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対話3-B それはインチキ自己肯定かもしれません……(二村ヒトシ)

石田月美さま 

女性に向かって「君の心の穴がね……」と聞いたふうな分析を述べながらチンチンを勃てながら近づいてくる男性に対し、その女性が、

「そうやってチンチン勃てながら私の心の穴の話をしているのは、君が私を愛したいからではなく、私の性的魅力のせいでもなく、私を分析することで私に精神的に侵入して優位に立ちたいという君の心の穴のなせるわざだね。私じゃなくても女なら誰でもいいんでしょとは言わないけど、私に対しては優位に立てそうだと君は感じたんでしょうね。支配できそうな女を見つけると欲望が起動してしまう穴がなぜ君の心にあいたのかについて、話をしましょう。君が相手を支配には見えないようなかたちで巧妙に支配できれば性的に興奮するようになってしまったのは、きっと、君が子供のころお母さんもしくはお父さんに侵入されすぎたか支配されすぎて苦しい思いをしていたからで、あなたにとってのセックスや恋愛は、その復讐なんでしょうね…。苦しかった? だから今でも誰かと親密になると苦しくなっちゃって、セックスができたら相手とそれ以上の親密さを築かずにタッチ・アンド・ゴーで逃げ出すのまでがセットになっているんでしょう? それが自分でもわかっているのに、心の穴の話で女を分析して口説いてセックスだけをして逃げ出すことが、やめられないんだね…。かわいそうに……」

と言ったら、その男性のチンチンは萎えますかね? それとも「人のことを決めつけるんじゃない!」と怒りだしますかね? もし怒ったら完全に馬鹿ですよね。それとも、やっぱり「君は素直じゃないね……」と言いますかね? もし「なかなか面白い女だな」とか言いだしたら、めちゃめちゃキモいですね。

あまり「女性はこうで男性はこう」という話をしたくないんですが、この件に関してはまったく月美さんのおっしゃるとおりで、男女の反転したケースは少ないんだろうと僕も思います。そして僕もこの件に関して、月美さんが指摘するような男性たちは「卑怯で愚劣だ」と思います。

「なぜ、男が女を分析すると、分析された女は分析してきた男とセックスしてしまうことがあるのか? 逆はあんまりないのに」

これだと、雑な問いですね。

「なぜ、ある女が抱いている苦しみを彼女の前で男が分析してみせると、あるタイプの女はその男が自分を理解してくれたと思って、そいつの『セックスもしましょう』という要求を受け入れてしまうことがあるのか? そういう男は、なぜその女が望む親密さを築こうとせずにセックスしたら逃げ出すことが多いのか?」

主語が大きすぎるのかなと思っていろいろ形容詞をつけたりしてみて、この前半の「なぜ」は考えてもしかたがない、無意味な「なぜ」なんだなあと気がつきました。ここで「なぜ」を考えても事態は改善されないからです。

月美さんが言うとおり彼女は「無垢な被害者」とは言い切れないのかもしれない(だからこそ自己責任論が自ら生じてしまう)。 セックスしたくなったのは「彼女も」なんでしょう。そこには同意はある。

しかし元々彼女には心の穴の作用というか本質である「さみしさ」があったわけです。そして彼女が望むような親密さを彼女とは絶対に築かない、親密になったら今度は彼の心の穴が痛みはじめるような男だから、 彼は彼女の「さみしさ」に目を着けた。そもそもの関係をもつことの動機が「侵入できそうだから」だったのです。彼女がさみしさを埋める親密さを求めてくることは、わかっているのに。

『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』。このタイトルも、タイトルそのものが問いです。 この問いは、たしかに読者の意識を「あなた」つまり読者自身に集中させ、次に、その原因を作った「過去」に集中させてしまい、いま本人の心の外にある状況や「これから具体的に、どうするのか?」という「未来」の問題を見えなくさせる可能性がありました。

(そのことは、じつは『なぜあなたは〜』の巻末に収録した丸山桜奈さんとの対談でも丸山さんが言及してくれました)

本の真ん中ぐらいに出てくる「あとがき」にも「男性読者に向けてのあとがき」にも、「この本に書いてあることを異性に向けて言うのはダメです、それは相手を支配しようとすることですから」というような取扱説明書みたいなことは書きました。

書いたときはそう書きましたが、いまは少々ちがう気持ちです。やはり自己責任論になりやすく自罰感情のトリガーを引きやすい「それは君の心の穴だね」という言葉は、男性から女性に向けて使ってはダメですが、むしろ女性から男性に向けては、内省を促すためにガンガン使うべきなのではなかろうか。いや、内省を促されて逆ギレして肉体や言葉の暴力を振るう男とかがいたら、まずいですが(いるだろうな……)。

女から自分の心の穴をうんぬんされたくないという、虚勢というか「負けず嫌いさ」が男には(と、あえて再び主語を大きくしますが)ある。もちろん負けず嫌いの女性も沢山いるのでしょうが問題にすべきなのはそこではない。

多くの男は他人を分析する事は大好きなくせに、自分が他人から分析・解体されることが大嫌いなのです。一人で自己分析の沼にはまって動けなくなる男は少なくないですが、でも有効な自己分析というのは一人ではできない、他者の力を借りないとなかなかできないことでしょう。

『ちゃんと愛せないのに女を口説く男たち(たくさん恋愛したがるモテ男と、恋愛したがってヤバい行動にでる非モテ男の両方。ついでに結婚できたら妻を支配したがる男も)の心の中では何が起きているのか』 という本こそが書かれるべきなのかもしれません(売れなさそう……。いや、そうでもないのかな)。

非モテの男性も、モテてはいるが(モテていることによって)女性に対して無意識の加害をしてしまう男性も、仕事中毒の男性も、仕事でモラハラしてしまう男性も。自分が「なぜ」そうなのか、侵入や支配や加害依存をすることで「どんな」自分の心の穴を埋めようとしているのか、考えるべきなように思います。そのほうが本人の最終的(?)な幸せにつながりそう。

でもそれも、あまりに自問自答ばかりを繰り返していると心の外にある関係性が見えなくなって、他罰的な被害者意識が転じた攻撃性が強くなってしまうのかもしれない。

そして、以上のことは(僕は気が早いかもしれません、月美さんは次回その話をしようと思っておられたのだろうと思いますが)月美さんの図における第4象限、心の穴という言葉の「なんでもかんでも、そこに入る」万能さがもつ問題点と関係あるんだと思いました。

「良いこと(あなたの魅力)も悪いこと(あなたの苦しさ、さみしさ)も、どちらも心の穴から湧いて出てくる」と語ることは、考えなければいけないことを不問にしてしまいます。だって実際に恋愛や家族関係のなかや仕事のうえで、悪いことは起きますから。

「人間の心とはそういうものである」という雑な分析(決めつけ)は、過去のことばかりを考えさせて未来のことを考えさせないようにします。悪いことは具体的に、次の段階では「良いこと」にしていかなければ苦しいままです。 

心の穴が、認知行動療法でいう「スキーマ」、つまり幼いころの欲求を阻害されたことで持たされてしまった「無意識の信念」と近いものなのだとしたら、その信念によって生み出される自動思考や自動行動のなかで「本人の不利益や不都合を呼ぶようなもの」は、はっきり選別されるべきでしょう。

「心の穴は埋まらないが、かたちは変えられる」というややこしい言いかたで「それは穴である」と比喩するよりも、「持たされてしまった信念なのだ」とするほうが、自罰感情が強い人にも「信念にすぎないんだから、解除することはできるんだ」と思えそうな気もします。

恋愛において、相手は変わっても同じことを繰り返していて、それが不幸なのだとしたら「それは心の穴だから仕方がない。いつか自分の心の穴のかたちが把握できたら、自然と変わる」なんてフワッとしたこと言ってないで、どうすればそろそろ同じことを繰り返さなくてすむのか、どうしたら搾取されたり搾取したりしなくなるのかを具体的に考えなくてはいけません。

搾取されたりしたりには楽しい一面もありますが、それはあくまでも双方にとって「遊び」で、人生を決定的には損なわないように慎重に楽しまなければならない。あるいは「楽しい」と感じること自体が、まちがった自動思考である可能性もある。

「心の穴というものがある。それは、良いものでも悪いものでもない」という口当たりの良いことを言って、そりゃあまあそうなんですが「そりゃまあそうなわけだから誰も反論できない」という状況を作り出して、僕は悪質な現状追認というインチキ自己肯定をして、僕たちはこのままでいい(なので、心の穴で苦しんでる人は自己責任で何とかしてクダサイ)と逃げつづけてきました。考えなければいけないことは「じゃあ、恋愛で苦しい人や不幸になる人は、どうすればいいの?」です(苦しい人というのは女性だけではなく、モテていない男性や、ここは意見が分かれるでしょうがモテている男性もです)。月美さん、いっしょに考えてください。どうかよろしくお願いします。

二村ヒトシ