価値観や目的を突き詰める教育をすることは無いのだと思いました。

本末転倒か老害か

やり方、方法論を学ぶのを末学、在り方、本質論を学ぶのを本学と言います。今の学校や事業所で若者に叩き込むのは、人としての在り方や大事にすべき価値観、思想や哲学ではない末学ばかりになっているのだとすれば、まさに本末転倒がすっかりスタンダードになってしまっていることになります。このままで大丈夫なのか?と疑問に思わずにはいられません。「信念や思想について考えたこともない触れる機会もない。」と言った彼の言葉は私にとっては大きな違和感がありましたが、現代ではそれがごく普通の感覚で、悲しいかな、信念を持て!と目を吊り上げる私は彼らの目には老害にしか映らないのかも知れません。

長すぎる超大作

少し話は変わって、、
私は最近になって、一時は追いかけるのを諦めていた長過ぎる超大作の視聴に改めて取り組んでおります。国民的人気マンガ、ワンピースがいよいよ最終章に突入したと何かで見かけて、終わりなき超長編漫画、ネバーエンディングストーリーでは無いのだと認識を改め、数年前に単行本で読んでいた続きをNetflixの動画で視聴を始めました。最近漸く、舞台がホールケーキアイランドに移ったところなので先はまだまだ長いですが、夜な夜な大航海時代の冒険を楽しんでいます。ワンピースは少年ジャンプで連載されている子供向けに描かれたマンガではありますが、人生訓になるような、また価値観について考えさせられる示唆に富んだ非常に面白く勉強になる作品だと思っています。長すぎますが、、

人の心を動かす信念

そのホールケーキアイランドを舞台にサンジが仲間から引き離され、大海賊ビックマムの娘と結婚させられるくだりで、初めて主人公ルフィと出会い、仲間として合流した際のシーンが回想として繰り返し登場します。そこでサンジがルフィに共感し仲間になろうと心を傾けときに呟いたのは「信念」との台詞でした。海上レストランを襲撃してきた、どうみても勝てそうに無い屈強な海賊に何度も倒され、その度に立ち上がって向かっていく心の折れないルフィに対して「どうしてそこまで出来るんだ?」とサンジは疑問を投げかけます。その答えが「信念」であり、それに胸を震わせたサンジはルフィの仲間になって一緒に冒険の航海に出ることになります。子供から大人まで多くの人に支持されている大人気マンガにも信念の重要性が語られてありました。

サンジの心が震える瞬間

世界を変える力

功なり名を遂げた偉人たちの全員が常人の及ばぬ強い信念を持ってそれぞれの事業に取り組まれたと言われます。信念の人として、私が真っ先に頭に浮かぶのは、インドを無血のままイギリスからの独立に導いたガンジーです。

「わたしが非暴力を誓うのは、それが唯一、来世だけでなく今世においても、人類の至高善をもたらすと分かっているからだ。わたしが暴力に反対するのは、それが良いことに見えても、一時的なものに過ぎず、その悪こそが不変だからだ」
ガンジー非暴力の哲学

1947年にイギリスから独立したインドの精神的な柱となってきたガンジーはその数カ月後、狂信的なヒンドゥー教徒に暗殺されます。しかし、その信念はアメリカ公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング牧師や南アフリカの反アパルトヘイト(人種隔離政策)闘争を率いたノーベル平和賞受賞者ネルソン・マンデラ元大統領といった指導者へと引き継がれてたと言われています。まさに信念の力で世界を変えた人と言っても過言ではありません。

塩の行進

不惑の信念

ちなみに、私は今は亡きメンターに「40歳になったら哲学(信念)を持て。」と言われていました。私は決して哲学や信念に興味がなかったわけではありませんが、今の私の歳ぐらいだったメンターから見ると、随分頼りなく見えていてそのように言ってくれたのだと思います。そう考えれば、30代の若者がこれまで信念とか哲学について深く考えたことがなかったと言うのも何も珍しい事でも何でもなくて、私自身も五十歩百歩だったのだと思います。現代の日本人の精神的な成熟がその程度のものと考えた方が良いのかもしれませんが、自分の若かりし頃を棚に上げて偉そうに上から話すのはやめようと反省することしきりです。。

オレの信念

ただ、天命を知る50代に入り、やっぱりというか、一段と強く思うのは、いくつになっても人生は自分を磨く学びの場であり、学び続ける人生を通して手に入れるべきは自分なりの哲学であり、信念ではないかと思うのです。
信念を辞書で引くと「かたく信じて疑わない心。自信の念。」と書かれています。裏返すと年を食って固定概念に縛られ、頑固者になってしまう危険性を孕んでいることを忘れずに、それでも自分が信じるこの世の真実を詳らかにして、それを判断や価値観の基準にして生きていくことは、何が本当で何がフェイクか分からない今の世界で方向性を持って進んでいくには必要だと思うのです。ちなみに、私が固く信じて疑わない、全ての思考の根底においているのは、「成果は状態に由来する」との原理原則です。原体験からまさしく真理だと認知したその概念を一生頑固に守り続けようと決めています。信念ってそんなもんだと思うのです。

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在り方を見つめ直すところから、社内、顧客、取引先、地域、社会との共有価値の創造に繋げる研修や学校の運営を行っています。
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