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いじめ・ハラスメントを乗り越えよ?

・はじめに

年の瀬が近づきあわただしい世の中となってきたが、またまた悲劇的なニュースが舞い込んできた。愛知県弥富市で中学3年生が同級生を刺殺したというものである。

この事件に関しては、「いじめ」の有無が取りざたされているが、(この記事投稿時点)未だ本当の原因は未解明となっており、さらなる追求と対策が望まれている。

学生にとって学校での「いじめ」は大きな問題だが、それは決して学生だけの問題ではない。社会人らも最近各種「ハラスメント」が大きな問題となっている。有名なものはセクハラ・パワハラの2つだろうが、下記サイトによると

最早いちいち意識することもできないくらいのハラスメントの存在が指摘されており、何かのギャグのような気すらしてくる。そんないじめ(ハラスメント)について考察してみたい。

・いじめの定義

いじめが世の中から無くならない理由、その一つは「定義」が難しいことではないか、と思う。何をもって「いじめ(ハラスメント)」と捉えるか、は専ら「される側」がどう感じるか次第だからだ。加害者側にとってはただの「イジり」「ユーモア」だったとした場合、彼らにとって全く「悪意」はない。会社においては上司の「厳しい指導」であっても、ある部下にとっては「私のためを思っての愛情」だったり、別の部下にとっては「明確なパワハラ」だったりするから難しいのである。法律などによって「このような行為は犯罪!」と定義することができないのだ。

例えば学校において、
「やーい!お前算数60点なんて、相変わらずアホだなー!俺100点だもんねー!わはは!!」

この程度は小学生にはおそらく日常会話だろう。ところがこれでも死にたいほど大きく傷ついてしまう子供も中にはいるということだ。いじめを根絶せよと指示を受けているだろう先生方も、さぞかし気苦労が絶えぬであろうと想像する。

余談だが、私は小学生時代は無口な性格が災いしてか「いじめられっ子」だった。ところが黙ってそれを受け入れるような子供ではなく、相手の靴を隠したり、机のものを勝手に捨てたりと、かなり(今考えれば)陰険な「仕返し」をする子だった。当然当時「罪悪感」などゼロだ。

この様に「いじめ」の問題は極めて複雑で、そうそう根絶などできなさそうに思える。

・ハラスメントも無くならない

学校と同様、職場におけるハラスメント(特にパワハラ)による自殺等のニュースも後を絶たない。最近だと自衛隊や公務員をはじめ、超大手広告代理店、世界的自動車メーカー、大手運輸会社などなど、世界に冠たる日本の巨大企業でもこの手の不祥事が数珠つなぎになって出てくる現状である。

はた目から考えるに、部下に対してパワハラを発動するような人間が、なぜ管理職(上司)になれたのか、ここら辺の会社なら人材はあまたいるのではないか?などと思ってしまうが、これもまた難しい問題である。

基本会社において「出世」するのは、個人プレーヤーとして有能とされる人間である。後は上司との関係を作ることが上手な人間だ。このような社員が会社から評価され、管理監督者に出世していく。ところが彼らが部下の指導・育成にも長けているという保証はない。

よく野球等スポーツで「名選手は名監督にあらず」と言われるが、それは企業社会においてもある程度当てはまると思う。自らがプレーヤーとして有能とされている人間が、それを上手に「伝える」ことができるとは限らない。スポーツ同様、大して労せず最初から備わっている能力を、それを持たない部下に伝えるのは難しいのである。

かくして「部下として優秀」は「上司として優秀」に直結せず、今日も日本中の会社でパワハラが横行することになる。かといって有能な個人プレーヤーに「出世」という「餅」を与えないわけにもいかず、パワハラ等のハラスメントも根絶するのは難しいのだろうと思われる。

・では、どうする?

いじめ、ハラスメントがなかなかなくならない以上、「被害者」諸氏はどうする?親や先生や役員に訴える?これもなかなかやれたものではなかろう(場合によってはより深刻化することもある)。私はとにかく、「遠慮なく逃げる」しかないのでは、と思っている。

「問題に対峙せず逃げる」と言うといかにも弱腰で卑怯そうなイメージだが、全くそんなことはない。どんな動物でも戦って勝てそうにない敵からは一目散に逃げる。

会社の場合はとっとと休職や転職、学生なら(転校が無理なら)せいぜい「関わらない」ことに尽きるだろう。そこで「ついでに親友も失うかも」などと思ってはいけない。精神を壊されるより数億倍マシだろう。

ただこれについては社会人より学生の方が難しい問題だろうと考えている。学生の場合、自分の意志で転校等できるわけがないこともさることながら、特に地方ではコミュニティが「硬直化したムラ社会」であることが珍しくない。

上述の中3事件の場合、舞台が弥富市という地方都市だったことで「やっぱりな」と思ったところがある。普通東京二十三区など都市部の場合、公立の中3の11月など受験一色のはずで、クラスの人間のことなど「どうでもいい」段階である。ところが地方の場合、行く高校も大体決まっている。休日もムラでのイベント等(祭りなど)がある。さらに「最悪」なのは、親同士もみな知り合い同士ということが珍しくない。そのコミュニティに適合できる人間にとっては居心地の良い空間かもしれないが、そうでない人間からしてみれば逃げ場がない。切羽詰まって精神を病み、凶行に走ってしまうこともあろうかと思う。これは行政からの対策(ムラ社会をある程度流動化させるような)が欠かせないと思うがどうだろうか。

・終わりに

そんなこんなでたまたま同じ学校や会社に入っただけの人間同士、全員とうまくやれるはずもなく、かといって学校や会社がなくなるわけでもない。結局やはり「潰れる前に逃げる」、周囲(行政や家族)は「逃げられるような環境を作る」ことに尽きるのではないかと思う。正直毎日自殺他殺のニュースを見るのは気が滅入る。日本はこれでも他殺は世界屈指の少なさ、自殺も(コロナの昨年はさておき)右肩下がりとなっている。ただし対策に終わりなし、少しでも悲劇が少なくなるよう願うのみである。

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