金銭的価値に換算しにくいプロジェクトづくりをしながら、商品価値のない人生を歩む

お布施で生きてみるOFUSE Experiment
お寺・神社・霊山をめぐる巡礼の生活
からあげをふるまい続ける全国空揚げ巡礼

21年の7月7日に始めた3つの流れについて、振り返っています。次にやっていくのは、今後の展望をビジュアル化することと文章にしていくことなのですが、活動の流れをつくるにあたり、よく意識していることがあることに気づきました。それは「お金に換算しにくい動きをする」ということなのですが、それについて少しばかり書いてみることにします。

経済について考えるとき、数字で測ることができるかどうか?という点は結構重要です。測ることができるということは、不特定多数の人が「価値があるらしい」と思いやすくなる魔法だと思っています。集客の数、売り上げの多さなど、わかりやすい物差しは重宝されます。スタートアップの文化なども面白いですね。「〇〇億円、調達しました」となると、「おおっ!」と注目されたり、評価されたりしますし、クラウドファンディングの文化を見ていても「300万円、集まりました!」という表現は称賛されることが多いでしょう。数値換算できるということは価値を持ちます。

数値換算ができる状態。特に金銭的にかぞえることができるようになると、比較することができます。水とダイアモンドのどちらが高いかと言われると、ほとんどの人がダイアモンドと答えると思います。水の相場とダイアモンドの相場を比べると、実際ダイアモンドのほうが高いと思います。金銭的な価値を大尊重すると、ダイアモンドのほうが価値が高くなります。私はお金が介在し、そのものさしが存在する(と仮定する)と比較できるということに面白さを感じている今日この頃です。

先に書くと、この投稿の結末は、「お金というものさしで比べることができる世界はだめだ」というものではありません。お金は便利じゃないですか。比較できるような気がするのも面白いと思っています。私という一個人の考えでいうと、お金は便利だし、持っていてもいいと思っています。お金を0リセットするという真逆のアクションをすることが多いですが、お金が便利であることは否定しません。お金に執着して自他ともに苦しくなっていく構造の中を生きている人もいますし、逆にお金をよりよく巡らせ、喜びを増やしていく構造に生きている人もいます。お金を扱うこと自体が悪だとは思わなくなりました。

さて、そうでありながら、この投稿を書いてみるのは、お金で測るものさしだけでないものさしを持っていると、視野が狭まりにくくていい感じだと思っているからです。この1年、そしてまた次の1年は、お金のものさしも使うし、お金以外のものさしも使っていこうと思っています。最近のことなんですが、私の活動のことを「不思議」だと言ってくださる方々が増えました。これって結構うれしいんですよ。「不審だ」と思っている人もたくさんいるかもしれませんが、「不思議」という言葉からは、ポジティブ寄りのニュートラルさを感じています。理屈はよくわからないけど、もしくは解釈が難しいかもしれないけど、社会の道理と少しばかりニュアンスを異ならせながら、成立しているということを感じてもらえているのかもしれません。

私が意識したいのは、金銭的ものさしで測ることができない部分に働きかけていくことです。働きかける結果、一部は交換のような形で、もしくはすぐさま帰ってくる贈与のような形で、お金として返ってきます。ただその時も、贈与に対する返答なので、等価交換の色は薄く、返ってくるお金は大小まちまちです。たとえば、から揚げをお布施していると、「(あくまでもこちらからのふるまいなので)お金が発生しない」ことが多いし、「1000円を頂く」こともあるし、「1万円を頂く」こともあります。金額が大きくなると、こちらが便利に生活をするということの足しになるので、有難いです。金銭的なものさしで測ると、「より多くのお金を頂くにはどうしたらいいか」という思考の仕方になっていきます。

でも、これだけではないものさしもまた駆動します。たとえば、相手が執着から離れることを手伝うというのが、托鉢の受け取りですから、お金を贈っていただくということは、相手にとって「手放す体験」になりえます。それは相手の視点に立つと、お金が減っているのですが、それによって喜びが生じていたらどうでしょうか。(「喜捨」という表現もあるように、手放すことが喜びにつながるという行為もあります)そうなると、金銭的に減ったからダメだというわけでもないんですよね。そこに面白さがあります。

また、渡すという行為に想いを乗せるということもまた、金銭的なものさしに乗り切らないものです。たとえば、子供ちゃんがわざわざ絵を描いてきて、渡してくれたという出来事がありました。すごく心に残っていて、よく覚えています。ありがたい体験でした。想いをすべて金銭的な価値に換算するのは粋ではないな~と私は思います。

いろいろと書いてきましたが、金銭的な価値に紐づけなくてもいい活動や趣味って大事だと思うんです。すべてを金銭的なものさしの上で表現しなくていいし、むしろすべてを乗せようとすると、失われてしまうものがあります。生きるという事象を金銭的な価値に紐づけることができるのは間違いないですが、価値に紐づかない大切な命の時間が意味がないかというと、別の意味が生じます。むしろ、ものさしで測るということすら必要がないかもしれない、ありありと立ち上がってくる生きている感じなどを受け取ることができることはとっても大事だと思います。私は、それを感じながら、一部、お金が生まれるようにしながら、一部、お金とは異なるものが生まれるように動いてみようと思う次第です。

この1年やってきたことがそうでしたが、また今年、来年にかけてやっていくことは、お金に換算しにくい類の取り組みです。ぜひ、楽しんでみます♪面白いと思ってくださる方々には、取り組みをご紹介する段階に、ぜひ加わっていただけると嬉しいです。

お金に換算しにくいということは、他のものと比べにくいものを作っていくこと。とめどない比較から、少しだけ解放されて生きてみる時間が生まれていくこと。どんどん商品価値のない人生の時間を味わっていくことができたら幸いです。

*とはいえ、お金があるから体験できる世界も体験してみたいぞー!w ぜひお金に余裕がある皆様、お誘いお待ちしてます♪ 代わりに、お金にならない土産話を携えてまいります^^

では!

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