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60歳からのしゃる・うい・ ダンス 01「ひとりでムカついているよりも…踊ってしまえ」

私が社交ダンスを始めたのは1年前の2023年1月13日。63歳の誕生日のちょうど2ヶ月前のことだ。

社交ダンスしていることを誰かに話すと、必ずといっていいほど「なぜ社交ダンスを始めたの?」と尋ねられる。そこには「なぜ社交ダンスを?」と「その歳になってからなぜ?」という2つの質問が含まれている。

動機を最初から説明すると長くなって飽きられるので、まずは「わがままになることを決意したんです」と答えることにしている。

日本で社交ダンス人口を増やしたことで知られる映画『Shall We ダンス?』(周防正行監督、1996年公開)では、役所広司が演じる主人公の杉山正平が始めた理由を尋ねられて「健康に良いと聞きましたので」と答える。監督の周防さんが映画のために日本で社交ダンスをしている人をリサーチした時にほとんどの人が「健康のため」と恥ずかしそうに答えたらしい。そこで周防さんは「健康のため」というのは表層的な言い訳であり、本音は別のところにあると解釈したようだ。

映画での杉山の動機は電車の中から見かけたダンススタジオの美人の先生岸川舞である。杉山は良い妻と娘に恵まれ、ようやく念願の自宅を購入したのだけれど、最近鬱っぽくなっている。人生がオートパイロットになって生きがいが見つけられないことを自覚していない杉山が社交ダンスを始めた動機は不純である。少なくとも踊りたいからではない。

思い切ってスタジオに足を踏み入れた杉山だが、若くて美人の舞先生は個人レッスン担当である。1回6千円という高額の個人レッスンを受けられない杉山はもっと安いグループレッスンを始めることにするのだが、そのビギナークラスの担当は年配の田村たま子先生だ。たま子先生は初心者の男性3人に自己紹介する時に「おばあちゃんでがっかりした?」とにこやかに尋ね、一人が「いやとんでもないです。やさしそうでほっとしました」と慌てた様子で答える。良い映画なのだけれど、このようにこの映画で時々出てくる「男性が社交ダンスを始める動機は若い女性とダンスで接触すること」、「年配の女性は年下の男性と踊る時に申し訳なく思わなければならない」というニュアンスは実際に社交ダンスをしている人にはツッコミを入れられそうなところだ。特にたま子先生を演じた女優さんは当時まだ50代前半なのだから、彼女の口から「おばあちゃん」なんて言葉を出させた犯人を呼び出して説教したくなる。

少なくとも私が知っているアメリカでの社交ダンスの世界では、踊りが上手な人であればジェンダーも年齢も関係なく憧れの的だ。たま子先生ならダンスパーティで休む暇なく誘われることになるだろう。

この映画でも結果的に杉山は社交ダンスの魅力に取り憑かれるのだけれど、実際に社交ダンスをしている人は、最初からダンスの魅力そのものが動機だと私は思っている。どこかで見かけたかっこいいプロのダンサーの踊りが脳裏にこびりついていて、その姿に自分を重ね続けたあげく、どうしても実現したくて始めたのではないかと。でも、踊りの魅力を知らない人にそれを説明するのは難しいし、恥ずかしいので「健康のため」と答えたと思うのだ。
私の最大の動機も似たようなものだが、行動を取る背中を押したのは長年コツコツと貯めてきた家族に対する鬱憤である。

新型コロナウイルスによるパンデミックが始まった2020年は誰にとってもストレスがたまる年だった。ちょうど翻訳書を含む2冊の本を刊行したところで、3月の刊行記念イベントのために2月末から日本に帰国する予定を立てていた。その機会に帰省して80代後半になった母と久しぶりに会うのも楽しみだった。しかし、1月にはまだ「中国での謎の感染症」の噂でしかなかった新型コロナは2月になると全世界に広まっていた。そのうち収まると思って最後まで迷ったけれども、妹からの「日本に来てもらっても、感染の危険があるからお母さんには会わないでほしい」という言葉もあり、イベント参加者の中から感染者が出る可能性も考えて出発予定日の2日前にすべてをキャンセルした。今振り返ると正しい決断だったのだが、パンデミックで日本が海外からの門戸を閉じている間に母は他界してしまった。

娘はパンデミックが始まってすぐの5月にメディカルスクール(医学大学院)を卒業して救急医になったので、危険な現場で働く娘を母として心配する毎日だった。そして、近くに住んでいても直接会うことはできない。
そんな状況でも、夫はわりと平然としていた。もともと自分の興味があることを見つけて誰にも遠慮せずにどんどん実行してしまうタイプだから、ヨーロッパ諸国での講演の仕事がキャンセルになってもあまりがっかりせずにすぐにやりたいことを見つけた。

その中でも彼が熱中したのは最高レベルのキャンピングカーを購入して自分の好みに改造し、それでキャンプに出かけるというものだ。私も最初の1年は前向きな姿勢で参加したのだけれど、本音を言うと、せっかくのバケーションなのに不便な場所で料理をして片付けるキャンプはふだん家事をしている女性にとってストレス解消よりも疲れをためるほうが大きい。そのうえ夫はキャンプだけでは物足りなくなり、ロングトレイルという厳しいトレイルを1ヶ月かけて歩く目標を立て、そのためのトレーニングを開始した。私の役割は、彼がトレイルを歩いている地まで4日に1度片道4時間運転して食料品を運ぶヘルプをすることらしい。いつものごとく、その期間私に時間があるかどうかは打診されていない。

熱意を持って生きる夫の姿勢は尊敬するが、時折私にとって迷惑である。

2022年4月に初孫娘が誕生し、その前から私たち夫婦は娘から子育ての援助を求められていた。研修医としての娘のスケジュールは厳しくて不定期だし、生物学者の娘婿の勤務先は車で片道1時間半の遠い場所にある。研修医の給料は非常に安いのに、ボストン周辺の賃貸住宅は非常に高く、メディカルスクールの学費ローンも返済しなければならない。だから1ヶ月3500ドル(約56万円)もかかるフルタイムの保育園に入れる経済的なゆとりなどはない。そこで、娘婿が勤務する月曜から金曜の5日間、娘婿の両親と私たち夫婦が2日ずつ孫の面倒をみて、残りの1日のみ「ナニーシェア(子守を雇っている家の両親がコストを下げるために自宅で子守をシェアする)」に行く、という案だった。

それに対して「やりたい!」と真っ先に引き受けたのが夫だった。娘が幼い時にほとんど家にいなくて子育てに関わることができなかったから、余裕ができたいま、孫でその体験をしたいというのだ。

私は複雑な心境だった。娘を援助したいし、孫にも定期的に関わっていきたい。けれども、長年我慢してようやく手に入れた自分の時間を手放したくなかった。

そこで私は夫に「本当にやるつもりなら50-50にしてくださいね。20-80で私に80%押し付けて自分でやったつもりにならないで」「1度オムツを交換しただけで、『僕はオムツも換えている』なんていばらないように」と何度も念を押した。

夫は「もちろん半分はちゃんとやる」と約束したが、私の悪い予感どおり、それは実現しなかった。孫の世話をする予定になっている日に私に打診もせずに出張を入れてしまうし、家にいてもビデオ会議を入れてしまう。それを指摘すると「仕事だから仕方ない」と嫌な顔をする。娘が誕生してから大学に入学するまでの期間のデジャヴュである。孫と一緒にいる時でも、iPhoneをチェックしたり、メールの返信を打ち始める。注意すると「たった5秒だけなのに」とムッとするといった具合だ。本人は5秒だと思っているかもしれないが、もちろん実際はずっと長い。私が孫と遊んでいると、自分の役割は終わったと思うのか無言で姿を消してしまう。仕事だけでなく、以前のように遊びでの海外旅行も予定に入れてしまう。

最も迷惑なのは、自分が子育てを怠っているという自覚がないことだ。
先日「私がこれまで単独で孫の面倒をみた日数をあてられる?」と尋ねてみたところ夫は「5日くらい?」というので「50日」と言ったら「そんなに?」とびっくりしていた。びっくりしていたが、反省はしていない様子だ。

娘婿の出張と娘の1日12時間(移動時間を含めると14時間)勤務、夫のキャンプ旅行が重なってひとりで孫娘をケアした4日間、私は『ジャンル別 新洋書ベスト500プラス』の追い込みで猛烈に忙しかった。午前3時起床で仕事をし、孫が眠りについた午後7時から11時ごろまでまた仕事をしてヨレヨレになっていた。

寝不足で朦朧とした頭によぎるのは、娘が幼い頃のワンオペの記憶だ。1年のうち家にいた週末は5日だけだった夫は、仕事も忙しかったが、海外出張の時には前後に遊びも入れていた。ストレスがたまらないためにも重要な息抜きだと思ったから私は文句を言わなかったし、むしろ勧めていたところがある。娘に対してもそうだ。6歳の時から競泳を始めた娘のために私は送り迎えに何時間も費やし、娘がストレスをためないように他の活動をするよう励まして自分の時間を削って援助した。

こういったことを長年やっているうちに、2人にとって私が彼らのために自分の時間を犠牲にするのは「当たり前のこと」になってしまったのだ。だから「申し訳ない」などとは思わない。

この事実に気づいたとたん、長年蓄積してきた鬱憤が風船のように膨らんできて破裂しそうになった。

でも同時に「悪いのは私かもしれない」と気づいた。

「私の時間を犠牲にしてもいい」と2人に教え込んだのは私自身だ。2人にとってかけがえのない人物になるために自己を犠牲にしたのなら、私にも非がある。

そこで2022年末に決意したのが、「来年から自分のやりたいことを優先する」である。そして、「やりたいこと」に選んだのが社交ダンスだったのだ。

元々音楽が流れてくるとスーパーマーケットでも踊りだしてしまう私なので、ちゃんとしたダンスを習いたかった。社交ダンスはパートナーが必要なので何度か夫に「社交ダンスを踊りたいから一緒に習おう」と持ちかけたのだけれどリズム感がないことを自覚している夫はダンスに対して苦手意識があり「嫌だ」と拒否する。

待っていても夫の気が変わることはないだろうと諦めて自分だけで習うことにした。

『Shall We ダンス』にも出てきたが社交ダンスは高い。私が通っているスタジオでは45分のレッスンで150ドルかかる。大きなイベントになると参加費や宿泊費などで2百万円近くかかるという話だ。私はまだそれほど大きなイベントには出ていないが、かつては想像もできなかったほど時間もお金も費やしている。自分でも恐ろしくなるのだが、親友は「ディヴィッド(私の夫)が買う高い玩具(キャンピングカー、アポロ宇宙計画コレクション、グレイトフル・デッド関係コレクション)の数々を考えたら、たいしたことないわよ」と浪費をけしかける。

「あの世にお金は持っていけないのだから、使えるうちに使ったほうがいい。遺産を残しても良いことはないよ」という友人の助言も私自身の体験や目撃したことからおおいに納得できる。

それに夫自身が文句を言わない。むしろ「それほど没頭できることができてよかったね」「ハッピーそうで何より」と応援してくれている。あれほど頑なにダンスを拒否していたのに、最近では私が出場するイベントにやってきてビデオ撮影をしてくれたり、ダンスイベントに同伴して無料ビギナーレッスンを試してくれたりするようになった。

社交ダンスを始めて気づいたのは、夫や娘には私を犠牲にしているつもりがまったくないということだ。彼らは、私がやりたくて自主的に尽くしているのだと思っている。それが私の趣味だと思っていた様子だ。

だから無理な時には「私はダンスがあるので、その日は孫の面倒はみられません」としっかり断るようになった。長年の癖で申し訳なく感じてしまうのだが、断られたほうは気にしていない。私ができない時には別の方法でちゃんと対処している。そして、私が予定を変更して援助してあげる時には「忙しいのにごめんね」と以前より感謝されるようになった。

「家族の犠牲になっている」という不満を抱えてひとりでムカつき、どんどん不幸になっていくくらいなら、思い切って踊ってしまったほうがいい。

ああ、もっと早く踊っていればよかった。


社交ダンスを始めてから1年半後のアメリカンタンゴ(撮影者:Nelia Claudino)