食、それは、命の流れを受けること

お昼、キッチンに行き、ごはんを作った。鶏肉とキャベツを炒め、塩コショウをする。同時にそうめんを湯がいた。即席のそうめんつゆを作って、お椀に入れた。

テーブルに作った料理を並べる。目の前の料理からは、ふんわりと食欲をそそる香りが届く。手を合わせて、しばしの間、思い描く。この食べ物が目の前にやってきたこと自体が、尊いことだと、感じた。

キャベツや鶏肉を保存していたのは冷蔵庫だ。冷蔵庫を作った人がいる。

キャベツや鶏肉、そうめん、つゆの材料を、今お世話になっているお寺に持ってきてくれた方々がいる。

それらがまだ商品だった時、商品を売っている卸の方々や小売りの方々、はたまた商品生産にかかわる方々がいる。

もっとたどっていくと、鶏さんたちは贈り物として私たちに命を差し出してくれている。キャベツさんたちも同じく命を差し出してくれている。

鶏さんが足を付けていた大地。キャベツが育まれた大地。

そこに日々吹き込んでいた風、太陽の日差し。

巡り巡って、目の前で料理として現れているのは、感慨深いと思った。

食はいつだって、自分の命を育むことだし、無数の命が贈り物として届く体験だ。今日も、食べることができることに感謝したい。

いただきます。

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