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【題未定】僕たちは写真の話をしたい写真家ではなく、カメラの話をしたいオタクなんだ【エッセイ】

 最近写真に嵌っているという話はnoteに何度も書いている。写真の美しさや出来栄えにはもちろん関心があるし、きれいな写真を撮りたいという欲求もある。写真が持つ瞬間の切り取り、光と影のコントラスト、構図のバランスなど、その一枚一枚が語る物語には心を打たれる。撮影の楽しさや、完成した作品を見て感じる達成感も、写真の大きな魅力だ。それを「自分」が切り取った、という満足感は何物にも代えがたい。

 写真への興味が深くなると、必然的に写真家のSNSなどを覗く機会も増える。職業写真家、フォトグラファーやプロカメラマンの投稿には素人では真似のできないクオリティの写真が並んでいる。彼らのセンスや技術力には下を巻くばかりだ。

 しかしその一方で、そうした写真のプロたちは素人への苦言めいたメッセージを発信することがある。その中の代表的な例が写真とカメラの話に関するものだ。写真家からすればカメラはただの道具であり、カメラの性能や優劣を話題にするのは下らない、といったところなのだろう。素人に対してスペック自慢の愚かさを揶揄したり、カメラは何を使っても同じで腕を磨くべき、といった言葉が並んでいることも珍しくない。

 そして、これこそが市井でカメラを抱えている大多数の自称カメラマン(私を含む)と認識を大きく異にしている部分だ。カメラを持っている多くの人はカメラを写真を撮るための道具としてではなく、身体機能の拡張や自身を強化する機械だと認識している。強い武器を所持したり速い車に乗っているのに近い感覚かもしれない。それを持つことで「強く」なるという幻想と新しい技術の凝縮に胸を熱くしているのだ。

 レンズの種類やカメラのスペック、最新の技術、そしてそれを使いこなすためのテクニックに夢中になる。カメラという機械には無限の魅力が詰まっている。センサーのサイズ、ISO感度、シャッタースピード、絞り値、そしてオートフォーカスの精度。これら一つ一つが僕たちの心を掴んで離さないのだ。

 だからこそ、新しいカメラが発表されるたびにそのスペックを隅々までチェックし、どのように進化したのかを探ってしまう。それに加えて、カメラバッグの選び方から、三脚やフィルター、さらにはSDカードの速度まで、細部に至るまで妥協は許されない。封建時代の武士たちが刀を新調したら鞘や飾りまで似合うものをあつらえるようなものだろう。

 言うまでもないことだが、世のカメラオタクたちも写真の魅力を理解している。しかしそれでもなお彼らの会話は自然とカメラの話題で盛り上がることが多い。新しい機材のレビューや、どのレンズがどのシーンで最適か、さらにはカスタム設定の方法など、話は尽きない。写真家が写真そのものの美しさや感動を語るのに対し、彼らはカメラというツールの魅力や可能性を語ることを楽しみにしているのだ。

 結局のところ、写真家とカメラオタクは同じツールを持っているが全く見ている世界が異なるということだ。写真を撮ること自体も楽しいが、その背景にあるテクノロジーやメカニズムにこそ興味を抱いているということだ。写真の魅力を理解し感じながらも、情熱の中心にはカメラというメカがある。だからこそ、僕たちは写真の話をしたい写真家ではなく、カメラの話をしたいオタクなのだ。


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