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【題未定】私が教員になった経緯と理由【エッセイ】

 若者の教員離れが問題となっている。ブラック労働と精神的な負荷の大きさが忌避される理由だという。私の勤務する私学の場合、公立の学校と比べると法律で規制されているため、労働環境は「まし」ではあるだろう。とはいえ若者の抱くキラキラした職場とは程遠い。少なくともフリーアドレス、カフェテリアなどのGoogle的なオフィス環境でないのは間違いない。

 私はおそらくこの記事が出るころに誕生日を迎える。43歳になるが、いまだに不惑とは程遠い心持ちで毎日を生活している。しかしながら教員としては20年弱の経験年数となり、学校の中では中堅の立場となる世代になった。

 そんな私が教員になった、なろうと思ったのはいつだったろうかを思い出してみる。教員を志望する、あるいは選択肢の一つとして考える若者の助けにはならなくとも、参考ぐらいにはなる情報になるかもしれない。

 私が教員という職業自体を意識したのは中学時代になるだろう。自分より小さい子供の世話に興味はなかったので、小学校の時に教員という選択肢を考えたことはなかったはずだ。数学が得意だったこと、中学校の中では比較的数学の担当教員が一番馬が合ったこともあるかもしれない。親が教員ではない私にとって、教員との関係は学校の中にしかきっかけが無いのは間違いないだろう。

 中学校の時の数学の教員は「楽」そうにしていた。そこそこベテランであったし、自習監督中や試験前の時間には試験勉強と称して自分は本を読んでいるような人だった。彼の姿を真っすぐに尊敬することはなかったが、飄々と仕事をこなす彼の姿を見て影響を受けたのは間違いない。勉強ができると自負していた当時の私はその程度の仕事なら自分もできると嘯いていた記憶がある。

 それほど尊大な私も、高校に入ると成績の低下に悩むことになる。周囲は医師、研究者、弁護士、メガバンク行員と将来の夢を語る中、自身を喪失していた私は将来を考えるのが苦になっていた。正直、公務員にでもなれればいい、町役場で仕事をするのも悪くないと考えていた。(その後しばらくたって町役場の採用試験も氷河期世代の私には高いハードルであることに気づくのだが)そのころは得意の数学も鳴りを潜め、すっかり低空飛行していたこともあるのかもしれない。

 転機は高校3年に上がったころだ。1年間ほどコツコツと数学を復習していた甲斐があったのか、最初の模試で上位につけることができたのだ。私の通っていた高校では「校内模試」なるハイレベル模試が存在していた。東大クラスの生徒で5割をとれるかどうかという難度の模試である。その模試の結果は私の自信を取り戻させることに十分な成果だった。

 数学に再度自信を持った私は理学部の数学科を志望することにする。この時点では教員を具体的にイメージしていたわけではないが、人にものを教えるのは嫌いでなかったし、予備校の講師へのあこがれもあったのだろう。担任との面談では「教員を考える」という旨を口にして面談を早く終わらせた。

 その後、大学時代の塾講師の経験で数学教員になることを決意することになる。今で言う「ガクチカ」(大学時代に力を入れたことの略)が人にものを教えることだった上に、それ以外に自信のあるスキルが無いのもあった。バイト先から社員に、という誘いもあったが10年後も昼夜逆転に近い塾講師を続ける気力はなかったため、教員を目指すことを決めた。

 私の教員志望の理由は、最初は楽そう、その後数学が得意、そして成り行きという比較的主体性のない選択を繰り返しの積み重ねである。したがって積極的に教員になりたいと決意したり、そのために大学進学を考えた人とは大きく異なることになる。

 しかし、教員志望者が減っているこの時代の若者にこそ参考になるコースかもしれない。とりあえず教員免許を取得しておけば、職業選択の一つとはなり得る。決して教員に積極的になろうとする必要はないし、教員がやりがいのある仕事だと強調するつもりもない。ただ、つぶしが効く選択肢の一つとして、まずは教員免許を取得してほしいと願うばかりだ。


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