【ライブの記憶】adieu Tour 2022 -coucou- @ LINE CUBE SHIBUYA 2022/09/24

新譜の素晴らしさはもちろん感じていたものの、元々行く気は全然なかったのですが、参加するバンドメンバーを見て、これは行っておかないといけないのではないかと言う気持ちになり、参加してきました。
adieu(上白石萌歌)のことは全然ちゃんとは知らないのですが、簡単に感想を書き残しておきます。

最初に、自分はツアータイトルの「coucou」が読めておらず、意味もわかっていなかったのですが、MCの中で触れていた通り、これは読みは「ククー」で、フランス語にてカジュアルな挨拶、つまり「やぁ!」といった意味のようです。
これは、ちょうど1年前に行われた初ワンマンライブのタイトル「à plus」(アプリュス)から繋がるタイトルのようで、この言葉はフランス語で「またね」を意味していたので、再開を祝福する挨拶が今回のツアータイトルになっているとのことです。
「adieu」自体が、フランス語で「さようなら」を指すものですし、統一された世界観に、adieuとしてのクリエイティビティのこだわりを感じます。

予想外の豪雨もなんとか止んだ渋谷にて、若干定刻を過ぎたあたりで、adieuの語りからライブは幕を開けました。(あれはオリジナルだったのでしょうか。「明日」がテーマだったように朧げに記憶しているのですが、とても良かったです。)

良い意味で、ひたすらに良い曲が淡々と奏でられるライブでしたですが、個人的なハイライトは二つありました。
一つ目は「ワイン」。最新作に収録された小袋成彬プロデュースの楽曲ですが、このバンド編成で繰り広げられる世界観は、音源よりもさらに深みが増していて、ただただ感動しました。
二つ目は、永井聖一(from 相対性理論)/マスダミズキ(from ねごと/miida)を加えた3本のギターをかました本編最後の2曲、「シンクロナイズ」と「ひかりのはなし」でした。
どちらの曲もFINLANDSの塩入冬湖プロデュースで、もともと勢いのある楽曲ではありましたが、まさかここまで強烈な音で仕上げてくるとは。最高潮の熱量で響き渡る轟音には、唸るしかありませんでした。


ただライブを観ながら考えざるを得なかったのは、adieu本人がMCにて、殊更に”歌”に執着を見せること(”歌”は救いとも言っていました)や、adieuは”ひとりぼっち”だと語っていたことでした。
最高のプロデューサー陣を迎えた楽曲を、これだけのバンドメンバーで世に送り出しておきながら、それでも”ひとりぼっち”だし、一方で”音楽”とは言わずに、”歌”を届けることにこだわるのか。ここがいまいちピンとこなかったのです。

でも、カバー曲として松任谷由実の楽曲を披露したり、アンコールでは、女優「上白石萌歌」として自らが演じた、NHK朝ドラ「ちむどんどん」の歌子ように三線の弾き語りも行う姿を見て、なんとなく自分の中では納得できたような気がしています。

最新作「adieu3」のレビューとして、ナタリーに掲載されていたレビューがとても素晴らしかったのですが、そこでは少し長いですが、以下のような記載があります。

adieuというプロジェクトが上白石萌歌のファンの外側にも届いているのは、オルタナティブなシーンで才能を遺憾なく発揮するアーティストたちを起用し続ける一貫性と、そのチョイスの“的確さ”の賜物だろう。それは、adieuを周囲で支えるスタッフたちのアンテナの感度の高さや慧眼に裏打ちされたものであることは間違いない。しかしそれだけでなく、adieuというプロジェクトは、上白石本人の意向がしっかり反映されたプロジェクトでもあるのだ。その証拠に、adieuについてつづられた資料のプロジェクト概要には「彼女の趣向・アンテナを頼りに、彼女の表現したい音楽に様々な音楽家、映像作家、写真家、クリエイター達が巻き込まれていき、作品として昇華していく」と記されている
adieu(=上白石萌歌)「adieu 3」レビュー|多彩な作家陣とともに描き出す、大人へと変わりゆく22歳の現在地 - 音楽ナタリー 特集・インタビュー

特に後半部分ですが、この"adieu"というプロジェクトは、関わる人々それぞれが、それぞれのクリエイティビティを最大限信頼し、それを発揮することで、作品を作り上げていくものなのでしょう。
だからこそ、adieuは自らの役目として"歌"にこだわるし、その意味では”ひとりぼっち”なのでしょうし、最高の音を届けるためにバンドメンバーもしっかり揃える。加えて、自分が強く心を惹かれた点でもありますが、スタッフのtwitterのアカウント名は、「adieu staff」ではなく「adieu creative staff」なわけです。
こう考えると、このプロジェクトが、境界を軽々超えて起用されるプロデュース陣のセンスの良さにも納得がいく気がします。とにかくそのクリエイティビティを信頼する人たちを積極的に巻き込んでいくのが、このプロジェクトとしての肝なのでしょう。なんて望ましい在り方なんでしょうか。

それでも、ライブを通じて感じたのは、adieuとしての"歌"の強さであったことも、また事実でした。個性の強いプロデュース陣の顔が常にちらつきながらも、届くのは、しっかりとadieuとしての”歌”。
全体的に”歌”がしっかり届くようにと考えられた音作りでもあったと思います。轟音の中でも"歌”はつぶれずにこちらまで届いて来たのがその証拠でしょう。
その意味では、良くも悪くも日本のポップスの鳴りではあったと言えるかもしれません。
ただ、だからこそ、adieuはおそらく相当に広く・深く、その音楽を届けることができる可能性を秘めていると思います。老若男女問わずの客層はまさにです。

adieuはどこまでいけるでしょうか。もしかしたら日本の音楽シーンをひっくり返すのは、このプロジェクトなのかもしれない。そんなことすら感じられる、素晴らしいライブでした。これからもより一層の活躍を楽しみに待ちたいと思います。

#adieu  #上白石萌歌 #ライブの記憶 #ライブ #音楽

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