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飯山陽『エジプトの空の下』第1章立ち読み

「アラブの春」の渦中、エジプトの独裁政権が倒れたあとの波乱万丈の日々を、持ち前のタフなメンタリティで生き抜いた日本人女性イスラム研究者の日常を描く、ノンフィクション・エッセイ、飯山陽著『エジプトの空の下』が11/19に発売になります。発売に先行しまして、本書のなかの1章を期間限定で公開いたしますので、ぜひご一読ください。読者の皆様におかれましてはご購読の、書店の皆様におかれましては仕入れの、それぞれ参考にしていただければと思います。

1 娘と親友とサラフィー運転手

1章ファリーダ3

99%の女性がセクハラ被害にあう国

2011年夏にエジプトに住み始めたとき、娘はまだ一歳を迎えたばかりでした。「アラブの春」でムバラク政権が退陣に追い込まれてまもなくの頃です。
はじめて娘を連れて歩いたカイロの街中は、これまで一人、あるいは友人たちと歩いた時とは全く違う印象を受けました。
道ゆく人の目が全て娘に注がれ、私が娘を連れて歩いているというよりは、私の方が娘に連れられて歩いているような、そんな感覚でした。
エジプト人は非常に子供好きです。
一方で子供に対する搾取や暴力、犯罪が多かったり、ストリート・チルドレンが町中に溢れていたり、単純に「エジプト人は子供好き」というだけでは説明のつかない問題が多くあるのも事実です。しかしそれはそれとして、アラブ慣れしているはずの私が娘を連れているだけで世界が一変して見えるほど、彼らの我が娘のもてはやし方は露骨でした。
アラブ・イスラム諸国は世界的にもセクハラが多いことで知られています。2013年UNウィメンが発表した調査では、エジプト人女性の99.3%がセクハラ被害にあったと回答しています。この数値は私がエジプトにいる時に発表されたので、地元メディアも「これはさすがに酷すぎる」と大きく取り上げたのをよく覚えています。
日本には性犯罪被害にあった女性に対し、「男の欲情を煽るような格好をしていた女が悪い」あるいは「女も悪い」といった非難を浴びせる不届き者がいますが、あれは完全な間違いです。エジプトを含むアラブ世界の女性は概して、極めて保守的な格好をしています。真夏でも腕や脚を露出させる女性はほとんどいません。髪と首元もヒジャーブで覆っている人がほとんどです。しかし目元以外の全身すべてを黒布で覆い隠していようとも、お尻を触られたり、卑猥な言葉を投げつけられたりするのがアラブ世界です。エジプト女性のほぼ全員がセクハラ被害を受けたことがあるという調査結果が、その実態を証明しています。
私のように一見して外国人だと判別できる女の場合、その頻度はさらに高まります。ところが幼い子供の手を引く私には、誰一人卑猥な言葉を投げかけてきません。これにはたいへん驚きました。
私は大学院の博士課程の一年目、1999年の春にモロッコに留学しました。 当時在籍していた東京大学が、テトゥアンというモロッコ北部の街にある大学と提携しており、そこに籍をおくことを条件に文科省の奨学金を得ました。 テトゥアンが過密すぎるため、近郊にあるマルティールという小さな街の地中海岸にあるフラットの一室を借りて一人で住んでいたのですが、ここで体験したセクハラは相当なものでした。
セクハラに限らず、とにかく私に向けられる人々の情け容赦のない視線、興味関心がすさまじいことに辟易しました。
この街には私しか日本人......というかアジア人がいなかったので、みなが一様に、珍獣を見るかの如く、食い入るように私を見つめるのです。何人に一人かは必ず「中国人女!」とか「ジャッキー・チェン!」などとヤジを飛ばしてきます。悪気があるとかないとかいう問題でもなく、彼らはアジア系の人間に対し「中国人!」とはやし立てることを、「失礼」とか「差別」とか「悪いこと」とは全く考えていないので、反射的に言っているようなところもあります。バカにしているのは間違いないのですが、このレベルで腹を立てるようではここでは暮らせません。
子供の集団が「ジャッキー・チェン!」と言ってわいわい寄ってくると、こちらに余裕がある時には「やるか」とか「来るなら来い!」と言って構えてやるのですが、そうすると子供がものすごく喜び、調子に乗ってジャレついてきます。疲れていたり嫌なことがあったりしてこちらに余裕がない時には、「うるさい、黙れ!」とか「ジャッキー・チェンは日本人じゃないぞ、バカ!」と私も悪態をつくのですが、それでも子供たちは「へぇ。ジャッ キー・チェンは日本人じゃないんだって!」と言って喜んだりします。さらに重ねて「中国人女!」と言ってきたりするので、たちが悪いのです。しばらくたつと、街の子供たちとも 互いにだいぶ見知ってきたのですが、それでもヤジはやめません。私がそれなりに反応するのもあり、彼らにとっては私にヤジを飛ばしちょっとしたやりとりをするのが、一種のエンターテインメントと化しているようでした。
モロッコでは留学生仲間の中にイタリア人男性とスペイン人女性がいたのですが、彼ら二人は子供たちによく石を投げられるので危ないと言って怒ったり、怖がったりしていました。 イスラム教徒の子供は近代以前の時代から、異教徒に石を投げつけて遊んでいたことが知られています。かつてイスラム教の統治下に暮らす異教徒はズィンミーという二級市民の地位に置かれ、彼らは馬鹿にされ蔑まれるべき存在と規定されていたので、子供たちも面白がって石を投げつけていたのです。
しかもそれはすでに過ぎ去った「歴史的事象」ではなく、現代のイスラム世界でも続いています。彼らは異教徒に石を投げることも、ヤジを飛ばすのと同じように、「悪いこと」だとは思っていません。誰からもそう教わっていないからです。「異教徒に石を投げてはいけない」とか「異教徒にヤジを飛ばしてはいけない」という価値観が、そもそもないのですから仕方ありません。
私は幸運なことに......というかおそらく彼らから見ると「異教徒」というカテゴリー外だったために、子供に石を投げられたことはありません。しかし「売春婦!」と言ってきたり、 近寄ってきて耳元で「いくらか?」と囁いてきたりする男たちには悩まされました。
これは相当気持ち悪いですし、腹も立つので、最初の頃は睨みつけたり、「恥知らず!」「あっち行け、この変態!」と言い返したりしていたのですが、こうすると相手がかえって「おい! この中国人女は、アラビア語をしゃべるぞ!」と喜んで仲間を集めてきたりして逆効果だということが徐々にわかってきました。ここでさらに「中国人じゃなくて日本人だ!」などと私が言おうものなら、相手側はさらに盛り上がります。とにかく、こちらが何か言えば言うほど面倒が増えるので、何も聞こえないかのように振る舞い、表情一つ変えず無視して歩き去る、というように作戦変更しました。
恐ろしいのはストーカーです。「いくらか?」「かわいいな」などと声をかけ、こちらが無視してもどこまでもどこまでもついてくる類です。これは本当に恐ろしい。絶対に自宅を知られてはならないと考えていたので、迂回してカフェや雑貨屋に逃げ込み、店員に事情を説明してストーカーを撃退してもらったことが何度もあります。
さらに恐ろしいのは突然手を引っ張ってどこかに連れて行こうとしたり、急に抱きついてきたりする男です。あまりの恐怖に息が止まり、声など全く出ない状態になります。幸い私は誰も人のいないところでこのような目にあったことがなく、いつも誰かが助けてくれたので大きな被害にあうことはありませんでしたが、あの恐怖は今も脳裏に焼きついています。
私は2011年から4年間エジプトに住みましたが、それ以前にも数度エジプトを訪問したことがありました。その時のセクハラやヤジの「被害状況」も、モロッコで生活していた時のこうした状況と類似していました。

セクハラの嵐から状況が一変

ところが娘と一緒だと、周りの反応が一変したのです。
周囲の人々は誰一人、私には目もくれません。あれだけ鬱陶しく感じていた人々の視線は、一斉に我が子に注がれています。顔のまん丸い東洋人の小さな女の子がよほど珍しいのか、 あちこちから人が集まってきて少し遠巻きに娘を眺めたり、一緒に写真を撮りたいと言ってきたりします。
娘も自分の「人気」を自覚してか、まんざらでもなさそうで、見知らぬエジプト人に抱き上げられてもニコニコとしています。 そうか、日本の小さい子はここでは「アイドル」なのだ、その前には私の悩みだったセクハラ問題など吹き飛んでしまうのだ、とこの時初めて認識しました。 ただ一人の我が子である娘は、私の宝です。 夫の仕事が忙しく、それまで私は一人で娘を守り育てることに必死でしたが、この時、「なんだ、私だって娘に守ってもらっているではないか」と拍子抜けしたような気持ちにもなりました。
娘を連れて近所に買い物に出ると、おまけの嵐です。行きつけの果物屋さんは毎回のように「食べな」と言って娘にバナナを手渡し、パン屋さんはチョコレート入りのパンやマフィンをくれます。シーフード屋さんは娘が前を通るとエビやイカのフライを手渡してくれます。 暑い日に歩いていると、なぜかサッとペットボトルの水を差し出されたこともありました。 サービス満点です。
誰一人、私からお金を受け取ろうとはしません。もらったものをニコニコしながらぱくぱく食べる娘をみて、同じようにニコニコするだけです。
この子供に優しいおじさんたちが、何かの拍子に急に殴り合いを始めたりするのがエジプトなので全く気は抜けないのですが、とにもかくにも、私がここの暮らしにすっと馴染むことができたのは間違いなく娘のおかげでした。 この話をエジプト人にすると多くの場合、それは外国人に「エジプト人はいい人だ」と思われたいからだ、と言われます。確かにそれはありそうです。 ユニセフが2019年に公開した中東・北アフリカ諸国における子供に対する「暴力的しつけ」についてのリポートによると、エジプトでは2歳から14歳までの子供の90%以上が親からひどい体罰や精神的虐待を受けているとされています。自分の子供を「正しいイスラム教徒」として育てる責任を負うのは親である、というのがイスラム教の教義です。彼らは子供が道を外れたら、子供だけではなく自分自身も地獄に行くと信じています。自分の子供に厳しくあたる背景には、イスラム教の教義があるのです。
一方、他人の子供にはそういった責任感が伴うことはありません。一人歩きする日本人女性に「中国人女!」とヤジを飛ばすのと同じ感覚で、目の前を通る日本人の子供に本能的に惹きつけられるようです。何とかして関わりたい、という「意欲」あるいは「やる気」すら感じられます。しかしどのような理由、動機であれ、彼らの「外国人の子供好き」は私にとってありがたいものでした。
娘はなんとなく日本語らしきものを話し始めたタイミングで、アラビア語と英語をシャワーのように浴び続けるエジプト生活に突入したため、ほどなく自然と日本語、アラビア語、英語の三カ国語を使うトライリンガルになりました。 特にアラビア語......というか、アラビア語エジプト方言(通称エジプト語)のうまさは抜群でした。
アラビア語には日本語にはない音がいくつもあります。 私は大学で初めてアラビア語を学んだため、当初はそれらの音を耳で識別するにも、自分で発音するにも苦労しました。「やる気のないハ」と「やる気のあるハ」と「濁ったハ」を区別したり、「軽いタ」と「重いタ」、「軽いダ」と「重いダ」を言い分けたりするのは、非アラブ人にとっては大変難しいのです。
ところが一歳からアラビア語シャワーを浴び始めた娘は、耳で聞いたそのままの音を発音するので、そのような苦労とは無縁でした。そしてその発音は親の私から見ても実に完璧で、大変な苦労をしてそれを身につけた私にとっては羨ましいほどでした。
アラビア語を話す娘の様子を見たエジプト人の全てが、「エジプト人としか思えない」「というかエジプト人よりアラビア語が上手い」と舌を巻きました。「日本人とは信じがたい」「顔を見なかったら誰もがエジプト人だと錯覚する」とも言われました。発音も言い回しも、話しながら自然と飛び出す身振り手振りも、全てが完璧な「和製エジプト人」でした。
娘がこれほどアラビア語に熟達したのは、身の回りに常にいた数人のエジプト人のおかげなのですが、中でも彼女と仲が良かったのがうちの運転手です。

うちの運転手はサラフィー 

 うちの運転手はかなり敬虔で厳格なイスラム教徒、いわゆるサラフィーでした。
サラフィーは外見が命です。なぜなら、人は基本的に外見によって、その人がサラフィーであるか否かを判断するからです。サラフィーなのに外見でサラフィーではないと判断されたら、それは「負け」です。だからサラフィーは外見にこだわるのです。
サラフィーであることを判断する指標としては、男性の場合、何よりも大切なのは手で摑めるくらい長いあごヒゲです。そしてズボンは膝下で、かつくるぶしが見える丈でなければなりません。おでこに黒ずんだ「お祈りダコ」があれば完璧です。なぜならそれは、日々熱心に礼拝をしている証だからです。うちの運転手は外見上のこうした「基準」を満たす、完璧なサラフィーでした。
ところで私は、お祈りダコのある女性を見たことがありません。私はモロッコでイスラム教の礼拝の特訓を受けたので礼拝をすることができますが、確かにおでこを地面(実際は地面の上に敷いたお祈りマット)につける所作はあるものの、いくら一日に五回礼拝をしても、あれほどはっきりとタコができるようなことにはならない、という確信があります。礼拝のたびに、よほど意図的におでこを地面に擦り付けでもしない限り、お祈りダコなどできないのではないか......と常々疑問に思ってはいたのですが、勇気がなくて、未だにお祈りダコのある男性に直接聞いたことはありません。
軽い調子で女性に聞くとみな、「いつもグリグリやってんのよ」などと答えます。そこには少しばかり、「アホくさ」という嘲笑のニュアンスが感じ取れます。礼拝は純粋な信仰行為なので、お祈りダコを作り「あの人は敬虔なイスラム教徒だ」と人に見られるために「おでこグリグリ」をやっているとしたら本末転倒だ、と言いたい女性たちの気持ちはよくわかります。
くっきりしたお祈りダコもあるうちの運転手は、周囲の人々から尊敬の念を込めて「シャイフ(師)」と呼ばれていました。メッカ巡礼から戻ってからは「ハーッジ(巡礼者)」とも呼ばれていました。
一方で彼は、異教徒である日本人に雇われ、日本人から給与を得ていました。イスラム教の教義では、不信仰者たる異教徒と親しくすることは禁じられ、また禁じられたハラーム(違法)な手段で稼いだ金はハラームな金である、ともされています。
あるとき彼と何かの件で口論している際、つい意地悪な気持ちが湧いてきて、あなたはサラフィーでありながら不信仰者に雇われ給与をもらっていることに矛盾を感じないのかと尋ねてしまったことがあります。すると彼はさっと顔色を変え、「今度シャイフ(自分の師) に聞いてくる」とそわそわした様子で答えました。そして後日、「どんな労働であっても労働はすべてハラール(合法)なので、あらゆる労働から得られる給与はハラールだ、とシャイフが言っていた」と、晴れやかな顔で教えてくれました。シャイフ、ナイス回答です。
イスラム教徒の多くは、自分の日常生活の細部についてまで「ハラール(合法)かハラーム(違法)か」などと考えることなく生活しています。なぜならイスラム教の論理に従うと、あらゆるものごとや行為についてハラームかもしれないと疑い始める「ハラーム地獄」に堕ちたら最後、「イスラム国」に行くとかジハードするしかなくなってしまうからです。
しかし実際には、そこには様々な言い訳や自制心、家族への思いや、現行の社会制度や、いろいろなものが機能していて、それらが彼らを現世的なものにつなぎとめ、そうした「ハラーム地獄」に堕ちるのを引き止めています。だから私のしたような意地悪な質問は、本来すべきではないのです。保たれている微妙なバランスは、いつどんなタイミングで崩壊するかわかりません。
私はこの運転手とはかなり頻繁に口論し、ある意味で緊張関係にありましたが、基本的なところでは彼を信用していました。なぜかというと、娘が彼に非常に懐き、彼も娘を本当に可愛がってくれていたからです。また私は、彼が自分の家族に対して大きな責任を感じていることも知っていたので、それも彼が滅多なことはするまい、という信頼に繫がっていました。運転手というのは自分と家族の命を預ける存在です。信頼できない人に自分と家族の命を預けることはできません。
一方彼の方でも、日本人でイスラム教徒でもないのにやけに『コーラン』やイスラム法の規定に詳しく、アラビア語で議論のできる私にはある種の敬意を示していました。うかつな行動、発言をすると私にツッコミを入れられる、という緊張感もあったと思います。
宗教の異なる者同士の関わり合いにおいて重要なのは、互いへの信頼と敬意です。「みんなオンナジ人間」「話せばわかる」といったスタンスに普遍性はないというのは中東では歴然としていますし、実際その有効性はかなり限定的であるというのが私の経験です。感覚や馴れ合いでどうにかならない相手だからこそ、うまくやってくためには頭を働かせることが大切だと私は考えています。

サラフィー家庭でのお泊り体験 

 ただ子供の場合は話が違ってきます。
車に乗るとき娘はなぜかいつも助手席に座りたがり、運転している彼と楽しそうにおしゃべりをしていました。彼も娘には心を許しているようで、二人はふつうに「仲良し」でした。まだ幼かった娘は年長者に対する口の聞き方というものを身につけていなかったので、彼のことを名前で呼び捨てにし、いかにも対等であるかのように振る舞っていましたが、彼はその遠慮のなさを面白がっていました。
私が仕事で忙しい時などは、彼が娘と一緒に遊んだり、テレビやYouTube を見てくれたりしたので、非常に助かりました。毎年、娘の誕生日には特大のケーキとプレゼントを買ってきてくれました。写真を撮るときには娘と並んでピースサインをする、お茶目なところもありました。娘と戯れる彼の様子は、完全に「孫とおじいちゃん」のそれでした。
あるとき彼が娘について、どうしても自分の家族に彼女を会わせたいので、自宅に連れて行ってもいいだろうかと聞いてきました。
自宅で頻繁に娘の話をしているうちに、エジプト人よりアラビア語がうまい日本人の子供なんて本当にいるのか、いるなら会わせろ、ということになったのだということでした。家長としての面目を保つためにも是非彼女を家族に会わせたいのだ、といつになく熱心に思いを語りました。
彼のことは信頼してはいます。しかし娘を連れて行かせるというのは大変な決断です。それにどうやらこのお誘いは、一晩うちに泊まっていけ、という主旨のようでした。
当時4歳だった娘は家でも私が隣にいないと寝つけない甘えん坊で、私なしで「お泊まり」をしたことも当然ありませんでした。そもそも町中にこれだけ警官がいるのだから、明らかに見た目がサラフィーなエジプト人が日本人の子供を車に乗せていたら怪しまれて止められるのではないか― 。
そんな懸念を伝えると、彼は「彼女はアラビア語がしゃべれるから大丈夫。それにうちには子供が3人いるから何も問題ない。大丈夫」と、本当に何ひとつ問題はないと思っているようでした。
私一人で悩んでいても埒が明かないので娘に聞いてみると、「行きたい!」と即断。「でも ママ一緒じゃないよ、ママいないと眠れないんじゃないの?」と言っても、「大丈夫! 行きたい!」と不安ゼロの様子。
娘は私が「やる?」と聞いたことに対し「やらない」と言ったことが一度もない子で、私もその積極性を大いに評価していました。娘が「やりたい」と言ったことについても、死の危険がないものに関しては基本的には何でもやらせてきました。自分の背の数倍の高さのある「うんてい」によじ登り、すいすい渡っていくような子です。今回に限り娘が「やりたい」といったことに対し私が「やるな」と言うのもおかしいな、と思い始めました。
奇妙なもので、こういう場面になると普段使いもしないことわざを急に思い出したりします。そう、「かわいい子には旅をさせよ」です。
娘がこれから歩む人生は、決して平坦な道のりではあるまい。4歳にしてエジプト人サラフィー家庭でのお泊まりを体験するというのは、彼女の将来にとって必ずやプラスとなることだろう。なにより本人が行きたいと言っているのだ。行かせればいいではないか──。
そんなふうに考え、夫とも相談し、行かせてみることにしました。
着替えと歯ブラシとお気に入りのぬいぐるみの入ったバックパックを背負い、娘は「行ってきまーす!」と意気揚々と出かけていきました。サラフィーに手を引かれ立ち去る娘の小さな背中には、彼女のやる気やら好奇心やらが漲っているようでした。
翌日。
運転手に連れられお菓子やらおもちゃやらをたくさん手にして帰宅した娘は、なんだか自信たっぷりの顔をしていました。彼の家族に歓迎され、子供たちにもたくさん遊んでもらったようで、「楽しかった!」と言っていました。
警察に止められることもなく、眠れなくて困ることもなく、何の問題もなかったようです。懸念が杞憂のままに終わり、ほっとしました。
子供というのは、親の見ていないところで、自分の人生を切り拓いていく強さや逞しさを自ら少しずつ獲得していくものなのでしょう。初めてのお泊まりをエジプト人サラフィー家庭で難なくこなした娘を、私は誇らしく思いました。

ファリーダとの出会い 

 運転手とともに娘にとって大切な友達だったのが、ファリーダというエジプト人の女の子です。
ファリーダとは3歳になってから通い始めたブリティッシュ・スクールで出会いました。
娘はスクールバスで学校に通っていたので、私は当初、彼女を見たことがありませんでしたが、娘が家でよく彼女の話をしていたので仲良しなのだなとは思っていました。ある日娘が、彼女のお母さんの電話番号の書かれた紙を持ち帰ってきました。学校が終わった後、一緒に遊びたいので電話をしてほしいとのことでした。
折りを見て電話をすると、感じのいいお母さんが出ました。ファリーダはエジプト人にしては珍しく一人っ子で、お母さんが仕事をしているので、主におばあちゃんに面倒をみてもらっている、といった事情がわかりました。
彼女の家は我が家とは別の地区にあったので、放課後に遊ぶ際には、娘と同じスクールバスに乗ってうちまでやってきて、私が二人をピックアップし、しばらく遊んだあと夕食を食べさせ、車で彼女の家まで送りました。
ファリーダはモロヘイヤが好きだというので、夕食は毎回モロヘイヤにしていました。日本でも売られているモロヘイヤの原産地は北アフリカで、モロヘイヤという日本での呼び名はエジプトでの呼び名に由来しています。だからエジプトでも、モロヘイヤはモロヘイヤです。
エジプトでモロヘイヤというと、モロヘイヤの葉を細かく切り刻み、鶏やウサギのスープで煮込んだ真緑色のトロトロのスープを指し、それをご飯にかけて食べます。エジプト人は刃の両側に持ち手のついた特殊な包丁を使い、膨大な時間をかけてひたすら細かくモロヘイヤを刻んでいくのですが、私は面倒なのでフードプロセッサーを使っていました。またエジプト人はモロヘイヤを作る際にとてつもなく大量のサムナ(澄ましバター)を使うのですが、私は脂っぽすぎるのが嫌なので、いつもオリーブオイルとバターを少しだけ使って作っていました。自分で言うのもなんですが、私のモロヘイヤはうちの運転手をはじめとするエジプト人にも大好評で、ファリーダも娘もよく食べてくれました。
エジプト人は食に関して非常に保守的です。エジプト人に料理を出すときには、妙に工夫をしたり、奇をてらったりすることなく、基本に忠実なのが一番です。
日本では近年急速にハラール(合法)という言葉が一般的になり、「イスラム教徒はハラール認証を受けたものしか食べられない」という認識が広まっていますが、これは間違っています。イスラム教徒は確かにハラールな飲食物を口にしなければなりませんが、だからといって誰か、あるいはどこかの組織による「ハラール認証」を求めているわけではありません。実態は逆です。彼らは「ハラール認証」を受けたものしか食べてはいけないのではなく、神によってハラーム(違法)だとされたもの以外は全て食べていいのです。
私はこれまで色々なところでイスラム教徒に自分の作った料理を食べてもらう機会がありましたが、一度たりとも「これはハラール認証されているのか?」などと聞かれたことがないどころか、「ハラールか?」と聞かれたこともありません。「ハラール認証されたものを出して欲しい」とか「ハラールのものを出して欲しい」と要請されたこともありません。
エジプトの場合、存在するもののほとんどがハラールなので、そんなことを気にして生きているイスラム教徒はほとんどいません。またエジプトでもモロッコでも日本でも、うちにきて私の料理を食べるようなイスラム教徒は、おそらく私がハラーム(違法)なものを出したりはしないだろうと信用しているので、そういったことは言わないのだと思います。
食べ物を含め、いつであれどこであっても、他所様の子供を預かって遊ばせるというのは なかなかの重責です。安全を保ち、無事に送り届けなければなりません。外国人の子供となると尚更です。 しかしそれは私にとっては「プレッシャー案件」であっても、娘にとっては楽しみでしかありません。外国人も何も関係なく仲良しの友達だから一緒に遊びたいという、ただそれだけのことです。私にできるのはその環境を作ってあげることだけです。

ベスト・フレンド・フォーエバー 

 
5歳になりブリティッシュ・スクールの就学前コースを終えた時点で娘は日本に帰国し、 ファリーダはそのまま系列の小学校に進学しました。
それから約1年後、ファリーダのお母さんから「うちの娘が学校で書いたのよ」と絵本の写真が送られてきました。『二人の親友』というタイトルで、英語で次のように書かれていました。

 あるところにファリーダという名前の女の子が住んでいました。 彼女には親友がいました。 その子は日本からやってきた日本人でした。
二人は毎日学校で会い、とても楽しい時間を一緒に過ごしていました。 二人はどこへでも一緒に行きました。二人はスポーツクラブで遊ぶのが好きで、公園のブランコや滑り台で遊ぶのも好きでした。
二人は毎日アイスクリームを食べました。ファリーダのお気に入りはチョコレート・アイスで、親友のお気に入りはバニラ・アイスでした。ある日、親友はお父さんの仕事の都合で日本に帰らなくてはいけないことになりました。二人はとても悲しくなりました。
もう一緒にいられなくなってしまうからです。
二人はずっと親友でいようね、毎日電話で話そうね、と約束しました。

 この本文に続いて、「著者について」というページには次のようにあります。

 ファリーダはブリティッシュ・スクールに通う6歳の女の子です。彼女はおもちゃで遊ぶのが好きで、水泳とバレエのレッスンも好きです。おばあちゃんと料理をするのも好きです。ファリーダは賢くて感じのいい女の子です。彼女にはたくさんの友達がいますが、彼女の親友は今でも日本人のあの子です。

エジプトから帰国後、私たちは2年間ほど日本に住み、娘にも日本人の友達ができました。あれほど達者だったアラビア語も英語もすっかり忘れ、そのかわりに日本語を話すようになりました。
その後、今度はタイに住むことになり、娘には新しい学校でタイ人や他の国の友達ができました。
それでも「親友は誰?」と聞くと、今でもファリーダだと答えます。
小学校も高学年になると、子供たちは友達関係でも難しい時代に差し掛かります。仲良しの奪い合い、嫉妬、陰口、喧嘩、いじめなど、学校でも小さな問題は絶えません。ところがファリーダと娘の場合は二人きりの関係で、物理的に離れているかわりに、二人の間を邪魔する人間もいません。なにか特別な親密さがそこにはあるようです。
2020年のコロナウイルスのパンデミック時には、私たちの住むタイでも、ファリーダの住むエジプトでもロックダウン措置がとられ学校が閉鎖となったため、二人はこれ幸いとばかりに延々と電話でしゃべったり、一緒にオンラインゲームで遊んだりしていました。
ロックダウン中、私たちは早朝に近所にある小さな祠までジョギングしていましたが、娘はいつもそこの神様に「コロナがなくなってもロックダウンが続きますように」とお祈りしていました。登校が再開されると、これまでのようにファリーダと長い間電話することができなくなるからです。
パンデミックの際はずっと家に閉じこもらなければならなかったにもかかわらず、娘が常に元気いっぱいでご機嫌だったのは、ファリーダのおかげだったところが大きいと思います。ファリーダのほうも、エジプトの学校や友達の愚痴を娘に言ったり、ちょうど始まったラマダンの断食のつらさを娘とのくだらないおしゃべりで紛らわせたりしていたようです。
娘は「BFF( Best Friend Forever)はファリーダだ」と言います。日本語の「親友」という語には、BFFの最後のForever の意味が含まれていないのが不満なのだそうです。
娘に「永遠の親友」と呼べるようなエジプト人の友達ができた。 それだけでも、私たちのエジプト生活は有意義だったのかな、と思うことができそうです。(了)

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飯山陽『エジプトの空の下』四六判並製272ぺージ、本体1600円+税 11月19日発売

【目次】

1 娘と親友とサラフィー運転手

2 ピラミッドを破壊せよ

3 頭上注意

4 バット餅

5 出エジプト

6 髪を隠す人、顔を隠す人

7 ファラオの呪い

8 エジプトのアルカイダ

9 牛の腹

10 ふたつの革命