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「楽をする」ことは素晴らしい。

「楽をする」という言葉を聞くと、私たちはネガティブな印象を受けます。

「あの人は楽をせずにコツコツと仕事をこなしてきた。」といった話は美談として語られます。

しかし、本当に「楽をする」ことは悪いことなのでしょうか。

「楽をする」=「業務改善」

私も経験がありますが、業務中に必要な書類に関してEXCEL関数を使ってカウントをしたところ手計算で数えて、とやり直しをさせられたことがあります。

無駄な手書きの書類は学校には多数存在します。無駄に回覧印の欄が多い書類も山程あります。

メールの前に電話で「今から詳しい内容をメールします」という謎の電話をすることもしばしばです。

一見すると、丁寧さを求められているように勘違いしていますが、これらは無駄を製造しているだけで、業務の内容に影響しないものばかりです。(むしろ時間ばかり奪うことになる)

これらを削減することこそが「楽をする」と私は定義しています。

したがって「楽をする」=「業務改善」にほかならないのです。

ところが実際には、「楽をする」=「悪」と捉える人たちが数多く存在します。

「楽をする」=「悪」と捉える人たち

「楽をする」=「悪」と捉えやすい集団はどんな特徴があるのでしょうか。

「楽をする」という言葉の意味は、誰しもがやっているであろう手間や苦労を省いてショートカットした、と一般に捉えられています。

つまり、「楽をする」ことはプロセスを省略したことによって成果を得たことになります。

ですから、プロセス重視の評価を行う風土の集団において発生しやすいものなのではないでしょうか。

成果重視をする集団においては、プロセスは評価の対象となりません。カーディーラーの営業や外資コンサルなどが良い例でしょう。

こういった集団においては「楽をする」ことそのものへの批判を受けにくのではないでしょうか。(実態を私は知らないので言及は避けますが)

それに対し、学校などの教育機関はプロセス重視の評価を行います。実際、新指導要領の生徒評価においてもプロセス重視を志向しています。

したがって学校文化と「楽をする」=「悪」と捉える考え方は極めて親和性が高いと言えます。

もっと「成果を重視する」

では、もっと「楽をする」にはどうすればよいのでしょうか。

それにはもっと「成果を重視する」風土を根付かせる必要があると私は考えます。

成果を重視し、そこで得たものを評価の主軸にすれば必然的に「楽をする」ことを是とする方向に向かうはずです。

これに対し、「成果を重視する」ことは教育と相容れない、という批判を受けます。

部活動の勝敗結果や教科の成績、難関大学の合否で他者を評価するのは教育的では無い、というわけです。結果が出ない努力こそを評価すべきだ、という反論です。

「成果を重視する」を再定義する

私は基本的に「成果」が出ないものは「無駄」と考えています。

ただし、これは「結果」ではありません。逆に言えば、「結果」が悪くとも必ず何らかの「成果」は必ず上げることはできるはずです。

  • プロジェクトの方針が違った → リサーチ不足、他分野開拓の必要性

  • ライバルに負けた      → 負け要因の分析、改善点の発見

  • 数値目標の未達成      → 原因分析とスケジュール管理の徹底

などのように、必ず「成果」を探し、常に改善点を探し着手できたか、を確認する。

それを評価することを「成果を重視する」として定義し直すことで、「楽をする」ことを肯定的に受け止められる土壌を作れるのではないか、と考えています。

先ず隗より始めよ

私自身は教員をしていることもあり、学級や授業クラスに対してある程度評価に関する裁量権を持っていますので、それを「成果重視」にする。

そして、「楽をする」やり方の実践をしてみせることしょうか。

ただ、その前に必要なのは、自分自身への評価を変えることがスタートなのかもしれません。

一先ずはこんな駄文を書いて、次回への文章内容や構成の改善案をメモした私自身に「成果重視」の評価をして、ハーゲンダッツでも買ってくることにしましょう。

次の記事はそのメモのコピペで「楽をする」ってことで…

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