「自分たちが不利なルールにも従う」日本的価値観と、「自分たちが不利なルールを変える」ことを当然とする欧米的価値観
先日のワールドカップの日本対スペイン戦において三苫選手の活躍は記憶に新しいところです。
(と書いていますが、私自身はサッカーに全く興味が無いため、後追いの記事を読んでいるだけなのですが)
ラインぎりぎりで戻したボールが得点につながったプレーと、その判定である「VAR判定」が物議を醸しているようです。
「VAR判定」に関する賛否
「VAR」とは「ビデオアシスタントレフェリー」の略称で、ワールドカップにおいては2018年のロシアワールドカップから導入されたようです。
基本的には以下の4つを判断することに利用するようです。
ゴールやゴール直前のプレイ
ペナルティーキック(PK)
レッドカード
審判による選手誤認
試合全体ではなく、あくまでも審判が判断しにくい場所の誤審を防ぐために導入されたもので、現在では世界中のプロリーグで利用されているようです。
とはいえ、大多数が賛成かというとそうではなく、確認のために試合がストップするという批判もあるようです。
元イギリス代表FWの主張
そんな中、元イギリス代表の選手が今回の日本対スペイン戦のVAR判定に対し批判的な声が上がりました。
もちろん、こうした批判自体はしっかりと受け止め、仮に判定間違いや試合を止める状況が多数出るようであれば、改善をする必要があるでしょう。
しかし、こうした欧米人の反応を見ると、純粋な批判的精神だけではないのではないかとも見えるのです。
非欧米人が勝った瞬間にルールを変更する習慣
今回の件もそうですが、欧米の人たちはルールを変更して、自国に有意な状況を作る習慣があります。
スポーツや技術開発など、何らかの競争ごとにおいて特に非欧米人などが勝利した場合、ルールが悪かったとして変更(彼らからすれば『改正』)をししたことが何度もあります。
例えば、長野五輪ジャンプ競技で日本チームが優勝したのち、スキー板の長さなどの規定が変わり、背の低い選手が不利になる変更を行いました。
また、F1において本田のターボエンジンが圧倒的優位だったときにも、レギュレーションを変更しターボエンジンの禁止を行いました。
こうした様子を見ると彼らは人種的偏見があり、自民族の誇りと勝利のためにルール変更を行っているようにも見えます。
「ルールを設定から勝負が始まっている」という感覚
もちろん、そうした人種的偏見を持った人が少なくないのは事実でしょう。
私自身はそういった差別を受けたことはありませんが、その手の話を耳にするのも事実です。
しかし、彼ら欧米人はそうした偏見的なものとはまた異なった目的を持っているのではないかとも思うのです。
それは、「ルールを設定するところから勝負が始まっている」という感覚です。
日本人はルールはお上が決めるもの、という意識が強いようです。そのため、設定されたルールを素直に受け入れて不利な勝負をしていることが決して少なくないのではないでしょうか。
しかし、欧米人たちは「ルールは自分たちでつくるもの」という意識が強く、彼らは「ルール設定から勝負が始まっている」という考えで行動をしているように見えます。
例えば、近年積極的に進められている電気自動車の振興策やカーボンニュートラルの推進は、自動車産業の主導権争いとも取れます。
事実、燃費競争では勝てない欧州車メーカーにとっての最善策だとも考えられるからです。(中国メーカーに駆逐されるリスクもあるわけですが)
「ルールを作る」というマインドセット
日本人的な、お上が決めたルールを粛々と守る、という行為自体は安定した成長が見込める時代においては、生存戦略としての最適解だったかもしれません。
しかし、人口減少と高齢化、国際化、産業構造の変化や競争の激化など、激動の時代においてはそうした考え方で挑むことは、勝負を優位に進めることから最も遠い行為のようにも見えます。
まずは「ルールに盲目的に従う」というマインドセットから「ルールを作る」という形へと変えていく必要があるのではないでしょうか。
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