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前を向いていない人のための音楽を作りたかった

「Dodometic Youth」セルフライナーノーツ① ~前書き~

「何故、下ばかり向いて前を向いて演奏しないんだ?」とライブハウスのスタッフに言われて、普段は物静かな男が声を荒げてこう言った「俺は下が前だと思って演奏しているんだ」、これは以前ソロで対バンした時の利光雅之さん(あみのめ)の言葉だ。

曲を作り始めたのは社会人になり始めた頃だった。丁度そのあたりに一方的に好きだった人に失恋したのもあって、ナイーブな気持ちをぶつける場として作曲にハマっていた。ダニエルジョンストンだって、リヴァースクオモだってそうだったんだ...と思いながら(今思うと気持ち悪いが)。ただそんな曲達には当時なんか違和感を感じた。そもそも恋愛体験自体の引き出しもなく、ちゃんと人と付き合ったこともない童貞がそんなこと歌うのって、プリミティブすぎやしないかと。そう思った結果全てをボツにした。
その後、pains of being pure at heartに急激にハマったのもあって、自分が作曲して歌うバンドをやりたいと強く思うようになった。
音楽性に関してはPavementやDinosaur Jr.などの90年代初頭のUSインディロックをモチーフに、Teenage FanclubやThe Smithsなどのギターポップやネオアコのメロディアスな要素を持たせたバンドをやりたいと思っていた。

バンドの曲を作るにあたって、海外のバンドをモチーフにしたため、英語を想定したメロディーで考えることが多くなった。ただ、英語の語彙があるわけでもなく、何か洒落たことが日本語で言えるわけでもなかった自分は、あえて自分の中のダメな部分、ちょっと内向きでナヨナヨしたネガティブなところを日本語で歌っていくことがしっくりきた。
それは自分自身のストーリーであり、好きな音楽や漫画、全てが一本の線でつながった瞬間だったと思う。WEEZERのように私小説的でありながら、福満しげゆきのように悶々と悩み、Smithsのような美しいメロディを奏でつつ、銀杏BOYZのリビドーを受け継ぐ...という、強引に言うとそういうバンドだと思う。
何よりあみのめはライブを当時ほぼ全て見に行っていたのもあって、相当な影響を受けた。あみのめのフレーズを曲の中で流用するくらい。


バンドを始めるにあたって、とにかく色々な人に声をかけたが、正直スタジオに2回以上一緒に入った人はそんなに多くなかったと思う。バンドはやったことあったけどボーカルギターの経験はなく、かつ意見の主張も弱いイニシアティブも取れないという謎フロントマンだったというのもあって...
ただ、オニギリジョーと淋梅独とは長く続いている。オニギリ氏は音楽の趣味やセンス、梅さんはDIYの精神などそれぞれ自分と通じるところもあると思っている。これはありがたいことです。本当に。

とにかく自分は挙手できない人間だ。特に小学校時代に先生が生徒に問いかけた時、答えがわかっていても手を挙げないタイプだった。
今は多少無理してでも普通っぽくあろうとしてるけど、基本的には臆病で恥ずかしがりやで自意識が強い。だからあえて、無関心を装ったり、意志のない状態が心地良かったりする。
そんな自分がなんで音楽に関心を持ったのか、それはどこかで自分を曲げることで貯め込んだ鬱屈を音楽がバーンと晴らしてくれた気がしたからかもしれない。

ブランキージェットシティーが初めてロックを意識して聴いたバンドだった。ベンジーの歌声はマッチョさがなくてヘロヘロで、でもどこか尖った不良感があった。ギターもあまり歪ませず、でもコードは洒落ていて、歌詞も異様に赤裸々でたまに政治的だったりして衝撃を受けた。自分の中ではロックは元々マッチョなもの(でもちゃんとした人がやってる)という固定概念があったので、ブランキーはそれより自分達側の音楽だと思えてかなりハマった。

ストレートなことが苦手で、とにかく隅っこで傍観していたい。でもどこか感じることや思うことはあって、そんな自分を代弁してくれている気がして90年代のUSインディロックにもハマった。前向きであること、真面目であること、正直であること、そこから背を向けていた自分が心地よい世界だったのだと思う。(でもいざ自分でバンドをやり出したことで、その音楽観、そして自分自信も変わった。それはまた後程)

ただ、背を向けていることが心地良かった時期、それでもつらいけど向き合うよりはマシだと思う自分。それに寄り添ってあげる存在としての音楽を作りたいという思いは確実にあった。それがまず自分が作るべき音楽だと思った。だから Super Ganbari Goal Keepers は続けやすかった。わかってくれない人にはわからなくていい、だけどかつての自分だったら絶対にこれを無視しない、重要な存在として受け止めるかなと思った。
それは音楽のなかで表現できているのだろうか、伝わっていてほしいと思う。

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