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【題未定】予備校講師と学校教員という似て非なる職業【エッセイ】

 先日、某大手予備校の講師の講演会に参加した。受験関連を職業にする人間ならば誰もが知っている大手の、その中でも最も有名な講師の一人の方の話を聞いた。

 彼の話に関しての感想から言えば、入り口の軽妙なトーンからのスタートに始まり、自身のさりげないがやや強引な権威付け。この流れで聴衆を自身のペースに引き込む。そしてインパクトの強い言葉選びや展開、聞きほれてしまう内容だった。

 「公開授業」という体であったこともあり、授業としての部分も存在した。いわゆる予備校の体験授業に近いもので、対象をやや高いレベルの生徒に設定したものではあった。そのため聴衆の関心は下がるかと予想されたが、その引き込み方からか、思った以上に多くの聴衆の興味を抱かせる結果になった。

  授業の内容そのものも非常に分かりやすく、それなりの難度の問題を詳細に説明しながらくどくなく、その上で講演の主題に回帰する内容となっていた。おそらくは何度も繰り返している話であること、入念に準備をされているというのは間違いないが、そう感じさせないLIVE感やアドリブを交えた講演には舌を巻く思いだった。

 そうした素直な感想、感嘆を抱いた一方で、話の中に違和感を抱いた部分があるのも事実だ。それは決して話の中身の部分ではない。おそらくは彼の話から垣間見える予備校講師としてのアイデンティティや自負といったものに対してだろう。そこに予備校講師と学校教員との差異を強く感じたのだ。

 予備校講師の多くは一人親方の個人事業主である。もちろん各予備校と契約を交わしてはいるが、基本的には自身の腕一本で勝負をしている商売である。したがって自身のブランディングに関しては組織人である教員とは大きく異なるのだろう。簡単に言えば、今回の講演において彼の言に同業者と自分を比較して自身の優越性を強調する場面が多数見られた、ということになる。

 これに対して私は否定的な意見を持っているわけではない。それは講師としては当然の振る舞いであろうし、聞いていて不快に感じたわけでもないからだ。組織で生徒の成長をサポートする、加えて言えば金銭的対価を度外視した公的扶助的側面の強いのが学校や教員である。対して個人で生徒の成長を対価を受けて責任を持つ予備校講師だろう。その二つのスタンスの違いに大きな差を感じたということなのだ。

 私は金銭的インセンティブを否定するつもりはない。私自身、ある程度の時間、塾業界で禄を食んだ身である。しかしその後かなりの期間、学校業界に身を置いていたために忘れていた感覚に戸惑っている、というのが本心なのかもしれない。

 学校と塾や予備校を対立関係と考える業界人は少なくない。教員、講師側にも、生徒側にもその傾向のある人間は少なからず存在する。しかし、この二つの業界は同じ「教育」というサービス提供において競合しているように見えるが、そもそもがそのスタンスが異なり過ぎており、実際には比較する意味はない。

 例えるならば生鮮食品と惣菜販売の関係に近いかもしれない。口に入れるものという点は同じだがその目的や使い方、使いどころが異なると言える。時間と手間、コストを天秤にかけて、状況に合わせて適切な選択をするべきであり、どちらも併用することでよりQOLを向上させられるとも言えるだろう。

 私にどちらかを批判する意図はない。ただ、久しぶりに聞いた現役のエース級の予備校講師の言葉に教員と予備校講師の大きな差異に改めて驚かされた、というだけなのだ。

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