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【題未定】オリンピックに全く興味がない話【エッセイ】

 先ほどニュースサイトの速報でパリ五輪の競技が開始されたという通知を見かけた。今年はオリンピックイヤーであるらしい。五輪代表を外れた女性選手の話題も最近耳にしていたので、そろそろかとは思っていた。調べてみると今日の夜中に開会式があるそうだ。

 私はスポーツに一切興味がない。正確に言えば、スポーツ観戦に興味がないということになる。多くの人たちは職場や学校で野球やサッカーの試合結果を話題にするらしい。実際、私の職場でもそうした話題に花を咲かせる同僚は少なくない。世の人々はスポーツ観戦に並々ならぬ関心があるようだ。

 オリンピックはプロスポーツよりも注目度が高いという。時差がある中でも連日のように地上波では中継がされているし、徹夜で観戦したという話を聞くこともある。競技数が多いこともあるだろうが、それ以上に国の代表として活躍する姿に心躍るものがあるのかもしれない。

 ところが私にはそうした人達の気持ちが理解できない。もちろん、彼らの気持ちを否定するつもりはないし、好きに観戦してもらって結構である。地上波を見ることも無いので、番組がつぶれるような不満を抱くことも無い。ただ単純に「理解できない」のである。

 スポーツ観戦の何が苦手かを考えると、その理由の最も大きいものは勝負事に対しての興味が薄いことかもしれない。私自身、勝負の世界に身を置いたことはほとんどないし、勝ち負けよりも自分の知識の獲得や思考に時間を費やす方が喜びと感じるからだろう。

 加えて、ライブ放送の多いスポーツはどうしても時間を拘束されてしまうことが苦手意識を助長させている。野球などは特にその傾向が強い。時間制でないことで長く感じる上に、試合の動きの無い時間がどうしてあれほど存在するのかも理解できない。地上波テレビを見なくなって久しいが、放映側から指定された日時でしか視聴できないのは非常にストレスを感じるのかもしれない。

 とはいえ、困ることがないわけではない。オリンピックの経過や結果を知っている、興味がある前提で話しかけてくる人もいるからだ。もちろん実害は無いが、そうした人に対して「興味がない」「知らない」と返答したときの罰の悪い表情や微妙な空気には申し訳なさを感じてしまうのだ。

 別に誰かに何かを要求したいわけではない。オリンピックに興味がない人間に配慮してほしいということもない。ただそうした少数派が存在していることが、もう少し広く知られてほしいという愚にもつかない考えが頭をよぎるだけなのだ。


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