焚書坑儒2015?

本の話。

世の中にはたくさんの本があって、様々な意見が主張されています。

自分と同じ意見の本もあれば、到底同意できない意見の本もあると思います。


ただ、そのときに、

「同意できない意見の本だから、その本は燃やしてしまえ」

「自分はこの著者の意見に反対だから、その筆者を社会的に抹殺してしまえ」

とは普通は言わないと思います。このような言動・行動は、焚書坑儒と同じですよね。異常と言って過言ではないと思います。


著者の意見が自分の意に沿わなかったり、著者の考え方に生理的嫌悪感を覚えたりするのであれば、読者としては、基本的には「以後、その著者の本を読まなければいい」だけです。
もちろん、人種差別を助長するような意見を示す本や、自分に現実的な迫害をもたらすような考え方を表す本などは例外です。


著者の意見が自分と合わない場合に、上記のような「読まない」という行動以外に為し得ること、または、為すべきことは、「批判」であって、非難や圧力を加えることではありません。

尚、ここで私が考える「批判」とは

(1)その著者の意見(≠著者の人格や出自、家族等)に対する
(2)論拠に基づいた
(3)論理的な反対意見

のことです。


また、本の著者も、本という形で(出版という方法で)、世に意見や考え方を示した以上、「批判」については真摯に受け止め、必要であれば反論や改説をすべきと考えます。

自分の意見を公にしておきながら「批判」するな、という態度をとることは、少なくとも生産的ではありません。また、程度の差こそあれ、社会に影響を与えておきながら、自分は社会からの影響を遮断する(「批判」を抑圧する)という行動は一方的であり、一方的という意味で不公平だと思います。


ところで。

上記の見解――見解と言うほどの内容でもありませんが――は、ネット上での議論にも基本的には妥当する話です。

しかし、ネット上では、このような見解に冷静に立脚した議論が行われることは少ないような気がします。……少ないですよね? 私の誤解?

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