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まるで参加者たちみたいにワチャワチャの「私」たちがいる

普段あまり見ない系統のちょっと嫌な夢を見ました。ううむ…疲れてるのかな?

とか、不思議そうに書いてみましたが、疲れてるなぁという自覚は、実際にちょっとあります。

もう少し生きるのが上手かったら、という思いがよぎることもあるけど、いやいや、生きるに上手い下手もあるまいとか、そういう考えにとらわれることがそもそも下手な取り組みだとか、この世にありもしないものを追いかけているから辛いののだとか、色々な理性の声がすぐに諌めに、諭しに来ます。

それに対して次の瞬間には、実際にうまく生きられなくて苦しいという気持ちが沸き起こってくるなら、それも人間じゃないか、理屈で否定したところで消えるのかとか、むしろこの情けなさを否定しないことこそ向上心の根っこたるものではないのかとか、反論する私がわっと一斉に現れて、脳の中は大渋滞で大論争が始まります。

私の脳の中にこそ、ワークショップデザイナーが降り立たなければいけないのかもしれないなあ。

こんな瞬間的に脳内が議論の渦に巻き込まれる人ばかりではないのかもしれないけど、他人の脳の中は覗けないので本当のところは分かりません。少なくとも、私はそういう脳だということかもしれません。

私の脳内に渦巻き続ける私と私の諍いたちを、全て素敵な対話にして、目指すべきワクワクに振り向けられたら、この疲れる脳の働きが、まるで参加者が学び合うワークショップみたいに音楽を奏でだすでしょうか。

もし、自分でそうできるようになるなら、この疲れすぎる脳も捨てたもんじゃないかもしれません。

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