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【題未定】SNSを使いこなす若者、SNSに振り回される若者【エッセイ】

 SNSなる仕組みが跋扈して久しい。日本におけるSNSの嚆矢は諸説あるが、最初期に最も普及したSNSといえばmixiだろう。その当時は紹介制といった特殊性、開かれた閉鎖性というそれまでのネットの匿名性とは一線を画す仕組みに多くの人たちが参加したのは記憶に新しい。(とは言うもののmixiのサービス開始は2004年、20年前である)

 国産SNSはその後一時期までは隆盛を誇るが、外資系のTwitter(現X)やFacebookの普及によって後塵を拝すことになる。一方、個人間のメッセージのやり取りにおいては国内ではLINEが普及し、外資系SNSと共存している状況が10年以上に渡って続いている。(LINEを国産とするかどうかは微妙ではあるが、国内企業が運営をしているのは事実である)また、2010年代前半には黄金期を迎えたTwitterやFacebookもTikTokやInstagramにその座を明け渡すなど、栄枯盛衰の入れ替わりが激しい状況が未だに続いている。

 もはやSNSは我々の生活に深く浸透し、無くてはならないものとなった。プライベートでのやり取りでは言うまでもないが、公的な業務以外に繋がりにおいては利用されることは少なくない。私たちのようなおじさん世代に対してさえもその影響力は大きく、若者においては尚更であろう。当然ながらその使い方に関しても若者はおじさんとは比較にならないほど自由自在に使いこなしている。

 ところが一方でSNSに振り回される若者が多いのもまた事実だ。現役教員として高校生間のトラブルを見ていると、昨今の問題の大半はSNSをきっかけとしている。不要な書き込みや誹謗中傷、愚痴ややっかみなどを「非公開」で書き込み、それがスクショによって炎上するという流れはもはや鉄板でさえある。

 実際にはこうしたトラブルは若者だけのものではない。Xで炎上する多くの人たちは決して年少者ばかりではないだろう。昨今も都知事選において野党第一党の元議員の知事候補の呟きが物議を醸したばかりだ。彼女の舌禍は度々ではあるが、そのいくつかはSNSを発端にしたものだ。

 このように若者だけがSNSのトラブルの問題の当事者ではないが、少なくとも未成年のSNSトラブルに関して、最も大きな責任を負うのは保護者である。しかし、この点に関して多くの大人たちの認識はあまい。特にネットやPC、スマホなどに疎い層ほどその傾向は顕著だ。

 子供に対してSNSなどネットに対しての教育を行うべき当事者はまずもって保護者である。どんな使い方をすべきか、どんな書き込みをしてよいか、情報をどの程度まで公開するか、こうしたガイドラインは保護者が子供に教育をすべきことだ。学校もそれらに対して教育機会を設けることはあるが、その前段階で保護者が責任を持つべきである。なぜならば、その「スマホ」を与えたのは他ならぬ保護者自身だからだ。

 私自身、小学生の子供を抱える身であり、どのタイミングでスマホを与えるべきかを常に考えている。与えただけで管理をしないというのはあまりにも無責任であるのは間違いない。少なくとも自己管理ができるような年齢であり、尚且つ保護者が管理できる環境を整えるのは前提条件だろう。

 若者はスマホやSNSを使いこなすことができる。彼らの吸収力は高く、若い進取の気風はそうした機器やシステムとの親和性も高いだろう。しかしその若さが直情的な行動や暴走に繋がるケースも少なくない。SNSに振り回されるようでは機械や仕組みの利便性が刃となって自身や周囲を傷つける可能性もあるのだ。

 だから使わせない、という結論を私は準備していない。それは文明や技術の進歩に足を向ける行為だからだ。とはいえ、無策に子供たちをネットの海で溺れさせることもまたあまりにも無責任な行為だ。自身も含めて、家庭におけるネットリテラシー教育の重要性を周知する必要があるのではないだろうか、と日々感じるのだ。

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