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対話5-B 「女性はどうすべき?」とは(石田月美)

二村ヒトシさま

私の生意気な書簡に対し、いつも丁寧にご返答頂き痛み入ります。私の文章が二村さんのおかげで解体され、よりわかりやすくなり嬉しく思っております。

じゃあ女性は何をすべきなのか

と、二村さんからご提言を頂きましたので、今回はそのことについて考えていきたいと思います。

べき思考の罠

実は、私は今まで書いてきた原稿の中で「〜べき」という表現を使ったことがありませんなぜなら、「〜べき」という言い回しの裏に「正義」の圧を感じるからです。しかも、それは往往にして権力側にある正義です。もっとハッキリ言ってしまえば男性優位社会において都合の良い「正義」が潜んでいると思っています。ですから、「〜べき」で語られるような言説で女性が悩むのは当然でしょう。因みに、メンタルヘルスの文脈においては、「べき思考」と呼ばれ、そのような思考にとらわれると苦しくなると言われています。

二村さんは「『ある種の女性の欲望と信念を矛盾させているのは、けっきょく社会の体制のせいなんじゃないか』と思い始めているので、あんまり強く言えない」、ともお書きになってくださいました。きっと、それらの偏った正義をお感じになったのだと思います。

正義の争いなんかしない

男性に都合の良い「〜べき」に対して、それは間違っていると言ってもなかなか考えを崩すことは出来ません。私が暴力や「〜べき」といった表現に敏感なのは、多くのDV加害者たちが、自分たちの振る舞いを正義の行使だと思っているからです。「妻はこうあるべき」「母はこうあるべき」「女はこうあるべき」、そして「そうしなかったお前が悪い」という自己完結的な正義感に満ちています。ある種の暴力に加担することになるので、私は正義について争うことは極力避けています。

悲しいことではありますが、女性はそのような社会で、権力側の「〜べき」という思考を内在化しています。当たり前です。生まれた時からそのように教え込まれているのですから。そのような女性たちと話をするときに、私はとことん「効果」にこだわります。お気付きの方もいらっしゃるかもしれませんが、私はいつも「〜というのが有効でしょう」と提示してきました。それは、正誤の話にすると権力側の正義に乗っ取られてしまうからです。だから有用性の話にパラダイムシフトさせているのです。

どうすることが自分にとって有効か

自分が心地良く生きていくために、何が有効か。私は常にその視点で考えています。そして悩み苦しむ女性たちとお話しするときも、その視点で考えることをお勧めしています。例えば、友だちの彼氏を好きになったとき。不倫をしたくなったとき。夫と離婚したくなったとき。長期的な視点で、自分が心地良くいられる状況を作る行動とは何か。それは時に世間の道徳規範から逸脱することかもしれません。しかし、世間様の価値基準は大体息苦しいものです。世間様という、あるようでよくわからないものより、自分の心地良さを優先してもいいのだと思います。

想定している女性像とは?

ここまで私は勝手に持論を展開してきました。二村さんがお尋ねになったこととはズレが生じているかもしれません。

僕が女性にやって欲しいことは「欲望と信念とが矛盾して本人も混乱している女性は、そこをなんとか、うまく調整してほしい」ということ

との問いかけに応えたい思いもありました。しかし、ごめんなさい。私は何度考えてもそのような女性をうまく想像することが出来ません。なぜなら、二村さんから今まで頂いた書簡を踏襲すると、欲望と信念との間に矛盾が生じることが考えにくいからです。

・心の穴(と二村が名付けたもの)→感情や欲望の「くせ」、無意識に抱いてしまっている信念

これは前回の書簡で二村さんが整理してくださった、心の穴の定義です。この定義に従えば、欲望と信念は同じものにならないでしょうか。

議論を混ぜっ返すようで大変申し訳ありません。しかし、今さら問題を指摘したいわけでは決してありません。むしろ往復書簡の前半で問題点を共有したからこそ、今は心の穴の有用性について考えたいと願っております。私の読解力が及ばず心苦しいのですが、二村さんの想定している女性像をもう少し詳細に教えていただけるとありがたいです。どうぞ、よろしくお願い致します。

石田月美