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なんのために生まれて なにをして生きるのか

こんにちは!
JICAの青年海外協力隊が全世界規模で帰国となり、3月22日から始まった自宅待機は8日目となりました。

さて、初めて(?)壮大なテーマを語っていきます。
(アンパンマンのマーチで若干マイルドにしたつもり)

共感資本社会を生きる

このテーマで書き綴りたいと思ったきっかけは、『共感資本社会を生きるー共感が「お金」になる時代の新しい生き方ー』を改めて読んだことがきっかけです。

この本は、

「いい会社」への投資で利益を出す鎌倉投信の創業者にして「共感資本社会」の実現を目指してeumoを起業した新井和宏氏と、『東北食べる通信』創刊編集長にしてポケットマルシェCEO、「関係人口」提唱者の高橋博之氏のふたりが考える、お金、働き方、都市と地方、生きるということ……いま日本に必要なすべて。

という本です。(説明丸パクリ)

著者の1人である博之さんとは、2017年の岩手わかすフェスで初めてお会いしました。
お会いしたのはそこが初めてでしたが、大学時代からその活動は知っていて、著書(※)もすぐに買って読み、共感の嵐でした。(それらの本は誰かに貸したあと、行方不明になってしまいましたが、、、)
岩手わかすフェスでは、博之さんが都会を中心に継続している車座座談会に参加しました。また、前職の社長が博之さんとお知り合いだったことから、その場で紹介をしてもらいお話しすることができました。トップの写真は、その時に撮影されたものです。

今回再読した本は、博之さんと株式会社eumo代表取締役の新井さんとの対談形式になっています。
いま日本に必要なことを共通テーマにしながら、違う人生を歩んできた2人が、食とお金それぞれの視点でお金働き方都市と地方生きるということについて議論を交わしていきます。

お金は手段

廻戸川カヌー_20180520

まず印象に残ったのは、お金の定義を変えるという視点でした。
物々交換だった時代から効率を求める時代へと変遷してき、お金によって価値・ニーズを等価交換するようになりました。
また、社会と医療技術の進展により、日本を中心とした国々では数十年先の未来を考えて行動することができる社会になりました。

そうした社会では、お金を貯めることができるようになり、それまでは生きるため叶えたい夢のために集めていたお金が、漠然とした将来の不安への備えとしての貯蓄に変わっていきます。
つまり、現代ではお金が手段ではなく目的化してしまっているのです。
そりゃあ親に「貯金しておきなさい!」とお年玉を巻き上げられて育った子供は納得感に欠けてきますよね。その時代欲しかったものが、その人にとってはその時代に買ってこそ一番価値があるのですから。大人買い出来るうまい棒よりも、少ないお小遣いから買う1本のうまい棒の方が、価値は高いと思います!笑

ところで、上記の見出し写真は、前泊した宿「鳳鳴館」の館主と、西和賀町出身かつ地元で「ネビラキ」を起業した然さんご夫婦と共に、岩手県西和賀町で早朝カヌー体験をしたときの様子です。
なぜこの写真を出したかというと、マネーフローの最大化を目的として短期間で消滅する、いわゆる腐るお金であるeumoと関係すると感じたからです。
現地に行かないと・人に会わないと・短期間で消えてしまうお金は、人の行動を喚起し、更には多様な人との縁を紡ぐことまでデザインできます。
まさにこれは、お金を手段として、目的に対する行動を起こすようお金の定義を変えると感じます。

私も普段から、会いたい人に会いに行く・地元の物を買うことを意識して行動しています。その中で、岩手県民でも行く頻度が少ない西和賀に行く理由は、面白い人や自然、環境に刺激をもらえるからです。
多様な人や環境を知ることで、新しい視点やアイディアの獲得、時にはお互いに助け合うことにもつながります。
言い換えると、お金や時間をかけることで、より多く・良い経験を得ることができるのです。

自分と自然が交わる

けんちゃん_庄司

この写真は、岩手県釜石市でカキ養殖をしている漁師のけんちゃんとの写真です。
かまいし桜満開牡蠣を生産しているけんちゃんとしんちゃんは、東日本大震災やそのあとの台風でも大きな被害を受けながら、懸命に美味しいカキを作り続けています。
もちろん誰にぶつければいいかわからない怒りや悲しみ、不安を抱えながらだとは思いますが、自然と共に生きることを選択し続けています。

人間ではコントロールできないもの、時には危害を加えるようなものである自然は、いつも私たちと共にあり、人間に恩恵を与えてくれます。
資本主義社会で効率化を求め続けている社会の中で、自然は変動性が高く、一見すると非効率なものに見えます。
しかし、自然には無限の可能性が秘められています。
例えば、東日本大震災後の海はかき混ぜられた海底の栄養などで、とても豊かな海になったそうです。
また、森は海の恋人と言われているように、海だけではなく森からの栄養によって豊かな海は支えられています。特にも岩手県は沿岸に多くの山があり、そのおかげで豊かな海産資源を得ることができています。

自然に起こる現象にはすべて意味があり、良い面と悪い側面が併存しています。そして、人間も自然の産物であるからこそ、自然に対して親しみと安心感を覚えます。
漁師や農家など、一次産業に従事している人たちならなおさら、自然を実感すると思います。けんちゃんと会って話をしていても、人間が生きていくうえで大切なことはブレないで話していると感じます。
それは、自然の一部として自分を見ていて、それを実感しながら日々生きているからだと考えます。

生きるとは

CJK-B宣材写真(日本連盟広報使用)

ところで、現代の人たちは生きている実感が薄い人が多いのではないでしょうか?
これは日本の自殺者の多さが物語っていると考えます。
令和元年の自殺者は2万169人で、平成22年以降減少していますが、依然として年間約2万人が自分で命を絶っている現状です。

人が生きる理由は、千差万別だと思います。
 家族を養う
 なりたい職業がある
 社会をよくしたい
 …
私が出会った、生きる力が強い人の多くの理由に共通していることは、誰かのために生きている人です。
『共感資本社会を生きる』でも博之さんがおっしゃられていますが、誰かのために生きている人は、強いです。

なぜ強いかというと、助けになりたい・支援したい人の顔を思い浮かべることができるからだと思います。
 おばあちゃんの体が悪いから、整体をやっている
 障がいを抱えた友人のために、技術開発をする
など、身の回りに助けたい人がいると、そこに向けて頑張ることができます。
牡蠣漁師のけんちゃんで言えば、食べてくれる人の顔を思い浮かべながら下記の養殖をして、笑顔を増やしています。そう思い浮かべていて、ファンも多いけんちゃんは、先の台風災害にあった際、全国から励ましの声や支援を受けることができました。普段から食を支えてくれる漁師を、消費者が支える。これは顔が見える関係でないと、実現しにくいことです。

この輪を広げているのが、博之さんのポケットマルシェです。
スマホアプリで、生産者から野菜や肉、魚を購入し、専用の掲示板で御礼を書き込んだりおすすめのレシピを交流できたりする。
まさにテクノロジーが一次産業と食卓をつなげたソリューションだと感じます。
「この人が手間をかけているから、無駄なく使おう」などと思うことで、生産者を通じて自然を感じることができると思います。

話は変わりますが、上記の写真はボーイスカウトの活動でバングラデシュに行って公衆衛生プロジェクトを展開した際のものです。
この時、現地を見て、風や空気を感じて、人の反応を見て、食べ物を食べたことで、バングラデシュとそこに暮らす人のことを知ることができました。
それまでは、テレビやネットの情報しかなく、単なる「新興国」としてしか認識していませんでしたが、実際に行くことで、進んでいる点や課題を見つけることができました。
加えて、2週間程度の滞在でしたが、現地でワークショップをする際の意識は、最後になるにつれて自分の気持ちが込められるようになっていきました。それは、現地に暮らす人の顔を思い浮かべることが出来るようになったからです。
いくら現地の情報を知っていても、ただ机に座ってプロジェクトを実施するのと、現地の人に会って話をして、その人を思い浮かべて実施するのとでは、断然後者の方が質が異なってくると思いますし、プロジェクトの実施を手段として考え、思い浮かべた人達を幸せにすることを目的に据え続けることができます。

まさにこれが、誰かのために生きることであり、高いモチベーションを維持できる理由にもなっています。

おわりに

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バングラデシュでの経験もあり、いま、学生のころから目標としていた青年海外協力隊として活動することができています。

ボリビアで実際に生活しながら思うのは、「あ、これは任期の2年って短いな」ということです。やりたいことが多すぎるからです。笑
しかし、同時に思うのは、「2年の任期が終わってからも関わり続けられるな」ということです。
今はネットも発達し、人の往来も簡単にできるようになりました。
日本が世界中の人に協力してもらいながら発展したように、今後ボリビアが持続可能的に発展できるようお手伝いしたいと思えているのは、ボリビアの風土を知り、ボリビアに私がいることを喜んでくれる人がいて、顔を浮かべる同僚や近所の人、市場のおばさん達などがいるからです。

3年前に決めた、人生の目的があります。

”自分と、自分が関わる人を幸せにする”

まさに、誰かのために生きることですし、誰かのために自分が幸せになることも、同じくらい重要なことだと考えています。

日々人生の選択の連続で、5年後・10年後どうなっているか想像もできませんが、上記の目的はブレないようアクティブに動いていきたいです。
これが、いま自分が考える生きる使命です。

皆さんは、

なんのために生まれて
なにをして生きますか?


※博之さんの著書です。


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