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過去記事のイメージとリアルのギャップによるモヤモヤが解消された話

なぜか嫉妬しました。
自分たちのことなのに。

一部始終をすぐそばで見てきたはずで、
むしろ当事者だからこそ絶対に書けない。

(技量がないのも原因のひとつだけど)

素敵な内容で何度も何度も読み返した。
他人の、そして行ったことのないどこかの
知らない映画館の物語を読むように。

リニューアル当時の取材ラッシュ

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リニューアルオープン直後から約1年間、本当にたくさんの取材依頼をいただいた。その結果、数冊の書籍掲載とちょびっとのテレビ放映とある程度の数のウェブメディアへの掲載を果たした。ある意味で華々しく再開を遂げた我らが豊岡劇場はその後、数多の失敗と方向修正を繰り返しながら5年半が経過し、今に至っている。

当たり前だけど取材に来ている方々は全て違う人だし、紡がれる表現や文章も全くの別物。それぞれにそれぞれの視点があって、自分たちの働く場所のことが書かれた記事を読むのはすごく楽しかったし、ありがたかった。

しかし、、、

▽その時期、取材していただいた記事たち

思い描いた未来とのギャップ感

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しかし、1年が経過したあたりから取材依頼がパタリと止んだ。

取材依頼がなくなったこと自体は別に気にはならなかった(もちろん寂しさはある)けど、それ以上に現場で起こる失敗やそれに対する対応や方向修正でいっぱいいっぱい。

そうこうしてるとまた1年が経ち、リニューアプオープン当初の目標とは少し違うところに立っている自分たちに気付く。それと同時に自分たちの運営するこの場がどんな場で在りたいか、どうあるべきかの根幹が固まってきた時期がこの頃だった。根幹が固まるのが遅すぎるのだけど、実は未だにカッチリしたものはない。ただそれはいい意味での余白となって、様々なことへの緩衝材として働いている。

今のリアル、そして残り続ける過去の記事

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そんな期間を経て、また少しずつ取材依頼や豊岡劇場を目的地として来てくれる方が増えている実感があった。ただそんな人たちと話していると必ずと言っていいほど現れるモヤモヤっとした違和感を隠しきれなかった。

「なんで豊劇に来たいって思ったんですか?」と聞くと返ってくる言葉に答えがあった。そんな人たちが求めているのは、リニューアルオープン当時の豊岡劇場だった。

コミュニティ、ソーシャル、クリエイターなどのキーワード × 映画館という内容を当時の記事からピックアップして来てくれていた。なんだか申し訳ないような気がして「ごめんなさい。色々な失敗をした結果、今はそういう要素はほぼないんです」とその度に謝らずにはいられなかった。

すっぽりと抜け落ちた時間

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ここ数年、リニューアルオープン前から現在までを改めて取材してもらうことはほぼなかった。イベントやあるテーマに沿った内容の取材依頼はあったものの、豊岡劇場という場の全体像をざっくりしたものはなくなったのだ。

発信力を持った媒体で"豊岡劇場の今"が伝えられることがなくなった今、SNSやウェブサイトなどの自社媒体はあるものの(僕たちの運用方法が十分ではないのもあり)「あそこ行きたい!」という行動を促すほどの入り口にはなっていない。

だからこそ今回の取材依頼をいただいたとき、そして出来上がった記事の内容を確認したとき、冒頭で嫉妬したのと同時にホッとした自分がいた。すっぽりと抜け落ちた時間が補完された安心感。

そして何度も何度も読み返した。

...

あー、本当に素敵な内容だなーちくしょー。

やっぱくやしー。

...

斯くして、しばらくはしばしば現れていたモヤモヤっとした違和感から解放されるのだろう。定期的に取材してもらわないといけないという他人任せで責任逃れなのが自分でも気になるけれど、ありがたいことに取材していただけたのでひとまず良しとする。

取材・掲載していただいたライターの高橋さん、そして企画のココホレジャパンのみなさん、素敵な記事を本当にありがとうございました。

この記事のおかげで自分の中のモヤモヤを文章化できたので、本当に良かった。豊岡劇場はまだまだ変化します。またどこかの誰かに取材していただけるのをお待ちしております。

おしまい

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