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平田修二(シアター8・1サッポロ開設準備室事務局長)さんより

街から演劇公演がなくなり、もう3ヶ月が経とうとしていますね。

ボクが今関与している二つのこと。一つは、地元江別市(札幌の隣の12万都市)での演劇公演。今年は札幌座『フレップの花、咲く頃に』が8月にあるのですが、そのプレイベントであるトークショーも4月から5月、そして6月へと延期しました。6月にのびのびと開催できるか心配です。もう一つは、200席の新劇場シアター8・1サッポロ(2024年完成予定)の準備。設計も終わり、間もなく工事に入ります。運営には多くに方々のご支援が必要なのですが影響を受けないか心配です。

 個人的には、こうして長期に演劇公演がないのはさびしいです。東京はもちろん、札幌にもほとんど行かず、ネットやテレビで映画を観、本を読み、近くの公園や森を散歩する日々を過ごしています。それはそれで新鮮な毎日ですが、演劇を通して自分と対話し、劇場という窓から世界を見ることは大事なのだと改めて知ります。

 こうして演劇のない日々を過ごしていると、街にとって演劇、劇場がとても大事だと知った体験を思い出します。

 1989年、銀座セゾン劇場と札幌えんかん(当時ボクは理事長)はレニングラードドラマ小劇場『兄弟姉妹』他を招聘することになり、その前年の88年にパリで公演を観、レニングラードで公演のための交渉をしました。その時に、同劇場はレパートリー作品を公演しながら数年かけて『兄弟姉妹』を創り上げ、それはソ連の体制を突き崩すペレストロイカの象徴となり、世界に影響を与える作品になったことを知りました。ベルリンの壁も翌年崩壊しました。これらの進行中の歴史と舞台の圧倒的迫力は、劇場と演劇が街と社会に与える影響の大きさを認識させ、ボクの演劇人生を変えました。えんかんの活動から札幌での演劇創造の新しい仕組みづくりへと向かわせることになりました。

 2011年3月、TPS(現札幌座)は翌年から始まる札幌演劇シーズンの準備として、三作品(いずれも斎藤歩作・演出)で1ヶ月連続公演をしていました。その最中の東日本大震災。いろいろ議論はありましたが、公演は続けました。すると、だんだん劇場が変わりました。まず俳優。三演目とも自分の命を見つめる作品だったのですが、俳優はそれを客席に問うのではなく自分を見つめる演技に変わったのです。当然芝居は深化しました。次にお客さん。「毎日テレビで震災報道を見ていてつらいですが、今日は仕事が早く終わったので劇場に駆けつけました。毎日公演があるのは良いですね」のようなアンケートが増えました。こうして劇場は、祈りの場に変わっていき、見ているだけで感激しました。劇場は、街と呼吸している、毎日公演されていなければいけないと痛感しました。

 さて、全国小劇場ネットワークは、「民間からの公共劇場」という旗印を掲げ、この2年余、検討と実験を継続していると思います。演劇と劇場が地域、街で必要であるためには、社会を構成する三つのセクターの協力が欠かせないと思います。その一つである市民セクターが持っている特徴、強みと弱みを認識することが必要ですね。民間でパブリックな劇場だからできること、街と呼吸しあう再演し続けられるレパートリー作品を創り出すこと、これが何より大事だと思います。

 2024年には、個人の立場ではなく、シアター8・1サッポロとして、発展した全国小劇場ネットワークに参加したいと思います。

平田修二
シアター8・1サッポロ開設準備室事務局長
表紙写真】
レニングラードドラマ小劇場『兄弟姉妹』札幌公演/終演後の記念写真

劇場のある街が・・・チラシ





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