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人間はどこまで家畜か:積読日記

今回からはじめます、積読日記。

自宅に積読本がかなりたまってきています。
私、「積読こそが最強の読書術である」を読んでから積読することに罪悪感がなくなったのです。

それはいいのですが、もちろん本棚にはキャパがあり、また、ただ購入して積読しているだけでは全く学びにならない、ということもあり、せめて概要だけでも頭に入れて、それから本に呼ばれるのを待とう!そんな思いから積読日記を始めます。

基本的に読むのは「はじめに/序章」、「目次」、「あとがき」だけ。その他目次を読んで目について箇所をパラパラめくる程度にして、その状態でnoteを書くことにします。

ということで初回を書きます!

人間は家畜である 自ら家畜になるのだ

積読日記、初回は熊代亨さんの「人間はどこまで家畜か-現代人の精神構造」です。

結構目を引くタイトルですよね。
はじめ、家畜を社畜と見間違えました。
人間は理性的な生き物であり、他の動物たちを家畜化してきた、という前提に基づくのであれば、社畜と見間違えてもおかしくないと思います。

進化生物学の中のホットトピックとして「自己家畜化」というものがあるそうです。例えばオオカミやヤマネコが「自ら」人間と友好的に暮らすように進化すること=家畜化することでイヌやネコに進化することを「自己家畜化」というそうです。

人間も自己家畜化することによって穏やかに、友好的になってきた。衛生環境を改善し、共通のルールを整えることで、より安全に暮らしやすくなることで人口を増やし、寿命も伸ばしてきた。それが現代にいたるまでの過程であるということです。

自己家畜化と文明的変化の速度のギャップ

そのように進化してきた我々なのに、では現代人は幸せなのか、と問われると何ともいいがたい。なぜなら、適応障害、発達障害と診断される人が増え続けているからです。

ただし、自己家畜化によって不適応者が増えているわけではない、と著者である熊代さんは書いています。
ゆっくり進化してきた生物学的な自己家畜化を上回るスピードで文明的な変化が進み、その結果人間がそれに対応できなくなってきている、と。

そのような社会の変化に対応できなくなった人たちを正常という範囲から外して病名をつけることで除外し、我々はより自己家畜化していく。

その先の未来にあるのはユートピアか、それともディストピアなのか。

人生はコスパか?

この本の目次を読んでいると、第三章のサブタイトルに「人生はコスパか?」というワードが書かれているのが目につきました。

中身を読んでいないので推測ですが、以下のようなことがイメージされます。
私たちの自己家畜化された現代社会での暮らしはより健康に、安全に、効率的となり、結果として我々の寿命を延ばしている。それは、現代においてよりよく生きることが、コスパを高めることとイコールになっているのではないか。それは人間にとっていいことなのか。

人生をコスパよく生きること、そんな風に表現されると、これまで健康に気をつけて衛生状態をキープして、周りの人と友好的に暮らしてきたことに対して、なんだか違和感を覚えてしまいますよね。世の中でよいと言われていることは、自分をより家畜化することと同じである。あなたはそれで本当にいいのですか?そう問われている気がします。

だからといって暴飲暴食をして、風呂にも入らず、周りに攻撃的に接することがいいわけではないですよね。この本には答えは書かれていないと思いますが、これまで疑いなく進んできた私たちの生活の質の向上というものに対して、全く想像していなかった視点から自分たちの生活、いや、人生を考え直すきっかけを与えてくれる本なのではないでしょうか。

積読日記 初回を書き終えて

書き終えての感想は、なかなか難しかったです。
時間も結構かけてしまいました。
1時間くらいは書き進めながら本をパラパラめくったりしていました。
1冊にこんなに時間かけていたら一生かけても積読本の概要理解が追い付かない。。。

次回は文量を抑えてでも、時間を区切ってその範囲内に書き終わるようにしたいです。

最後まで読んでくださりありがとうございました。次回もお楽しみに。


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