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下書きは熟成される

書きっぱなしにした下書きがこんなに増えるなんて。

blog書いていたときは、書ききるまで書いて、下書きなどを残しておくことはほとんどありませんでした。エッセイでもない謎の文書だったり、技術的な文書だったりするので、迷いがなかったとも言えます。

note.mu で書く文章は、ほぼ随筆です。ある事象に対して、自分の意見をある程度の立場を表明しています。それが気づきとなったりすることよりも、自分の考えを自分で正しく認識するべく書き記してます。

ただ、投稿に関しては、タイミングを考えてしまうようになりました。中二病を継続して斜に構えたまま、面倒に生きながらえてしまっています。ちょうど社会で流行になっていたり、話題になっていることにかぶってしまうことは「オレかっこ悪い」わけです。また、人一倍臆病だったりもします。めんどうなことがあったなーという感覚を、そのままネタに書いたりしてしまうことがあるんですが、それを読んでしまった人が「これは私のことじゃないか」と勘違いされることを忌み嫌います。中二病はメタファーとして語られることはおおいですが、実態としてはこっちが正解だと考えています。ただの臆病者でも良いです。それらをどう覆い隠すかという手段がもう一つの目だったり、何かが動き出してしまわないように隠すための包帯なだけです。本当に隠しておきたいのは、自分自身なのです。どんなことでもいいから、かっこいい自分でいてほしいんです。手段があさってすぎるだけで。

そんな中二病はどうでもよくて、とにかくタイミングは重要です。一番何の影響もなく、ただただ大きな問題もなく、炎上もせずにただただいろんな文章がどこかに紡ぎ残されていれば、それだけでいいんです。好きなことを書いて、おいておきたいだけなんです。本当は身近な誰かにみられたくはないんです。タイミングだけではなかったですね、発表する場所と、発表者が誰であるかが認識されるかどうかも重要です。ここでは、普段からしょっさんと関わりのある人が容赦なく通り過ぎていく場所です。ここでは、書く内容も吟味せねばなりません。

投稿する内容で考えると、45年も生きていれば、ホントに面白いネタはある程度保持してます。これ受けないわけがない。とか全米が涙したり、大炎上を引き起こすようなネタは少なからず持ち合わせています。ただ、わたしがよくても、それを良しとしない身近な人は周りに生きてます。ある程度、人とのつながりを大事にするしょっさんは、面白いネタよりも、人とのつながりが大切なあまりに面白いネタを封印しています。どこまで書いてもよいだろうか。それは便所の落書きだろうが、公に書いた本人が明確にバレてしまうようなところで書いても良いかどうか、いい歳にもなれば多少はわきまえてしまいます。

タイミングと内容、これらを吟味するあまり、下書きが増えていきます。

はっきり言えば、それで仲違いするような人たちとは縁が切れてもいいから、おもしろいことやら刺激的なことを書いても良いんです。ただ、そういうときって、なんか現実でもなんかあるじゃないですか。なんか派閥争いだったり、他人を罵り合ったりとか、裏で取引したりとか。そういうのいらないんです。だから、ある程度のほほんと幸せな感じでふわーっと生きていく、今のこの時間が大好きなんです。

もし、世界を変えたいとか、何かをなすすべきだとか考え始めたら、もう少し際どいこといい始めるかもしれませんけど、ここではこんなもんでいいんです。

わたしの下書きが増えていくことは、わたしの人生が、穏やかに過ごせている証明でもあるんです。

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