目標と計画、達成と未達の真実
目標は、実力なく自信もない、未来が描けてない者が立てる願望、または足るを知らず、無限の成長と拡大を望む強欲と野望、もしくは絶対に諦められない大きな志を掲げる者の希望である。
検証と超越
10年以上の長きに渡り毎月開催している私塾「継塾」では、毎年12月のテーマを1年の振り返りと新たな年に向けての計画について考える時間を持っています。今年は「検証と超越」と銘打って計画のレイヤーを一つ上げて超えていく思考について考えてみました。
何度も何度も同じテーマを繰り返すと、前年の内容を反芻しては、さらに深く思考を巡らせ、本質を見極めようと探求します。しかも、同じメンバーと積み重ねることで、暗黙知と集合知を行ったり来たりから弁証法的なSECIモデルと呼ばれるナレッジマネジメントが形成され、螺旋的な成長を生み出します。
同じことを繰り返している様でも環境が激しく変化し続けることも相俟って新たな視点を発見する事は少なくありません。
計画未達成の事実
経済中心の社会で生きる我々にとって、(立場によって程度の差はあれ)経済的な成果を上げ続けることから完全に逃れる事はできません。それは同時に、目標を設定、計画を立案することと同義だと考えています。
経営者は期の初めに事業計画を立て、その計画を遂行するメンバーと共有します。チーム一丸となって目標を達成すると熱狂が生まれますし、次のステップに進むテンションが生まれます。とても気持ちの良いものです。
同時に、世の中には掲げた目標に届かずに未達に終わる計画が多くあることも事実。というよりも、完全に目標達成することの方が圧倒的に少ないのが現実です。
年の瀬が迫り今年の総決算をする時期になり、改めて年初に掲げた計画を見直してみると、私自身、目標達成できた事よりも未達成で来年に持ち越す目標の方が多くあります。それはやっぱり、残念な気持ちが湧き上がるのが否めまず、その事実にどう向き合うかを考えずにはいられませんが、目的を達せようとするには数多くの目標を掲げる必要があり、全体で見ると達成、未達は常にグラデーションで混在しています。
目標達成の構造
目標達成をする要件を考えてみると、そんなに難しいものではありません。どれも当たり前の事ばかり、当たり前を当たり前に行うのが何よりも難しい。とよく耳にしますが、当たり前のことができれば目標を設定し計画を立てればあらゆる事業は思い通りの結果を収めることができるのだと改めて思います。
もう少し深掘りすると、残念ながら目標設定時、もしくは計画立案時に既に目標達成の条件である当たり前のことが反映されていない可能性があります。
そもそも、達成出来ない、到達する気も無い、形ばかりの机上の空論を積み重ねていては話にならないのは自明ですが、実はこのパターンが大半を占めているのではないかと思うのです。
以下に誰もが知る目標達成の条件を列記してみます。
目標達成能力に由来する
掲げた目標に対して達成する構造自体は特に珍しいことは何もなく、当たり前のことばかり。しかし、これらを確実に高い精度で進めていくには膨大な準備と確認、そして検証と修正が必要です。
特に昨今は全く先行きが読めない程、大きな時代の変化にさらされており、外部環境の想定はたった一年でも、大きく変わってしまうのが常態化しています。計画時に立てた前提が崩れる以上、何かしらの修正を迅速に行う必要がありますが、ずっと計画のチェックと練り直しばかりしていては仕事になりません。
要するに、当たり前のことを当たり前にやるには片付けるべきタスクが多すぎて、実働との整合が取れなくなってしまいかねず、本来、綿密に詳細に組み立てなければならない計画をふんわりとした雰囲気だけ、掛け声だけの絵に描いた餅にしてしまうのです。
まとめると、目標達成を繰り返すにはそれに見合ったリソースが必要、となってしまうのですが、これをスティーブン・R・コヴィー博士はP/PCバランスで表し、目標達成能力を養うべきだと言われました。金の卵を手に入れたければ、ガチョウを育てろ、というあれです。
共感こそ組織の目標達成能力
個人的な目標を達成(P)するために目標達成能力(PC)を高めるのは習慣の力を使えばそんなに難しいことではないとコヴィー博士はその著書「7つの習慣」で書かれています。
個人的な目標はそれで達成できることが大半だと私も考えていますし、自身でも体感してきました。
しかし、問題は一人でできる範囲を超えて組織で目標を掲げた時です。
この習慣化を切り口にした原理原則が機能するには、なんのために行うのか?との目的を明確にする必要があります。
自分自身でもなかなか固まらない目的=志をメンバーがコミットメントしてブレずに行動に邁進できる高いレベルのモチベーションが固まるまで深くコミュニケーションを取るのは決して簡単なことではありません。
絶対に諦めることなく達成したい!との強い想いがなければ、理想に近づくための、また一人では叶えられない規模の高い目標を達成することは出来ませんし、この想いに共感して共有するメンバーの集合体にならなければ組織としての目標達成はあり得ません。組織での成果は関係性の質に由来すると言われる所以です。
計画は未達がフツー、それでも立てる。
シーズン初めにプロ野球チームの監督に訊くと、全員が優勝を狙います。と目標を口にします。しかし、殆どは未達に終わります。
政治家が選挙の際に公約に掲げた目標が任期内達成されることはごく稀です。
世界中の国や地域から首脳が集まって、国連で決議した2030年に持続可能な世界の実現を目指す目標は全くと言って良いほど未達に終わることがほぼ確定しています。
2022年度の全国の普通法人における赤字法人率は、64.8%と発表されており、事業計画が目標に届かないのはもはや一般化しています。
こうなると、目標は未達になるのが当たり前なのか、とさえ思ってしまいます。寧ろ、これまで事業を為すにはまず計画を立てろ。詳細で綿密な計画こそが目標達成に結びつく。との常識さえ疑ってしまいます。
しかし、目標とは目的があってこそ生まれますし、目的は理想を目指すから見出されます。
本当に必要な計画は何か、なんのためか、なぜ必要なのか、それは一体どれくらいの期間で実現するのか?
表面的な願望や野望ではなく、未来を創る希望を実現する手段として立てる計画はそんなに簡単に出来上がるものでは無いのだと思います。
未達に終わることが多かろうとも、絶対に諦められない大きな志があるから達成出来るまで何度でも計画を立て直し、遂行する。
目標と計画とは本来そんなものなのだと思うし、私は来年も多くの計画を立てまくって実践して参ります。
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社会と教育の融合から世の中を変え、日本を取り戻す活動を行ってます。