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「偏差値」で大学を選ばせないという担任、進路指導担当者の矜持

生徒の進学指導を行うとき、「偏差値」で大学の良し悪しを論ずる風潮は非常に強いです。

もちろん、高偏差値大学に記憶力や論理的思考力の優れた学生が多いことを否定はしません。

実際、私の勤務校の卒業生を見てもその傾向はありますし、方々から聞こえてくる話からも同様です。自身の経験則から考えても、それほどずれた認識ではないでしょう。

「偏差値」とは何か

では「偏差値」とは何でしょうか。「偏差値」の定義を確認してみます。

$$
偏差値=\frac{x_i - \bar{x}}{s} \times 10 + 50\\ \\ただし,x_i=得点,\bar{x}=平均点,s=標準偏差,\\ \\s^2 = \frac{1}{n}\sum_{i=1}^{n} (x_i - \bar{x})^2(s^2=分散)とする
$$

平均点と自分の得点の離れ具合を指標化したものです。

つまり模擬試験の点数を集団の中心から考えてどのあたりにいるのかを表す数値と言えます。

注意すべきなのは、本番の得点ではなくあくまでも模擬試験の点数ということです。

「偏差値」は人間の優劣と関係するのか

結論から言えば、全く関係ないわけではありません。

高偏差値の大学に行った学生は記憶力や論理的思考力において他者より高い傾向があります。

それ自体は優れた能力です、そう足が速いぐらいには他者と差別化できる才能でしょう。ただ、それをもって人間としての優劣を測れないことは誰しもが知っているはずです。

しかし、いったん普及した偏差値という指標は想像以上に私たちを束縛します。

「偏差値」は無意識に思考を束縛する

例えば大学入試の合格時期などで、第一志望のA大学に合格した生徒が、ダメもとで受験した偏差値の高いB大学に合格したときなどです。

前提としてA、Bどちらの大学も進学地域や費用負担としてはほとんど変わらないとしておきます。

A大学は第一志望の大学で学部も3年間希望してきたところです。オープンキャンパスにも参加しており、大学で何を学びたいかまで固まっての出願でした。

かたやB大学は当初考えていなかったのですが、直前での成績の伸びから受験を決めました。しかし、合格したのは第一志望の学部ではなく、学問系統の異なる学部に合格しました。

こういったときに、本人保護者から大抵は相談を受けます。そして、本人あるいは保護者から「もったいないので」B大学に受かったのだからそちらに進学したいという希望が出ることがあります。

おそらく「もったいない」の意味には偏差値的なスコアに注目しているのかもしれません。

あれほど志望していた大学の合格を反故にするほどに、偏差値の5というスコアは冷静さを失わせ、思考を束縛するようです。

「偏差値」以外の指標を提示できるか

担任として、あるいは進路指導担当者としてこうした場面では、第一志望のA大学に行く方を私は勧めるようにしています。

事前に大学を調べており、学問への興味も確かなため、マッチングの観点から言えば最適な選択だからです。

しかし、そうしたときに教員側の知識が欠如していると偏差値に対して対抗できるだけの論拠を示せないのです。

大学の特徴、立地、研究実績や就職実績、社会的評価、卒業生の動向や第一志望でない学科へ行った場合のデメリットなどについて事例をストックしておくことで、主張に説得力をもたせることができるのではないでしょうか。

「偏差値」に振り回されるのではなく、うまく使う

こうしたことを書いていると、私のことを「偏差値」忌避や否定論者と見る方もいるのではないでしょうか。

しかし、そんなことはありません。河合塾やベネッセの偏差値に関してはそれぞれの特徴(中上位層と中下位層をターゲットにしているなど)を踏まえた上で進学指導に役立てています。

地方の高校であっても全国との比較ができる指標を使わないわけはなく、その恩恵にはしっかりとあずかっています。

偏差値は集団内における自分の位置を知る手段としては非常によくできている統計指標であると言えます。特に通常の分布、平均点の100点満点試験での数値は実態との乖離が極めて少ないものです。

だからこそ、進学先の決定など人生の選択においてはあくまでも指標の数値であるということをしっかりと踏まえて、偏差値に振り回されるのではなく、うまく使うことが重要だと思うのです。

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