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口いっぱいの幸せ

今日のランチには、万願寺唐辛子の肉詰めを作った。(普段は、小さな会社の社員食堂で、お昼ご飯をつくる仕事をしています。)
毎日のランチは、撮影してインスタなどにアップしているので、作りながら、このメニューの名前は何かなと、ぼんやり考えていた。
元ネタは、台湾(台湾以外にもあるかもしれないけど)の角椒鑲肉とか辣椒鑲肉とか呼ばれる料理で、直訳してもそのまんま、唐辛子の肉詰めとなる。ただし、台湾のこの料理で使う唐辛子は、恐らく辛いもの(一度だけ現地で食べたんだけど、それは辛かった)で、万願寺唐辛子は辛くないので、見かけは似ていても、違うもののような気もする。
日本だと、ピーマンの肉詰めがポピュラーだから、そのアレンジともいえる。

と、そんなことを思い浮かべたところで、では、角椒鑲肉とピーマンの肉詰めは、果たしてルーツを同じくしているのか?という疑問にも満たない問が頭に浮かぶ。
角椒鑲肉はヘタ部分を切り取って、肉は中に詰め込む。
ピーマンの肉詰めは、一般的には縦半分にカットして、ピーマンを器みたいにして肉を詰める。
角椒鑲肉は、煮汁を加えて煮込む。
ピーマンの肉詰めは、焼いて仕上げるものが多いように思う。
そういえば、以前訪れたマレーシアには、ヨントーフ(鑲豆腐)という、豆腐やなすなどにひき肉を挟んで煮込む料理があったのだが、その中にも、角椒鑲肉と同じように肉を詰めた唐辛子のようなものがあったような気がする……。

人類は、何かに詰め物をした料理が好きだ。
唐辛子に限らず、穴の空いた野菜に何か詰めてみたり、わざわざ中をくり抜いて詰め込んでみたり、あるいは、小麦粉で皮を作って具材を包み込んでみたりする。
以前、餃子の世界分布について調べてみたことがあったのだけど、明らかに中国の餃子をルーツにしたとわかるものから、ぱっと見では関連性がはっきりしないものまで、「小麦を練って作った皮で具材を包んで火を通した料理」は、少なくともユーラシア大陸全土に見られるようだった。
では日本は?というと、とっさには長野県あたりのお焼きくらいしか思い浮かばず、あれ、これは特殊なのかしら、と思わなくもなかったけど、米食中心の地域だと、おにぎりや海苔巻きみたいなものがあるわけで、やはり「包んで食べる」というコンセプトは共有しているような気がした。
詰めたり包んだりすると、一体何がいいんだろう。持ち運びに便利?唐辛子の肉詰めが、持ち運ぶことを狙いとしているとはあまり思えないけど。

子供の頃。私の食の好みについて、母親が眉をひそめることがあった。
私は、丼みたいに、一口ですべての味を一気に味わえる食べ物が好き。対して母親は、素材一つ一つをシンプルに味わうものが好き。私の好むものが、母親の好まない「ごちゃごちゃしたものばかり」だと不満そうだった。
口いっぱいに、美味しさが爆発する幸福感!何故それがわからないんだろう?と私は逆に不思議だった。
中国料理を調べていると、「一口にすべての味が混ざるように」具材を小さく、均等な大きさに切り、最終的にすべて混ざった状態で供するスタイルの料理がたくさん見られる。アジア各国では、ご飯の上にどんどんおかずを乗っけて、半ば混ざった状態で料理を口に運ぶスタイルは、割と一般的だ。一口でいろんな味を一気に味わう歓びは、これもまた人類共通と言えるんじゃないだろうか。そう考えてみれば、包んで食べる料理だって、「一口で全部味わえる料理」と言える。

果たして。
人類が「包んで食べるのを好む」その理由には「一口で全部一気に味わいたい」欲が、その背景にあったりするのだろうか。
ピーマンの肉詰めや角椒鑲肉を考えた人は、一口で、口いっぱいの美味しさを味わいたくて、考えついたのだろうか。あるいは、詰めるのが好きだっただけ?

出来上がった角椒鑲肉は、万願寺唐辛子の部分も、挽肉餡の部分も、同じように柔らかく仕上がり、そこに煮汁の旨味も絡んで大層美味しかった。焼くことでピーマンが固くなったり、挽肉餡が剥がれてしまったりしがちなピーマンの肉詰めよりも、もしかしたら好みかもしれない。煮汁のお陰でご飯とも合うし、何しろ細長くて口に入れやすい分、一口で全部味わう幸せが格段に上だ。細いところに肉餡を詰めるのは少し手間だけど、これはまた作ろう。人類としての好みは、多少の手間は乗り越えてしまうのだ。

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