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師匠 ~弐~

こんばんは、しょうごです^^

ドラマ ”半沢直樹” が終わって、楽しみが減った日曜が続いていますね(´;ω;`)

さて、昨日に引き続き、師匠シリーズいってみたいと思います。

今日もちょっとというか語学には触れないと思いますが、良ければ読んで下さると幸いです♪ 多分1回で終わらない。。第2回くらいで、僕の語学人生との関係性をご紹介するかと思います。

師匠 ~弐~

1998年6月の末、京都は三条大橋の下で、ナンパな軟式テニスサークルの活動に参加していた僕。

人生を変えた運命の出会い

そこに、今日(あと明日?) のブログのメインとなる、僕のダンス(Hiphop)の師匠がいました。※ちなみに表の写真は、まさに僕が師匠と出会った場所です。

師匠、踊っていました。僕の母校とは全く関係ない人なので、ナンパ目的で来ていたらしいです(笑・師匠がこれを見たら怒るな。。)

その場では声をかけられなかったけど、師匠の友人(僕の母校の先輩)に聞いたら、紹介してもらえることになりました。

実は当時、僕の兄も種類は違えどLocking (70年代からあるポージングが印象的なダンス)をやっており、僕も興味を抱いていたのです。

1998年当時、既にDa pumpやTRFは音楽シーンで活躍していたけど、僕はそういうエンターテイメント系の人達に、興味はありませんでした(アーティストの方々に価値がないなんて全く思っていません・悪しからず)。

九条 (京都)のスタジオ

さて、師匠の友人から電話番号を聞いて、かけてみたら九条(京都駅の南側)にあるスタジオでやっているからおいでとのこと。

スタジオは2階だった為、ドレッドのお兄さんと、背の高いお兄さんがわざわざ下に降りて待っていてくれました。怖そうな人達かと思ったら、めちゃくちゃ優しかったです(笑)

人間の体ってこんな風に動かせるのか!という衝撃

和歌山県南部出身で、Hiphopのダンスなんてやっている人は一人も見たことの無かった僕には、師匠は人間じゃなかったです。ありえない動きに見えました。

当時はYoutubeなんてなかったし、今でもそうですが、テレビなどの映像で見るのと、目の前で踊りを見るのとは大違いですから、すごい衝撃でした。

ともかく僕は、師匠についていくことに決め(?)、毎週スクールに通い、毎日1時間は練習を続けたのでした。

さて、今日は僕自身の背景を多めにご説明しましたが、師匠に関する話は明日の第2回で語っていこうと思います。お楽しみに^^

おわり

PS: 昨日のブログ、師匠 ~壱~です♪
よければご覧くださいませ

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