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『友達だから0円でやってよ問題』 に対するホームレスの視点。



★まえおき。

僕は意識的にほとんどSNSやネットニュースをシャットアウトしているので、最近のトレンド情報には疎いのですが、

最近あまりにも多くのフリーランスの人が言っている
『友達だから0円でやってよ問題』について考察します。




★『友達だから0円でやってよ問題』とは?

特定の会社に所属せず、個人で生計を立てている"フリーランス"の人が直面しやすい問題。


"フリーランス"の人たちの中でも、 特にデザイン、ホームページ作成、動画編集などをしている人に対して


本来はお金をもらって引き受けるはずの仕事である

『ホームページをつくってもらう』
『ポスターを書いてもらう』
『動画をつくってもらう』
と言った作業を、

友達であるから0円でやってほしいと依頼すること。


そういった到底0円ではできないはずの依頼を、
何も思考しない "トモダチ" のためにやってしまい、疲弊するという問題。




★『友達だから0円でやってよ問題』とホームレス




いきなりですが、結論。





僕は、喜んで0円でやります。





いきなりの結論でみなさんを置いてけぼりにしましたが、安心してください。

これから
なぜ、僕は0円で仕事ができるのか。
をちゃんと解説していきます。

それを説明するためにまず、なぜフリーランスの人たちが0円で仕事をしたくないのか分解してみよう。



★なぜ、フリーランスの人は0円でやりたくないのか分解しよう。




理由1
その技術を得るために、代償を払ったから


だいたいのフリーランスの人は、デザインだとしても、土木系だとしてもその技術を学ぶために 何らかの代償を払っている。

例えば、デザインの勉強をするために
お金を払って3年間学校に行く。

この場合、払っている代償は"お金"、そして3年間という"時間"だ。


学校に行っていない場合でも、会社に何年か所属して技術を学んでいる人もいる。

この場合は、お金をもらいながら働いてはいるが "時間"は代償として払っているし、

努力するつまり "苦痛" を伴ってその技術を習得しているため、代償として"苦痛"も支払っている。


つまり、彼らがその技術を習得するために
"代償"を支払ったわけだから、

その技術を誰かのために使うのであれば、
相手にも

何らかの"代償"を求めたくなるのである。

そして、だいたいの場合は最もわかりやすい
"お金"の形で代償を求めるのである。




理由2
その仕事が本当に楽しいわけではない。

『この仕事は楽しい。』



そう言う人はたくさんいるけれど、
それはあくまで

『他の仕事と比較して今の仕事のほうが "苦しみが少ない。"』

または"楽しみが少し多い "

というだけであって、仕事である以上
前提として** "相当な量の苦痛"**を伴っている。

だから、彼らからしたら仕事はあくまで苦痛なのである。




まとめると

仕事を依頼された際に、

自分の支払った お金、時間、苦痛が頭にチラつき、代償を払ったのが自分だけでは割に合わないため、

相手に"代償"を求める。


さらに、仕事をしている間は苦痛を伴うので、

無償で仕事をすると自分だけが苦痛を感じている感覚になる。

なのでその苦痛を 相手に"買ってもらう"

つまりお金で "代償"を払ってもらうことで苦痛を解消させている。



この2つの理由のために、
無償でやることに抵抗を覚える。

実は、
僕は"どこでもバーテンダー"という出張専門のバーテンダーも個人でやっていて、

そのために3年間バーで修行もしたし、毎回かなり全力を尽くして仕事をするので

『0円で人に何かをしたくない』
という感覚もすごくよくわかります。

過去に

『バーテンダーやってるんだよね?だったら、タダでつくってよ!友達だもんね?』

みたいな依頼はたくさん来て、安く見られてると憤りを感じたこともありました。

それでも、僕は繊細でビビりなので

『友達だから、タダでつくらなきゃ』と頑張り、疲労してしまってモヤモヤする

みたいな時代はありました



★それなのに、なぜ僕は0円でできるのか。



あまり僕の仕事の仕方を知らない人もいると思うので、かんたんに説明すると


僕は、『ホームレスサービス』
と名前をつけた49個のサービスをしています。

報酬はお金ではなく、ごはんやお風呂、僕にあげたいものなど "価値と価値の交換"をしています。

つまり、常に0円で仕事を受けています。

詳しくはコチラ↓
https://note.mu/shochan1994/n/nc26fb29fdb07




僕の仕事のポイントは、

①特に専門的な技術を必要としないことをしている。


②"誰かに求められる"ではなく、"僕のやりたい!"を仕事にしている。


という2つなのですが、これがそのまんま僕が0円で仕事をする理由になっています。

それでは、僕の仕事の特徴と、先ほどの

フリーランスが0円で仕事をやりたくない理由と照らし合わせていきましょう。



まず、フリーランスが0円で仕事をやりたくない理由その1

『その技術を得るために"代償"を支払った』

というポイントで見ていくと、


僕の仕事は
助手席盛り上げ屋(ドライバーが眠くなったり退屈になったりしないように助手席で話す)

という仕事や、

焼きそば持ち(お祭りで、焼きそばなど買ったものを持ってついていく)

など
特に技術が必要ない仕事をしている。

当然その技術を得るまでに苦痛やお金、時間といった

"代償" を支払ったという感覚がない。

だから0円ですることに全く抵抗がありません。



理由その2

『なんだかんだ言っても、仕事が苦痛』

というポイントで見ていくと、



僕の仕事はすべて "僕がやりたいこと"
という視点でつくっていて

"誰かに求められる(≒金になる)"
ことはあくまで二の次。



流れとしては

①僕がやりたいことを考える。

②僕のやりたいことの中で、誰かが価値を感じるかもしれないと思ったものだけ抜き出し、
とりあえず仕事として言い張ってみる。

③そうしてできた仕事をやってほしい!という人が来たらその時はじめて正式に仕事として認識される。

という感じ。


具体例を出すと

『牛タン焼き代行』は僕が焼肉に行きたい、牛タンを食べたいというところから始まっている。

** 『助手席盛り上げ屋』**もドライブ好きだけど運転はしたくない(免許ないからできない)から始まっているし、

一見誰かのためっぽい
『しょぼい司会』は前でしゃべるのが好き&自分の承認欲求のためにやっている。


49個のサービスがぜんぶこんな調子なので、
そもそも僕が苦痛だと思うことは基本的にしません。

そして、楽しいから自然と一生懸命になる。




★実は彼らと僕の課題は同じ。しかし、視点が違った。


前述の通り、僕自身フリーでバーテンダーをしていた際に

『友達だから0円でやらされる』というフリーランスの人と同じことに対してモヤモヤしていました。

つまり、
問題と感じている場所は実は全く同じ。

しかし、それに対する解決方法が僕と彼らとでは全く違います。



彼らの中で多くの支持を集めているこの問題への結論は、言い方こそ様々あるものの

要は

『友人であっても金を取れ。 金を払えないなら友人をやめろ』

というものでした。

一見すごく正しいように見えるけれど、本当にその答えだけしかないのかな?

そう僕は思います。



なので、僕はもう少し考えてみました。


そうして出した僕の結論は、

"0円でもやりたいと思える仕事をしよう"

でした。




特別な技術を必要とせず、仕事中も全力で楽しい。 そんなことだけを仕事にしてしまえば0円でもまったく問題ない。

もっというと、あえて僕の仕事は特別な技術を使わないものだけにしてあります。


だって、特別な技術を使ってしまったら 何らかの代償が欲しくなってしまうから。


気持ちよく仕事をできるように、あえて技術を使わない。



本当の意味で "好きなことだけを仕事にする"

という実験が、この49個の仕事たちです。

これで生きられるか、生きられないかはわからない。

わからないからこそ、実験する。





なので、みなさん僕に対しては遠慮せず

0円で呼びまくってください。

全部好きなことなので、0円で使われれば使われるほど喜びます。



もし期待以上に満足してくれたら、ごはんを追加したり、温泉に連れて行ってくれるとなおうれしいです。


★ホームレスサービスの依頼の仕方はカンタン!

フェイスブックメッセンジャーで

『〇〇を依頼したい』

と言うだけ。 以上。

ご依頼お待ちしています。






エピローグ

この問題に対する僕のつぶやき。


彼らの固定概念の中には、"仕事とはこうあるべき"という前提が染み付いていたんじゃないか。

仕事 や お金 に対する "常識" と言う名の思考停止がはびこって、



なぜお金は必要なのか。 仕事とは何なのか?

そういった疑問を抱かず、思考せず、

与えられた "常識" の中でもがいているから、

『友人から金を取れ、取れなきゃ友人をやめろ』

という悲しい結果になるのではないか。



僕は、友人を金勘定で測りたくない。

お金を持っていることと、いっしょにいたい友人であることは全く別である。

だから、僕はどんな人とでも 僕がいたいと思ったらいっしょにいたいし、その人が欲していることをしてあげたい。



だから、考えた。

当たり前だとされていることを疑って、全力で思考をした。

最後にひとこと。

彼らの考え方には、資本主義の考え方

つまり"金こそ最も大切な価値"という考え方があるのではないか。


もう一歩踏み込んで言うならば、
彼らは実は思考停止していて、そのせいで

"金をはじめとした数字の価値観でしか物事を判断できない"のではないだろうか?



もしそうだったら、それはすごくもったいないし、怖いことだよね‥‥



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