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僕は、プライドが高い。

僕は、プライドが高い。

それは、
傷つきたくないことの
裏返しでもある。


今まで、
プライドが高いせいで

本来なら
仲良くなれたらはずの出会いでも、

勝手に競争意識を感じて、
勝手に比べて、
上に立ちたい気持ちが湧いて、

自分から遠ざけることがあった。


遠ざけることができない関係の時は、

そんな自分見せれるわけないと思って、

対抗意識を燃やす自分を隠し、
心を閉ざして接するようなことも
たくさんあった。


僕が
「人が苦手だ」
と感じる時、
 
その根元が、
相手を、自分の立場を脅かす
競争相手として見てしまう、

その不快感である場合が、
多分にあったのだ。
 
 
 
前の僕は、他のカメラマンが
だいたい苦手だと思っていた。
 
特に
「たいしてうまくもないのに
売れているカメラマン」
が嫌いだった。
 
 
 
俺も売れたい!って気持ちを、
認め切れてなかった。

だから、
「俺の方がいい写真撮るのに、なんでだよ?」
っていう方に、思考が流れた。

「プライド」という名の殻に閉じこもることで、
僕は傷つきやすく繊細な自分を、守ろうとしてきた。


けど同時に、
そのプライドのせいで、

失ってきたものもたくさんあったんじゃないかな、って

ふと思ったんだ。
 
 
 
もしかしたら
コミュニケーションが生まれていたのかもしれない。
 
もしかしたら
僕のことをいいと思ってくれていたかもしれない。
 
 
けれど僕は、近づくことを嫌がった。
  
プライドが立ってしまう不快感を、
ポジションが奪われることへの焦燥感を、
下に見られているという劣等感を、
 
感じるのが嫌だったから。

人と繋がることより、そっちの方が、優先順位が高かった。
 
 
 
自分が、相手を競争相手として、自分と比較していたんだ。
僕は、上下の世界で見ていた。
 
だから、
相手からも比較されていると思い込んでた。
下に見られてると決め付けていた。
 
 
 
けどある時僕は、
「案外みんな、僕のことをいいと思ってくれているのかもしれない」
っていう気になれた。

前はそんなこと、
自然に浮かんでくるなんてことはまず無かった。

けど、なんか最近ふと、そんな気がしたんだ。
  

なんかさ、嫁さんが撮ってくれた写真を見たとき、
 
ふと、「俺、悪くないじゃん」
 
って気持ちが湧いたんだ。
 
 
自分で自分を、「悪くないかも」って思えたら、
人から見ても、そんなに悪く思われてないかもって思えて。
 
 
そしたら、なぜか
人のことも、今までよりもいい人に見えたりするんだよね。
 
 
 
僕は嫌いな人が多かった。
変に角が立っていたと思う。
 
Facebookを見ていると、
嫌な気持ちになることの方が多かった。
 
よくそんなんで
Facebook続けてきたなって思うけどw
 

 
でもさ、人を好きになる努力をしようと思うと、
不思議と、今まで(想像の中で)全然いいと思えなかった人でも、
 
 
なんかいいなって思えたりする瞬間が出てくるんだよね。
  
 
だから、これからはもっと、
 
人を好きになる努力を
しようと思ったんだ。
 
 
人を好きだと思えた方が
ずっと生きやすいじゃん?
 
 
少なくとも、
嫌いな人ばかりが目につく世界よりも、
ずっと穏やかな世界が広がっている。
 
 
僕は、

「あなたはここが良くないから、直したほうがいい」
 
って言う人よりも、
 
「あなたのそんなところも、素敵だね、俺はいいと思うよ」
 
って、心から思える人になりたいって思うんだ。
 
 
そのほうが、ずっと豊かな気がするから。
 
そんな気持ちを土台に持ちながら、
自分が最高だと思う写真を、撮っていきたいんだよね。
 
 
そんなことを思った、7月1日の夜。
 
 
取り留めない文章を、読んでくれて、ありがとう^^

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