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脳内の見える化 Vol.17

結構時間を置いてしまった。なぜ時間が置かれてしまったかと考えてみると、夜に予定(インタビューとか社外の人と会うとか)を入れてしまっていたり、他にやること(学生に向かって話す内容を考える)があったり、日中予定を詰めすぎて夜気力が無くなったりしているからだと感じる。この「脳内の見える化」を始めて強く思うのは、「せっかくいろいろなことを考えたり感じるきっかけがあるのに、それを垂れ流してしまってはもったいない」「アウトプットしていると自然と自分の考えを客観視&構造化する癖がつき、自分を上手にコントロールできるようになる」といった感覚であり、せっかく続き始めたこの習慣を止めてしまうのはまさしく「もったいない」ので、このアウトプットも前提に置いたスケジューリングをしていかねばと反省することにする。

出向中の先輩と話したこと

今日出向中の先輩と話し、「10分悩んで答えが出なかったらすぐ人に相談」「他己評価よりも自己評価が全て」という話をした。前者は、自分がチームプレーの方が力が発揮できる特徴があるのも含めてもう少し意識したいと思っていて、特に「ゼロイチ探索部隊」「プロマネ制」に置いて一人でやると「アイデアでない」「孤独」「自分の苦労や頑張りを認めてもらえない」「役立ってる感も特にない」の四重苦にさらされることになるので、いち早く相談する、それも「これどう思いますか」といった類のラフ相談をもっと増やしていかないといけない。とともにラフ相談の相手も重要。ある程度方向性を決めたいときに、正論だけ言って意見は言わない人や「こう言う方向もあるよねなどのアイディアをたくさん出してくれる人」と話しても発散しまくるだけなので。。

「他己評価よりも自己評価が全て」というのは兵隊的に働く人が多い自社の状況に鑑みながら二人から出てきた共通意見なのだが、自分の経験談を話すと「それは兵隊と真逆で評価下がるやつだね〜俺と同じだよ。俺も所属部署ディスってたら評価下がったから」との反応があった。個人的にはその人みたいに優秀な人こそ赤裸々な物言いをしても評価は上がりこそすれ下がることなどないと思っていたので、少しだけビビってしまった。また、「他人の指摘を”うるせえ”と意に介さないでいられる力」の重要性についても話したが、自分はその人ほど自己コントロールできる人ではないので、その人よりは謙虚に他人の意見を聞きつつ、一定は「うるせえ」と思う(3:7位?)のがバランス的にちょうど良いと思った。一方で「評価が低ければ辞めればいい」とも思っている。

やる気にこびりついて取れない頑固な汚れたち

最近強く思うのが、「会議してるだけで仕事する気になるのはものすごく簡単」ということ。会議に出て(出て一言も発さないのとかは論外として)バリューを発揮するくらいなら、どんなにやる気がなくても自分ならできるし、他人の決めた枠組みの中でただ意見を言って作業するだけなんてこんなに楽な仕事はない。一方で最近の自分の仕事は入れてもらう会議は少なく(これは会社が意識的に余計な会議を減らしていることから来ている面も多分にある)、ゼロイチを作るためにじっくり考えることができる時間は多い。

ちなみにこれらの時間を阻害する要因はいくらでもある。営業活動をしたり、引き継ぎ書を書いたり、数字管理表に数字を書き込んだり。これらはすべて締め切りギリギリまで後回しにするか、すぎても支障がなさそうなものは過ぎてから督促してもらっているので(これを「それはないでしょ」と捉えるのも「取捨選択できていて良いね」と捉えるのも、どちらも多様性である)、基本的にこれらに追われることはそんなにない。となるとこの自由時間は本当に自由に、資料を作ったり、気になるトピックを調べたり、人と議論したり、本当に自由に使える。まるでやりたいことを寝ても覚めてもやり続ける起業家の様に。しかしどうしたことかそれなりにしかやらない。時々サボってしまったりもするし、3時間あれば「まだ3時間あるし」などと思ってしまうこともある。結果として大きな仕事がうまく片付かない。やる気はあるのになぜだろう。

これを自分は「やる気にこびりつく頑固な汚れ」と呼びたい。言うなれば「こんなものだろうバイアス」といったことであり、たくさん時間があっても結局「これくらいできていれば怒られずに済むだろう、だったらその分は楽なことをしよう」みたいな発想に、放っておくとどうしてもなってしまう。そしていざというときには「とはいえルーチン作業も大変だからな」などという言い訳をしてしまう(ちなみに、ルーチン作業を後回しにしているとはいえ、”後回しにしている””やらなきゃ”という罪悪感や心の重さは当然あるわけで、それがやる気の汚れとして作用している面は少なからずある)。この汚れは本当に厄介で、特に自分の様ないつも85点ばかりとってきた様な人間には根っこから張り付いてしまっている。

これをどうやって退治してピカピカのやる気を取り戻せばいいだろうか?はっきり言って良い解決策が見当たらない。強いていうなら以下か。

・他人から刺激を受けるパターン:自分よりすごい同役割の人を近くに置いて「こんなもんだろう」のレベルを引き上げる。

・「こんなもん」では済まされない状況を作るパターン:強制的に偉い人への対案の場を入れたり、「いつまでにこれをここまでやります」と宣言する。

・「サボっている自分」を客観視できるようにするパターン:一番早いのが、チームで仕事をすること。自分単独によりがちであれば強制的にチームを作る。あとは出社して他人の仕事ぶりを見ながら自分を客観視し、「サボっている自分」を実感できる様にする

自分が特に危惧しているのが、「好きだったことを義務にした瞬間、好きじゃなくなってむしろ離れたくなる」というバイアスがものすごく強いこと。野球もヨットもそうだった。プロスポーツ保険だって競走馬保険、やっている時は全然楽しくなく、目を背けたかった。きっと今後のC2CやNFTもそうなんだろうと思う。これはもう答えが出ないので今度コーチングで聞いてみよう。

そういえば似て非なる考え方ではあるが、ソニックガーデンの倉貫氏の「締切のある気乗りのしない仕事があると、それよりは幾分は気が楽な他の仕事が捗ってしまう現象。現実逃避メソッド」というのにすごく共感した。自分の場合は「重くやり方がわからない仕事」に気乗りをしないという絶望的な性格なので、その場合はちょこちょこした返信や作業が捗ってしまうこともある。

この会社の人たち(自分含め)文章長すぎだろ

と正直思いまくっている今日この頃。なんとなく「さらっとした文章だと誠意が伝わらない」「とにかく枕詞をつけて失礼のないようにand/orちゃんと考えていることをわかってもらえるように」と言ったバイアスがかかっているのと、何よりも「そういうスタンスで生き続けてしまったので、短い文章にまとめられない」と言うのが大きいのだと思う。個人的には文章が長いのには「①ロジカルに説明しようとしても構成が下手だったり気遣いが多すぎて文章が長くなっている」「②トピックが難解or抽象的なので、端的に説明するよりも例や情緒的な文章を交えた方が相手に伝わりやすいと判断して文章の長さを気にせず書いている」の2種類があると思っていて、②は全然ありだと思っている(自分も②のために長文を使うことが多い)。一方で①は頭が悪く見えるし、何よりも何が言いたいのかよくわからず腹が立ってくる&閉じたくなってくるのがまずい。自分も話が長いことを自負しているが、文章に書くときにはちゃんと読み返して、「余計な重複はないか」とか「リズム良く読めそうか」をかなり気にしながら修正を繰り返すようにしている。これは似たようなことが『1分で話せ』という本にも書いてあったと思う。

その他

・1週間アウトプットしていなかったので、思考力や感じたことを言語化する能力が落ちた気がする。「人生をエモく、感情豊かに生きる」みたいな目標があるので、その達成のためにももう一度巻き直してちゃんと言語化していきたい。あとそのために、もう少し短文でも許せるようにしたい。1週間に1度溜まった感情を書くのではなく、できればもっと日記っぽく、その日の感情をタイムリーに放出できるようにしたい。

・この数ヶ月意識してきた「自分とはなにか」「人間とはなにか」に対してドンピシャな本を見つけ、しかもそれはKindle Unlimitedの対象だったので即ダウンロードした。感想は後日共有したい。

・最近読書をできていない。なんとなく、本に触れることよりも脳を休めること(Youtube、ゲーム)を優先してしまっているフシがある。「1時間は読書の時間」みたいな時間の当て方をするなど工夫しないと、ずるずる行ってしまいそう。

・JNEWSをサブスクしているのに最近全然読めていない。

・証アナの勉強をそろそろ始める。

今日はここまで!


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