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約束の守り方

言わずもがな、社会は約束で成り立っています。しかし、約束は守られているか?と改めて問うと、残念ながらそうでも無い現実があり、なんなら守られないのが当たり前になってしまっている感さえ否めません。
無理が通れば道理引っ込む。当たり前の「理」は一体どこに行ってしまったのだろうか?との理想を追いたい想いと共に、約束は破られる前提で作られたのか?と諦めの感情も同時に浮かんできます。

世界平和は約束されていないのか?

現在、世界はWW3への恐怖に慄いています。ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナ、アメリカ・イギリスとイラクやレバノンと紛争、戦争が次々と勃発し、これが科学と文明が発展し成熟に向かうとされていた21世紀の姿なのか、と暗澹たる気持ちになってしまう惨状です。

世界の人々が求めているはずの平和という理想は結局、絵に描いた餅であり、国際法などあってないものと同様の有様。
誰もがもう、世界平和など実現することなどありえない。と諦めている様にさえ感じます。
これもまた、根本的な原因は約束が守られないことにあるのではないかと思っています。

約束が守られない理由は大きく3つ挙げられると考えています。逆転の発想をすればこの3つをひっくり返すことが出来れば、あらゆる課題は解決に進み、紛争はなくなり世界は理想に近づくのではないかと思うのです。

誠実さ、真摯さの一点集中

まず、なんと言っても誠実さを世界中の人が持つことですが、これがそもそも不可能だと言われる人も多いかも知れません。
経営の神様と言われるドラッカー博士は大の親日家で、日本にきて多くの学びを得たと共に、その思想を自身に多く取り入れたと言われます。

そのドラッカー博士が著書の中で、「真摯さこそが経営者の最も重要な資質である。」と言われたのはとみに通名です。関連して「世界中のどこに行っても真摯な姿を美しいとする価値観は存在する。」とも書かれています。

東洋では仏教、儒教、道教と基本的には全て性善説に立脚しています。人は良知を持って生まれてくると。
西洋、特にキリスト教圏の国々では人は生まれ持って大罪を背負っており、弱く罪深い存在であるとの性悪説が主流です。
その面ではそもそも人は約束を破る者だと認識されていると思われてるかも知れませんが、全ての民族が真摯さを美しいと思う感情を持っている以上、心の奥底では誠実で真摯な性質、資質を持っているのは疑う余地はありません。

今更、宗教の教義について論じても平行線を辿るだけですが、約束を守る誠実さ一点に集中して教育が機能すれば悲惨な争い事がなくなるのではないかと思っています。

計画と状態の破綻

次に約束を破りたくて破るのではないケースが世の中にあまりにも多いことについて考えてみます。
約束を守ろうとする気持ちを持っていたとしても、約束を守る実行力がなければ約束を履行することが出来ません。
約束を守れなかった結果、成果として渡すはずのものが手に入らないことは、日常生活の中であまりにも多く起こります。
そして、それは目標達成能力の欠如、もしくは状態を整えることが出来ない思考に根本的原因があると私は考えます。

目標を達成して成果を得るのは全て状態に由来する。
成果が出る状態なら成果は出るし、できる状態になかったら成果を手にできる訳が無い。状態管理という概念で語られる有名なP/PCバランスの法則です。
私の経験則から言うと、状態は普段からの習慣に左右され、結局それは自分との約束を守れるかどうか?にかかっています。結局は真摯さが達成可能な計画を立てる力を生み出し、約束通りの成果を挙げる力へとつながります。
自分との約束が人との約束を担保することになります。

約束が守れない構造的不具合

最後の構造的不具合とは、この社会に生きていると両立することが出来ない数多くの約束を同時にしてしまうことを指しています。
たくさんの約束を重複してしまう時点で、パラドックスに陥ってしまいます。絶対に守ることが出来ない約束を意識しないまま結んでしまうことがあまりにも多いと思うのです。

約束と言っても、人と人が顔を付き合わして示し合わすものだけではありません。暗黙の了解も実は約束の一種ですし、世間の常識といった曖昧かつ正体不明の個人的な見解さえも約束だと認識されてしまったりします。
片方が勝手に約束だと思った時点で実は約束は成立してしまうのが現実の世の中で、そんな約束をした覚えがない!と抗ってみても、相手にとっては完全にルール違反になってしまいます。しかもこれは、残念ながら権力の強い方の言い分が通ってしまいます。
法改正を知らずに牛の生レバを提供した飲食店が営業停止ななってしまうのが分かりやすい例?ですが、強い権力は勝手な約束の履行を強制できるのが人間社会の実際です。理不尽ですが、それが世界中で罷り通ってしまっています。だから、戦争が起こるのです。

諦めるのか?約束するのか?

以上が解決不可能とさえ思える、約束が守られないのがすっかり世界スタンダードになってしまった理由です。
このように改めて社会生活の基本である「約束を守る」ことについて整理をしてみると、あまりにも不条理な世界に私たちは生きているのだと思い知らされます。
そこで、約束なんか守ってもしょうがねーな、と諦めるのか?
もしくは、全ての問題や課題を解決する可能性を秘めているとされるコミュニケーションの力を使って徐々に身の回りから、約束が守れる、守られる世界を構築していくのか?
そこが人類の未来にとって大きな分かれ目になると思うのです。

当たり前のことが当たり前にできる、そんな当たり前の世界を諦めるわけにはいかないと私は思っています。
約束を守る在り方を持ち、約束を守れる能力を身につけて、世の中の不条理を一つずつ正していく。そんなことを事業を通して続けていく所存ですし、そんな真摯で誠実な仲間を募って、共に歩みたいと思うのです。

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当たり前(約束)が守られる世を一緒に作って行きませんか?
繋がって下さい。

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