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対話2-B 「心の穴」とは「心のくせ」なのかもしれません……(二村ヒトシ)

石田月美さま

月美さんが提示してくださった心の穴という言葉への疑問点というか、その問題点は、 整理すると以下のようなことなのかと思います。

1 「心の穴」とは何を指しているのか曖昧すぎる。ちゃんと定義してほしい。なんでもかんでも心の穴のせいということにしてしまうと、かえってわかりにくい。

2-1 「穴」と表現することは「欠落(心の不完全さ)」を想起させて、人によっては自責の念を抱かせる。自己責任論になってしまうのではないか。

2-2 「あなたの心の穴が……」と言われると自分の内面のことばかりに意識が向き、他者との関係から孤立してしまうことがありうる。

2-3 恋愛や家族問題や対人関係で困りごとに陥ったさいの、他者や環境の責任については考えなくていいのか。困りごとが「被暴力」だったとき、暴力は暴力をふるわれる側の「心の穴の問題」ではなく、あきらかに暴力をふるう側が悪いのだから。

3 「あなたの穴からは魅力も生じているよ」という表現は「侵入の言葉」であって、恋愛で傷つけられた人の弱みにつけ入り、傷つけた側が自分を正当化するために使われる恐れがあるので危険ではないだろうか。誰のためにこんなことを言っているのか。

4-1 恋愛というものが基本的に「親との関係の再現(再演)か、親が与えてくれなかったこと(親に奪われたこと)を取り戻そうとする行為」だというのは、あまりにも話が雑ではないか。

4-2 「自分の心の穴のかたちを知る」というのは具体的にどういうことなのか。それが「自己受容する」ということなのか。

4-3 「なぜそんなかたちの穴があいたのかを思い出す」というのは具体的にどういうことか。それが「自己受容する」ということなのか。

もし漏れがありましたら、あるいは僕の要約に誤りがあるようでしたら、またご指摘ください。それと今回の原稿で全部ちゃんと答えられるかどうかわからないので、できなかったら次回に持ち越させてください。

では、まず1から。

おっしゃる通りだと思います。曖昧にしておくのはよくないので「心の穴」をちゃんと定義してみます。

心の穴とは、その人に固有の「ものの考えかたと。感情の抱きかた(ああいうものを憎む、こいうことをされると嬉しい、悲しい、ああいうことを言われると怒ってしまう、こういう状態だと安心できる等)と。自分では意識的にやってると思い込んでいるが実際にはコントロールできていない行動と。性や愛情についての欲望(どんな人が好きか、どんなふうに愛されたいか、どんなふうに愛したいか、どんなセックスがしたいか、そもそもスキンシップやセックスが好きか嫌いか、どんな社会的な行動を「セックスの代わりに」やって充足感を得ているか等)と。社会的な欲望(どんな人だと他人から思われたいか、どんな仕事がしたいか、どんな家族が欲しいか、それとも家族はいるのかいらないのか等)と。それらの欲望や生理的な欲動による、行動や人間関係に依存してしまう度合い」の傾向のことである、という定義ではどうでしょうか。

長いな。こう羅列しても、まだ「なんでもかんでも」感ありますね。 もうちょっとシンプルにしてみます。

その人に固有の、自分ではコントロールできていない感情と欲望(と、それらによる思考や行動や人間関係、それへの依存度など)の傾向。

「自分では意識的なつもりだが実際にはコントロールできてない、その人に固有の傾向」というのは、簡単にまとめて「癖(くせ)」と言っちゃったほうが、もっとわかりやすいかな。

心の穴とは、感情と欲望の「くせ」のこと。

スッキリしますね。スッキリしすぎてて今度は何も説明してないのと同じになっちゃったかな。

自分で意識・制御できてると思っている思考や行動や人間関係、その人の歴史みたいなもの(成功も失敗も)は、たいてい、その人の感情や欲望の「くせ」で作られてる。その「くせ」が「心の穴」であるとする。

このくらいのほうが自分で定義してて納得した。

つまり僕は「好みや憎悪はもちろん、思考や行動も本人の意思じゃなくて、なにか原因のある無意識のせいである場合が多いんじゃないの? そのことに気づこうよ」と主張したかったのです。

くせは自分ではなかなか意識できない。4-2の問いに先に答えることになるのですが、「自分の心の穴のかたちをなるべく知るべき」とは、自分でコントロールできなくてついやってしまう言動も、そういう部分を「どうコントロールできない自分であるのか」を認識しようよ、ということです。

『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』の中でも、僕は「心の穴というものは、なくなることはない。だが自分の心の穴のかたちを知ることで、生きづらくない(本人も周囲も苦しまない)ような穴のかたちに変えていくことはできる」と断言しました。

(僕の書くものは、こういうふうに語句の定義を曖昧にしたままエモく断言して終わらせることがあるから、ある人には希望を与えて強烈に受け、ある人からはいかがわしがられ、最初は「なるほど!」と納得するけど「じゃあ具体的に、どうしたらいいのだ?」と困る人も生んでしまうのだと気づきました)

心の穴とは、心の「くせ」のことである。

えっ? とズッコケられたかもしれません(読み返して、自分でズッコケました)。「だったら最初からそう書けよ」と。

 穴という表現を思いついて採用したのは、やはりそれが「いつか誰か(何か)によって、掘られたものである」と強調したかったからです。

そして月美さんの2-1と2-2で提起された可能性については、考えていませんでした、というわけではなく、『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』のあとがきのような対談でライターの丸山桜奈さん(原稿をまとめてくれた、ほぼ共著者)からも「この本自体が、恋愛で恋される(させる)側の、しかも男性である二村さんによる、壮大な自己弁護と責任転嫁ですよね」という意味の指摘をされていました。

月美さんの今回の問題提起を読んでから、返答(この原稿)を書く前に、信田さよ子さん(『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』で僕と対談もしてくださいました)の『家族と国家は共謀する――サバイバルからレジスタンスへ』を読んだんです。ロシアとウクライナの戦争も始まっていましたし。

信田さよ子『家族と国家は共謀する――サバイバルからレジスタンスへ』角川新書、2021

読んで、衝撃を受けました。すごい本でした。まさに月美さんの2-2と2-3の問いと同じ問題提起が、やはり個人の歴史にではなく男女の歴史に向けて、全篇でなされている本でした。

そして、僕の本を熱心に読んでくれているある女性から「私は昔、なぜ自分はこんなに男運が悪いんだろうって思ってたんですが……、二村さんの本を読んで、ああ私も悪かったんだな、ってわかりました」と言われて、とっさに「いや、そういうことじゃないんですよ!」 と言うことができなかった(言うべきでした)ということも、つい最近ありました。

「あなたの心の穴が、いろいろと良くない結果を生んでいる。だから自分の心の穴のかたちを知ろう」というアドバイスは、恋愛関係でなんらかの加害をしてしまう、自分は「まとも」とか「普通」だと思っている人にこそ向けられるべきなんでした。

自分を知るのは(月美さんも書いておられるように)よいことですが、いまピンチにある人が、原因は自分にもあるという前提で自分を振り返りすぎるのはよくない。「原因は自分にもある」から「自分が悪い」までは、ほんの一歩です。

さらに 『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』の中で僕はこう書いています。 

恋が次第に息苦しくなっていくのは、相手の存在を使って「自分の心の欠けている部分」を埋めようとしているから 

あらためて読んでみて我ながら思いましたけど、これ、たしかに恋愛で「弱い立場」になってしまう人が読んだら「自己責任論」になってしまう。これも、だから恋愛強者に対して自省を促すために言うべき言葉なんですよね。

「あなたが恋をしてしまって(あなたに恋させて)あなたを苦しめている人の魅力は、その人の心の穴なんだから」と繰り返すべきだったんでしょう。

そして結局それも、状況の分析(あるいは、恋させてしまった側の自己弁護)にすぎなくて、「じゃあ、どうしたらいいの!」と問われたときにするべき話は、心の穴がどうやってできたのかという「精神分析」ではなかったということでしょう。

二村ヒトシ