学校からの逃避。ゲーム漬けで身体的直感に従う日々。

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現在、トランジションをキーワードにお坊さんの松本紹圭さんと本を執筆しています。その本を執筆する上で、noteのマガジンに執筆のメモや編集前の文章を掲載していきます。感想等ございましたら、いつでもメッセージ、コメントください!

トランジション本を書くことになった松本紹圭さんとの出会いの話はこちらから:From しょうけい to しょうけい 「本を執筆する機会を頂きました」

▼編集メモ
3.28 Created.
 
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2章-1 
「小学校2年生の時のトラウマ。今の瞬間にも影響を及ぼし続ける記憶。」
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意識を小学二年生に戻す。その出来事以来、学校に行きたくなくなった、親は理解不能だっただろう。突如学校に行かなくなってしまった子供。自分でもその時なぜ学校にいけないのかが全くわからなかった。

そうして社会システムにうまく乗ることができなくなったわたしは、家でゲームをする生活をするようになった。とにかくたくさんのゲームをした。ロールプレイングゲームからアクションゲーム、育成ゲームから対戦ゲームまで。買ってもらったゲームを1日10時間以上するのが日課だった。

朝起きてまず難関なのが、学校に連れて行かれようとするのをうまく避けることだった、朝になると気分が悪くなる。頭の思考レベルがものすごく落ちる。何も考えられなくなり、気が滅入る。布団を引き剥がされようとしても、自分でもわからないが身体は学校へと足を向けてくれない。

自分の意思でそうやっていたというのもあるかもしれないが、自分の身体をうまく動かすことができなかった。無意識のレベルで警戒し、そこに向かわせないようにする何かが働いていたに違いない。

親は困ったことだろう。お寺に生まれたもんだから、毎日お客さん(お檀家さん)がやってくる。子供が学校に行かないなんてことはすぐ噂として広まる。何度も何度も学校に連れて行かれようとして、必死に抵抗していた。父親も母親もどう対処すればいいのかわからなかったに違いない。本当にごめんなさい。

1日ゲームをしている時の自分は、ゲームの中に生きていると言わんばかりの集中度合いだった。5時間くらい没頭し、10分ほど休憩を取ろうとする。しかし、10分も立たないうちにゲームの前に戻ってしまい、また夜遅くまでゲームに没頭する。これをただただ繰り返した。

ゲームは単純に面白かった。特に好きなのはロールプレイングゲーム。ドラクエやファイナルファンタジーが特にお気に入りで、没入していた。自分の生活とは異なる物語に入り込むことで、目の前の現実世界から逃避することができた。ロールプレイングゲームでは自らの経験値が明確に表示されている。適度に調整されたゲームバランスの中で、倒せるかどうかわからないくらいの強さの的と戦う。本筋のストーリーだけではなく、サブのイベントも組み込まれている。さらにやり込み要素も用意されていて、レアアイテムを集めることもできれば、最強の魔法や技を身につけるのに邁進することだってできる。

そうして、私は着々と現実の社会的ゲームから身を離し、ゲームの世界にただただ入り込んでいった。逃避でしかない。

小学校三年生になるとほんの少しましになっていく。親に車に放り込まれて、学校の敷地までたどり着くようになった、ただ、学校についても外に出たくない。親に手をひっぱられ、怒られるが、車から出ようとしない。これまた身体が猛烈に抵抗するのだ。

この身体が拒否するという感覚は大事にしたいと思っている。考えるという思考の段階を超えて、感情・感覚的なレベルをも超えて、身体は正直だ。身体が動かないという反応が起こる時、外界と自分との間で、エラーが起こり続けていたのだろう。

近代以後、特に人は理性的に思考し、目標だの目的だのそういうものを人生を思い通りに過ごすための術だと思い、その能力を発展させてきた。しかし、外界に対してどういう感情が生起するのか、どういう身体的な反応が出るのかを扱うことは必ずしも現代の人たちのうちで、それに意識的な人ばかりでもないだろう。

どこか自分にあるのにもかかわらず、自分が見たくないと自分の視野から追いやってしまったものたちの存在。私たちは思考を通して物事を見ている気になることは多いけれど、感情・身体を感じ、それを味わうという視点があってもいいのではないだろうか。

なんとか学校に形ばかり行く日も増えた...(続く)

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