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いただく流れを、ととのえる〜創作型OFUSE Experimentの模索〜

先日、創作生活に移行していくよ!ということをこちらのNoteの投稿に書きました。

こういう指針で動いていくにあたり、移動の仕方や空揚げの頻度など、さまざまな点で変化が生まれるのですが、ちょっとしたことなのだけどお金の受け取り方についても変化します。(今回の投稿では、ややこしくなるのを避けるために、お金に絞って書いていきます。)

そもそも昨年の巡礼生活におけるOFUSE Experiment では、基本的に空揚げをするにしろ、お手伝いをするにしろ、「こちらからのお布施」としてやってきました。「自分が何かをしたことに対して、相手にお布施してもらう」という形ではなく、「ただ、こちらがお布施させていただく」ということを大事にしていました。とはいいつつ、こちらからのお布施をきっかけにしてお金を頂くことになった時には、受け取ります。もちろん、何も返ってこないということはよく起こることですし、何か必ず返ってこなくてはいけないと思っていません。

今回、創作生活に移行していくにあたって、創作する流れに対してお金を頂いていこうと思いました。より良く創作ライフを送っていくためには、生活の三要素: 衣・食・住を充実させることがベースになります。

はすでに作務衣があるから大丈夫。

は、頂いたり、買ったりです。買う時にはお金があった方が便利です。

は、創作拠点の一つとして熊本県の水俣市にアトリエを構えました。自分がそこにいない時には、パートナーが創作場所として使っています。この場所を借りるために、賃貸料を払っています。また、創作が中心ですが、巡礼することも続いていくので、水俣は立ち寄る場所の一つであり、全国各地に出没し、泊めていただきながら創作するということもやっていきます。

さらに、巡礼生活の時と異なり、創作に関連した出費の機会も増えそうです。

資料として本を買うことや、何か道具を買うこともあると思います。

率直に言うと、ぜひ創作活動を行っていくことを応援していただけると嬉しいです!

贈ることと受け取ることの切り離し

トライしたいのは「創作していくことをお金を受け取ることと切り離していくこと」です。私の場合は、執筆をすることは、iPhoneかiPadがあればなんとかなります。つまりは多少充電できたら、文章は書けます。ノートやペンなどを使えば、それらの諸経費はかかりますが、電気がなくともかけます。

これをやったからお金が入るとか、入らないとか、そういう感情に支配されることなく、どんどん表現していけたらいいなと思うんですよね。

昨年はお金のことを少し苦しく見ていましたが、お金自体には色がついておらず、楽しいお金の循環が起こっていけばそれでいいのだと思うようになってからは、お金が入ってくることや自分から巡っていくことに喜びを感じるようになりました。だから、お金アンチではないんですね。

つまり、創作をしたいという自分の気持ちが、お金への欲求に飲み込まれないようにしていきたいということを考えた時に、「創作していくことをお金を受け取ることと切り離していくこと」にトライしたいということを思ったのでした。

また、そのつながりをほどいていくことは、自分のペースで創作をやっていくことにもつながるとも思っています。私の場合、急き立てられるように創作をしようとすると、インスピレーションが枯渇してしまうことがあります。時には締め切りがあることや表現する場所や案件があることによって、創作を行うということが捗ることはありますが、それは時々でいいという感じです。自分でペースやリズムを調整できる状態にありたいです。

それで今後、どんどん思索を外に出してみようと思いました。最終的に本を売る必要がないので、ネタバレが起こっても全く問題がありません。先に内容がわかっていても手元に本を置いておきたいという人に受け取ってもらえたらそれでいいし、さらには内容が好きで面白いと思ってもらえるのであれば、それを他の人にお布施してもらえたらと思いました。だから、創っていく過程を存分にオープンにしていこうと思います。

とはいえ、どういうふうにオープンにした方が、それに触れる人に受け取ってもらいやすいのか?ということは引き続き、試行錯誤が必要です。創作プロセスから溢れ出してくるものを受け取ってくださる方々がいないと、贈ることもできませんから。


あー書いていてわかってきたのは、等価で交換しようとする行為はわたしにとってはあんまり気持ちよくないんですよね。それが特にすぐに交換もしくは贈り合わないといけないという時、どうしても時間の感覚が縮こまったようになってしまい、急かされます。長ーい時間軸で、「返ってきても、返ってこなくても、大丈夫」という心境で生きていくことができたら、それでいいのだと思いました。

畑で作物を育むようなもの

さて、最後に自分自身が今後試してみるお金の受け取り方について、少しばかり考えてみます。

まず、こちらからまず創作の流れを生んでいくということを考えた時に、「投げ銭」のような形で毎回お金を得ていくことを想起しました。投げ銭って、たとえば、ストリートでの音楽のパフォーマンスに対して、人がお金を入れたい時に好きなだけ入れるという経済表現ですよね。自分の場合は、少し感覚が違うかな〜と思いました。

私の場合は、調子が良くても調子が悪くても、創作を続けやすいお金が巡る環境作りを志向しているので、パフォーマンスに対する評価と対価の感覚が入ってきやすい投げ銭という行為は、少し自分の感覚とずれてしまうなぁと思いました。

まだ何と呼べばよいのかわからないけど、あくまで比喩ですが、「畑づくりみたいな創作」がしたいのだと思いました。

私は畑の3つの区画に、お布施の作物(本)、カラアゲの作物(本)、巡礼生活の作物(本)の種を蒔いています。

私の場合は、本を作って、自分でそれを自家消費することができません。そういう意味では、自分で食べることができる作物とは違います。

私がつくるのは、お布施としての作物です。作物は商品でもないんですね。作った作物は、交換を前提にした市場(いちば)に出すわけではありませんから。3種のお布施する本の流通のさせ方は、お布施によるものなので、交換ではなく、贈与です。巡らせていくのみになります。

私の中で今つくっていこうと思っているものが作品なのか?という点はまだわかりません。そもそも作品って何だっけ?気になります。私はこの本を書くことで「作家」を名乗るのか?ということも謎です。僧侶と芸術家の”あいだ”のあり方なのかもしれません。作品めいたお布施をつくるのか、お布施めいた作品をつくるのか。この点については今後とも考え続けてみようと思います。

ひとまず作ること自体を楽しんでいこうと思います。作ることは道の探求で、精神が深まっていくかどうか、ということを気にかけています。作品/お布施?を育てることでありながら、3種のお布施する本を作っていくのは、身体が楽になっていく修行です。

なんか色々と書いて長くなりましたが、

結論は

3種のお布施する本を作っていきます

ということ。

創作していくために、金銭的なサポートを含めて、ぜひ応援してください!

ということです。

無事、創作畑から3種のお布施する本が収穫できるタイミングになったら、ぜひ収穫祭でもやりましょう。

そして、作物が美味しかったら、その感覚を巡らせていってもらえたらと思います。

3種のお布施する本を通して、あなたの遊び心がくすぐられ、喜びの流れが起こっていきますように。

今後とも、応援をよろしくお願いします✨

頂いたサポートは、生活と創作(本執筆)のために、ありがたく使わせて頂きます!