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中村陽一(立教大学)さんより

なぜ引き寄せられるように小劇場に足を運ぶのだろう? 私の場合、社会デザインなどという、何か言っているようでその実内容は曖昧なままにも見えかねないことを追究し続 けているせいか、「現場性」とか「歴史性」とか「場所性」に出会いたいからかもしれない。 もっとも、それならまさに直接現場に行けということだし、それはそれでやっているので、 むしろ抽象的な惨状に対抗するには一旦抽象寄りに思考するしかないということかもしれ ない。それを生身の身体を通じて表現するというとてつもなく孤独なたたかいが行われて いる場の魅力に惹かれて足を運んできたのか。

身も蓋もないほど現実的な感染症拡大という事実を経てもはやビフォーコロナには戻れないなか、ウィズコロナ(もしくはアフターコロナ)下での社会のありようを考えるのが 「社会学者」の端くれ兼「社会デザインの実践的研究」を 20 年以上標榜し続けてきた者の 務めになってきた。社会科学畑はコロナ禍にたいして直接の即効性ある方策を提供するこ とはあまりできないが、せめて、その先の思考実験を提供することから始めるしかない。

孤独なたたかいが繰り広げられてきた小劇場という場でも、対面的行為を著しく制限さ れながら、これからどのように「不穏当なファンタジー」を紡いでいけるのか。創る者で はない身の上からは想像するしかないが、政治的・経済的・組織的・身体的・精神的・社会的等々あらゆる側面での転換(コンバージョン)が求められ、分水嶺に到達するための 勝負所に立ち至って「もうぬるいソーシャルデザインは要らない」。

もちろん、まずは小劇場が直面している経済的な諸課題への緊急の対応のために、しか しそれに加えて、孤独な営為を継続させていこうとするからこそのネットワーキングのために、賛同し応援団の末席に名を連ねたいと思います!

中村陽一(立教大学21世紀社会デザイン研究科教授/社会デザイン研究所所長)
https://www2.rikkyo.ac.jp/web/social-design/

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