見出し画像

「入試制度」や「教育カリキュラム」を「一度に大幅な改定」を行う理由

一昨年度から大学入学センター試験が大学入学共通テストの名前を変え、その試験の形式や内容が大幅に変更となったことは教育業界の人間ならば誰しもが知るところでしょう。

また、本年度からは学習指導要領が高校でも改訂され、新しい指導要領による教育カリキュラムがスタートしています。

さて、ではどうして制度を改定するのでしょうか。私個人の考察を書いていきたいと思います。

学習指導要領を改訂する目的

当然ながら、改訂には目的が存在します。まずは学習指導要領の改訂から考えます。

① 教育基本法,学校教育法などを踏まえ,これまでの我が国の学校教育の実践や蓄積を生かし,生徒が未来社会を切り拓ひらくための資質・能力を一層確実に育成することを目指す。その際,求められる資質・能力とは何かを社会と共有し,連携する「社会に開かれた教育課程」を重視すること。
② 知識及び技能の習得と思考力,判断力,表現力等の育成とのバランスを重視する平成 21 年改訂の学習指導要領の枠組みや教育内容を維持した上で,知識の理解の質を更に高め,確かな学力を育成すること。
③ 道徳教育の充実や体験活動の重視,体育・健康に関する指導の充実により,豊かな心や健やかな体を育成すること。
を基本的なねらいとして行った。

【総則編】高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説

ここから読み取る限りにおいては、教育が学校内の閉じたものから地域社会に開かれたものにすること、理解や考える力を重視した学力の養成への転換が目的とされています。

もちろん、この改定の目的は十分に理解できるものですし、OECDのEducation2030やラーニングコンパスなど世界的な潮流に乗るものでもあるため、改訂理由としては妥当と言えます。

大学入学共通テストへの改定の目的

まずは、センター試験の大綱からセンター試験の目的を見てみます。

大学入試センター試験は、入学志願者の高等学校の段階における基礎的な学習の達成の程度を判定することを主たる目的とするものであり、大学(専門職大学及び短期大学(専門職短期大学を含む。以下同じ。)が、それぞれの判断と 創意工夫に基づき適切に利用することにより、大学教育を受けるにふさわしい能力・意欲・適性等を 多面的・総合的に評価・判定することに資するために実施するものとする。

平成32年度大学入学者選抜に係る大学入試センター試験実施大綱

次に、共通テストの目的です。

大学入学共通テストは、大学(専門職大学及び短期大学(専門職短期大学を含む。以下同じ。)への入学志願者を対象に、高等学校(中等教育学校の後
期課程及び特別支援学校の高等部を含む。以下同じ。)の段階における基礎的な学習の達成の程度を判定し、大学教育を受けるために必要な能力について把握することを目的として、これを利用する各大学(以下「各大学」という。)が共同して実施するものである。
大学入学共通テストでは、各教科・科目の特質に応じ、知識・技能のみならず、思考力・判断力・表現力も重視して評価を行うものとする。各大学は、大学教育を受けるにふさわしい能力・意欲・適性等を多面的・総合的に評価・判定することに資するため、それぞれの判断と創意工夫に基づき、これを適切に利用するものとする。

令和3年度大学入学者選抜に係る大学入学共通テスト実施大綱

明らかに「思考力・判断力・表現力」という文言を追加して、学習指導要領と整合性を取った形での表現となっています。

ここからも、共通テストへの改定は指導要領と同じ目的と言って差し支えないでしょう。

さて、確かに来るべき次世代に向けて教育関連の制度を改定すること自体には納得ができるとしましょう。

しかし、ここで一つ疑問が発生します。

どうして「一度に大幅な改定」をする必要があるのか、ということです。

小変更で問題ない程度の変更のはず

今回の指導要領や共通テストの変更は確かに大幅な変更ではあります。

しかし、よくよく考えるとその目的だけ見れば、小変更を行うだけで十分事足りる程度の内容です。

教科的な情報や統計の重視、理解や思考を重視した内容への変更はあります。

しかし、ゆとり教育の揺り戻し改定があったとはいえ、前回のカリキュラムでも暗記重視の内容ではありませんでしたし、情報や統計も課程に含まれていました。

その扱いを補足する形での改定でもよかったはずです。

しかし、実際にはそうではなく「一度に大幅な改定」が行われました。

個人的には、「一度に大幅な」ことに意味があるのではないかと考えています。

「一度に大幅な改定」がもたらす革命

特定の制度を長く運用した結果、思わぬ状況が発生することはよくあります。

入試制度や教育制度の場合、頻繁に発生するのが指導者側のノウハウの蓄積です。

学校の教員はもちろんのこと、予備校や塾、家庭教師など多くの教育に携わる指導者側は教育制度や評価や試験に関する研究を行います。

その結果、非常に精度の高いノウハウが蓄積されてしまうのです。

もちろん、それ自体は決して悪いことではありませんし、日本の公共教育や教育産業の研鑽を意味するものでもあります。

しかし、それによって有能な人材の発見や発掘を難しくする側面も存在します。

なぜならば、そのような恵まれた教育を受けるだけの経済的前提のある子供が必然的に高得点を取る可能性を高めるからです。

つまり、能力よりも家庭環境や経済状況が教育成果に影響を与えすぎてしまうことになり、個人の能力を図る指標として機能しにくくなるということです。

そして、その解決策として考えられるのが「一度に大幅な改定」です。

ゲームチェンジに対応する能力

「一度に大幅な改定」はまさにゲームチェンジを意味しています。

潜在的な能力に優れた人材はどんなゲームにも対応してプレイでき、しかも優秀な成績を収めることができます。

特定のゲームに特化して英才教育を受けた人材は新しいルールに対応することが困難です。

しかし、高い潜在能力のある人材はどんなゲームにでも対応できます。

こうして何十年に一回、大幅なゲームチェンジを行うことで人材の均質性を崩すことを目的としている、と私は考えています。

硬直化への対策と多様性の受容

同じ教育制度や入試制度を行い続けることの弊害は、指導者側にノウハウが蓄積されていくことだけではありません。

同一制度の継続により人材が均質化することで、組織の運営方針や価値判断が硬直化していきます。

これを防ぐために、制度の設計者は定期的な「一度に大幅な改定」を組み込んだのではないか、と考えています。

そうすることで、時代の変化に対して多様性や柔軟性を保つことが可能になるのではないでしょうか。

改定目的は何でもよい

こうして考えると、実は教育制度や入試制度改革の改定目的は本質的には意味がなく、改定すること自体に大きな意味があるのかもしれません。

そして、社会からの批判を避けるためにもっともらしい理由を改定目的に掲げているだけなのではないか、とさえ感じてしまいます。


と、そこまでを考える政府や官僚機構であるのならば、我が国の将来も安泰だろうな、という期待を込めて書いていますが、いかがなものでしょうか…?

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?