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読書ログ 『限りある時間の使い方』

どんな本?

 話題のビジネス書。今の自分が持つ悩みへの解決策をことごとく提示してくれており、自分にとっては「今年イチでした」程度のレベルを通り越し、「この本に人生変えてもらえた」レベルの神本だったと言っても過言ではない。意識高くて頑張っちゃう人ほど読んでほしい。『DIE WITH ZERO』に近い気がしたが、DIE WITH ZEROが「将来では今を生きろ」と啓蒙しているのに対し、本書はさらに人間が今を生きられない真因とその対策にまで切り込んでいる分ためになった。書いてあったことはもう忘れてしまったが、『エッセンシャル思考』にも考え方は似ている。

おすすめ度

★★★★★(自己啓発本としてありがちなテーマではあるが、説得力のある説明や印象に残るフレーズが多く、すぐに実践出来る内容になっている)

こんな人におすすめ

  • 意識やプライドが高い人

  • 「自分は何のためのこんなに頑張ってるんだろう」とふと思ったことがある人

  • 自分はまだまだあれもこれも足りないと思っている人

  • 忙しすぎると感じながらも「この会社ではみんなそうだし仕方がない」と思っている会社員

学びのメモ

人生の時間は有限で短い

  • 人生は4,000週間しかない。限られた時間との戦いである

  • さらに、歳を取るほど時間は早くすぎる(処理能力が落ちるから)

  • 大昔より生活は加速したが、イライラは増えている。例えば電子レンジで数十分、ウェブサイトで数十秒すら待てない

  • 自分は人生で何をやり遂げようとしている?どんなに仕事を頑張っても、どんなに成功しても、「それは人生において何のため?」と思いたくなる。本当はもっと充実した時間の過ごし方があるのでは?というのが本著の問い

  • 多くの人は生産性を改善することで自由な時間を得ようとするが、どれだけ時間を有効に使ってもそこにまたタスクが入って忙しくなる。「生産性は罠」である

なぜいつも時間に追われる?

  • 昔は平均寿命が短く死亡率も高かったのに、今ほど「時間が足りない」とは感じていなかった。そもそも時間という概念すら曖昧であった

  • 時間という概念ができると、「時間を無駄にしたこと」に対してすごく悪いことをした気分になるようになった。対して人々は、やることを減らすのではなく、効率化や長時間労働、マルチタスクにより解決しようとした

  • そうやって時間の有効活用を考えると、「物事が思い通りに進まない時」にますます強い不安を感じるようになっていった。時間の使い方が人間の価値かのようになっていった

  • こういう時間の捉え方が人生を辛く難しいものにしている。永遠に「何かが足りない」「今日も〇〇ができなかった」などという負の感情を持ち続けることになる

  • 時間という概念により人は、「今」という時間を、未来のゴールに辿り付くための手段に変えてしまった。「今はまだ楽しむ時じゃない。いつかタスクが片付いたら、その時リラックスして楽しもう」という具合に(でもその「いつか」は永遠にこない)

  • 無限のタスクに対して、ライフハックを武器に効率化したところでタスクがゼロになることはなく、ますますストレスを感じ惨めになっていく。「自分は充分」という感覚が得られない

  • タスクを無限に入れるのは自分の限界を認めたくないからで、突き詰めると「いつかは死ぬ」という恐怖から逃れるためだといえる。本当は「いつかは死ぬのということを認め、4,000時間で本当に必要なことを厳選し、そのために人生を使おう」と思わなければならないが、死ぬのを認めることもそのための優先順位をつけることも極めて受け入れ難く難しいので、「なんでもできる前提」に立ってしまう

タスクを有限にする

  • 裏を返せば、タスクを有限にすれば、つまりゴールを設ければストレスは劇的に減っていくといえる。タスクを有限にする(=制約を味方につける)には以下の方法が有効

    • 自分には限界があることを認める。何もかもはできないことを認める

    • 「ほとんどのチャンスは逃す」ことを当たり前だと理解する(全部のチャンスを掴むことは無理)

    • 「効率化すれば忙しさから逃れられる」という希望をあえて捨てる

  • なぜやることを絞れないのか?

    • 本来、「やりたいこと」「やるべきこと」「他人にやれと言われたこと」が全部やる時間がないなら、どれかを諦めるしかない

    • しかし、何かを捨てたり、失敗したり、頼んだ人をがっかりさせることは非常に不愉快で辛い

    • その現実から目を逸らすため、「頑張れば全部できるはずだ」と結論づけたり「時短術を駆使しよう」と意識したりしてお茶をにごす(そして無駄に終わる)

    • 一度そういう思考になると、仮にタスク消化できたとしても周りの期待値が上がり「君はすごいね」となって、よりチャレンジングな仕事が降ってくる。そしていつか回らなくなり、物凄い劣等感を感じることになる

    • それでもなおタスクが回ったとしても、脳は常に「もっと〇〇しなければ」という思考が支配的となり、常に何かに追われて人生が全然楽しくなくなる

    • 「やるべきことはいつだって多すぎるし、これから先もそれはきっと変わらない。その中で心の自由を得るための唯一の道は、「全部できる」という幻想を手放して、一握りの重要なことだけに集中することだ」

    • 「何かをするときに何かを犠牲にしないといけない」という思考が持てていないため、「全部やる」という思考に陥ってしまう

「暇になったらやりたいことをやる」の罠

  • この思考の人はなぜかどうでもいい仕事だけ片付いて、重要な仕事は永遠に先送りになってしまう

  • 「重要な仕事には全神経を集中させる必要がある」という思い込みがあると、些細なタスクから手をつけるようになり、そうすると大事な仕事に取り掛かるタイミングが永遠に訪れないで何年も経ってしまう

  • そう考える人は心のどこかで「全てを効率的にこなせばきっと片付く」という思い込みがある。しかし実際はそうはいかない。何かを「やらない」と決め、それ以外のことが進まない不快感に耐えることで、ようやく本当に重要なことに集中できるようになる

  • タスクを減らすための3つの原則

    • 自分に必要な時間を最初にとっておき、残りの時間でしか残りのタスクをしない

    • 進行中の仕事を「3つまで」に制限し、他は全て捨てる

    • 優先度「中」を捨てる。やりたいことトップ25のうちトップ5だけ手を付ける

完璧主義を脱するには

  • 自分たちの作るものは決して完璧ではない

  • 気が滅入る事実ではあるが、「目指すレベルに届かないのではないか」という心配をする必要はないと考えれば良い

  • 頭の中の完璧などどうせ達成できないのだから、まず始めていればいい

  • そう思えば、できないことにイライラしたり、「もう少し勉強してから・・」などと物事を先延ばしにすることもなくなる

  • 「完璧にできる」という現実逃避をやめ、喪失を受け入れることで出口のない優柔不断から抜け出せる。何かを失うことは当然のこと

我々の注意力が落ちているのはなぜか?

  • スマホによって次から次へと「気が散る情報」が入ってくるようになった

  • 特に広告ビジネスが流行し、「アテンションエコノミー」が当たり前化すると、注意力を削がれないこと自体が困難になった。いわば「手軽な気晴らしに流されて自分自身を浪費し、人生を台無しにしている」状態である

  • さらに、もはや「何が重要か」の定義さえ曖昧となり、「自分の欲しいものを欲しがる能力」すらも失われつつある。世界が歪んでいることにも気づけない

  • 我々はテック企業に時間と注意を吸い取られていることを自覚しなければいけない

なぜ作業し始めて3分ともたずにスマホをいじってしまうのか?

  • 人は目の前の苦痛から逃れるために、気を紛らわせる何かを探してしまう

  • 作業中についSNSを見てしまうのはその一例(没頭しているときには見ようと思わない)。メアリー・オリバーはこれを「親密な邪魔者」と呼ぶ。「ねえ、ブラウザのタブをひとつ開けば、目の前の重要で困難な仕事から逃れて、別のラクなことができるんだよ」

  • ではなぜ、「やりたいこと」でさえもスマホの誘惑に負けるのか?

    • 有限性に直面するのを避けるために、気晴らしに屈してしまう

    • 完璧主義であるほど、「完璧にできる状態になるまで待とう」とか「完璧にできない状態を苦しく思い、スマホで気晴らしをする」といった行動に走りやすい

    • つまり、「自分の理想が高すぎる」限り、何らかの苦痛を感じてスマホで気晴らしをするのは必然になってしまう。完璧主義であることが問題だった・・・

    • 「要するに、僕たちの邪魔をするのは気晴らしの対象ではない。嫌な現実から逃れたいという、僕たち自身の欲求だ」

    • 苦痛があったとしても「嫌だ」と思うのではなく、そこで起こっていることにしっかりと注意を向けること

多くの人が「人生の今」を軽視している

  • 自分がどこに向かっているかを考えすぎると、「自分がどこにいるのか」を忘れてしまう

  • 花火の動画を撮ることに夢中で実物の花火を見れていない人が何と多いことか。のちに動画で振り返るために「現在の体験」を犠牲にしている・・・

  • 花火はともかく、人生ではそういう態度が多すぎる。「いつかこれを達成したら」とか「将来のために今のうちに」という人は今を生きていない。いつまでたっても満たされない

  • 資本主義の世界では、「時間は利益を生むための道具」という考えが普通になっており、いつまでも将来の利益のために今の自分を切り売りしてちっとも幸せじゃなかったりする。実際、メキシコはアメリカよりも貧しいが、幸福度の指標ではアメリカを上回ることが多い

  • 弁護士の「ビラブルアワー(請求可能な時間)」という発想もまずい。「金にならない活動に自分の時間を使う意味が分からなくなる」結果、今という大切な時間を金になるかならないかでしか判断できなくなる。

  • 「「自分自身を将来のための手段として使う」という自虐的な行動を、僕たちはあえて選んでいる。」

  • 上記を回避するためには?「今を生きよう」なんて思うのは逆効果。「自分は今ここにいる」という事実に気づくだけで十分。

  • 「人生から何かを得ようなどと思うな」ジェイ・ジェニファー・マシューズ

余暇でさえ休んだ気にならないのはなぜか?

  • 無限思考、完璧思考、時間支配思考だと、休みの日も将来に備えて投資していないと、何となく気分が落ち着かなくなる。余暇でさえより生産的な労働者になるためのツールに思えてくる

  • この傾向は裕福になるほど強まる。やりたいことの選択肢が多すぎるせいで、「やるべきことをやっていないような気分」になってしまう

  • 工業化によって、仕事こそが人の存在意義であり、余暇は仕事のための回復期間に成り下がってしまった。しまいには休みは「有意義に使う」とか「無駄にする」という類のものになってしまった。休めばいいだけなのに

  • 何の役にも立たないことに時間を使い、その体験を純粋に楽しむことで休めるようになる。それが一度きりの人生を存分に生きるということである

忍耐・我慢により見えるもの

  • できないことへの不安を解消するのは忍耐・我慢である

  • 「分からないという不快感に耐えれば、解決策が見えてくる」

  • 我々は難問に直面すると最速で何とかしたいと思うが、「すぐに解決できない」という苦痛によってイライラしたり、放棄したり、逃避したりする。その方が気持ちが楽だから

  • その「未解決の苦痛」に耐えて問題をじっくり見ると、落ち着いた心で問題を解くことができるため解決策が見えてくる

  • 忍耐を身につけるための3つのルール

    • 問題がある状態を楽しむ

    • 小さな行動を着実に繰り返す(問題がすぐ解決しなくても焦らない)

    • 人真似だとしても挫けずに実行し続ける

  • 自分の限界を自覚し、一歩踏み出すしかない。自分に限界があると理解できるから、人生の本番を生きられる。限られた時間を、本当に大事なことをして過ごせる。今この瞬間に集中できる

  • 時間が有限だからこそ「だらだらしてる場合じゃない」と思えるし、能力に限界があると思うからこそ「まずやってみるしかない」と思える

  • 「結果はどうあれ、目の前の一歩にしっかりと取り組むしかない」

自分の人生を生きるための5つの質問

  • 生活や仕事のなかで、ちょっとした不快に耐えるのが嫌で、楽な方に逃げている部分はないか?

    • 挑戦にともなうちょっとした不快が嫌で、先延ばしにしたり、無駄な気晴らしに時間を費やしたり、コミットメントを恐れたり、先延ばしにしたり、一度にたくさんの仕事を引き受けたり、急に片付けを始めたりする

    • こんな時に「どっちが幸せか」と自問するのは逆効果。「どっちのほうが自分という人間を大きくするか」で判断するのが正しい

    • 快適な衰退よりも不快な成長

  • 達成不可能なほど高い基準で自分の生産性やパフォーマンスを判断していないか?

    • 完璧主義をやめ、自分の限界を認め、できる範囲で最も重要なことを3つやる

  • ありのままの自分ではなく「あるべき自分」に縛られているのは、どんな部分だろうか?

    • 誰にも認めてもらわなくても、自分はここにいて良い

  • まだ自信がないからと尻込みしている分野は何か?

    • どんなにすごい人でも、よく分からない中で自信もない中でやっていることが結構ある。自分だけではなくてみんなそう

    • どうせいつまでたっても手探りで、革新のないままやるしかないのだから、尻込みしていても仕方がない

    • したがって、たとえ経験や自信がなくても、やるのを諦める理由はどこにもない

  • もしも行動の結果を気にしなくてよかったら、どんなふうに日々を過ごしたいか?

    • 生きているうちに結果を残せなくても、ただ貢献したい、という思いが、仕事の純粋な楽しみにつながっていく

有限性を受け入れるための10のツール

  • 「開放」と「固定」のリストを作る

    • やりたいことを山ほど「開放」の欄に書いて、「固定」は最大10個しか入れないようにする

  • 先延ばし状態に耐える

    • 一度に取り組むプロジェクトは1つにし、そのほかは全て先延ばしにする

  • 失敗すべきことを決める

    • これは失敗してもいい、と戦略的に決めることで取捨選択を正当化する

  • できなかったことではなく、できたことを意識する

  • 配慮の対象を絞り込む

  • 退屈で機能のないデバイスを使う

    • 気晴らしの誘惑に打ち勝つ

  • ありふれたものに新しさを見出す

    • 物事を2倍の解像度で見られるようになれば、2倍豊かに生きられる

  • 人間関係に好奇心を取り入れる

  • 親切の反射神経を身につける

  • 何もしない練習をする

総括というか雑記

  • 自分は間違いなく時間という概念に幸せの尺度を奪われていた。うまく時間を使えないと不安になるし、「何もしない時間」が無駄だと感じるし、自分に関係ない話には露骨に興味を失ってしまっていた。

  • しかし、それが豊かな人生とは到底思えず、今すぐ時間に対する考え方を変えなければと思わされた。昔「生き急いでいる」と言われたことがあったが(何なら必死に生きているみたいで誇らしかった)、その意味がようやく分かった気がする。

  • ちょうど自分はこの半年、デジマ、BizDev、メタバース、プロマネ、Web制作、戦略企画、ファイナンス、法規制整理など本当に様々なことに手を出してタスクに溺れかけていた。「自分はスーパーマンではない」という事実から目を背けていたとしか思えない(背けていないならそんなにタスクを入れない)し、それが不幸せな人生を生むことは、この本を読んでいれば誰の目にも明らかだったといえる。

  • 振り返ると、「忙しくなくなると不安」という感覚があったような気がする。しかし、本書の読了後は「日中全部MTGだったらやりたいこと一切できないし進まないじゃん」とか「予定スカスカならその分やるべき仕事にじっくり取り組めるじゃんラッキー」などと思えるようになった。

  • この本が言いたいのは、「脳のOSを書き換えよう」ということだと思う。自分のキャパは有限で、できないことの方が多いのが当たり前で、その中で前向きな気持ちを保って頑張ろう、とさえ思えれば目の前の人生がかなり幸せになる。逆にそうできないと、何をどう頑張っても幸福感は得られない。OS次第で人生の豊かさが決まるのはとても怖いこと。

  • 「自分は一体何のために生きているのか?」「何のためにそんなに仕事を頑張るの?」というのは自分のコーチングでもよく話すこと。本書にある通り、そういう人生の難問から目を背けるために、とりあえず目の前のインプットを頑張り仕事で成果を出し人から褒められることだけを生きがいにしてしまっていた。

  • 昨今のビジネス界隈では、リスキリングだとか副業だとか、やたらといろんなことに手を出して知見や経験を得ようとする風潮があるが、これはまさに自分のキャパが無限であることを前提にするような考えに近いようで危うさを覚える。副業をすることはむしろ良いことだと思うが、「本業も副業もうまくいくように頑張るぞ」というマインドになりやすいので注意したい。

  • 本書で面白かったのは、「やりたい(と思ってるけど実は優先度低い)こと」ができないことを肯定して「時間に追われない生き方」を推奨しながらも「だからといって衝動のままに生きるな」と時間の無駄を否定している点。つまり、「時間を有効に使えなかった」ことに一喜一憂しないというポジションを取りつつも、自分の人生に本当に必要なこと以外に時間を使ったことにはきちんと悲しまないといけないということ。自分の限界は認めつつも、豊かに生きるために怠惰や楽へ流れる姿勢は厳しく取り締まらなければいけない。

  • 今はテクノロジーのおかげで「自分が全てを完璧にやれそうに見える時代」なのだと思う(便利なアプリや機器で何でも簡単にできる気がするし、SNSによって何かを成し遂げてる人がいつも目に入ってくるから。)。当然それは錯覚なので、そんな錯覚(誘惑)と戦いながら「断固として取捨選択する力」がますます大事になってくる。人を羨ましく思う気持ちから逃れ、自分が本当にやりたいことだけに集中する!

  • これだけ噛み砕いても1つ疑問が残っていて、「特に意味はないけどとても楽しいこと」をどう捉えるかがまだ分かっていない。例えば自分であれば競馬ゲームとか。自分の馬を作って育てることはこの上なく楽しくて何時間でもできるけど、それをやって人生が豊かになるとも思えない。でも自分にとって楽しければそれは「豊か」な気もするし、突き詰めれば旅行だって食事だって運動だって等しい話だと思う。何が正解なんだろう。

  • 「要するに、僕たちの邪魔をするのは気晴らしの対象ではない。嫌な現実から逃れたいという、僕たち自身の欲求だ」という一文が非常に刺さった。「自己嫌悪」に陥っている限り気晴らしを求めてやるべきことに集中できない状態が続く。「好きこそものの上手なれ」とはよく言ったものだが、その「好き」を作るには「自分の期待値<自分の結果」になっている状態を作る必要があって、そのためにはめちゃめちゃ上達するか(結果が大きい)、めちゃめちゃ期待値を下げるか(自分は大したことないと思う)のどちらかしかない。つまり完璧じゃないのに完璧主義になると絶対に物事が嫌いになり、何事もうまくならない、ということになる。これはかなり画期的な発見といえる。

  • 「花火をスマホに撮ることに夢中で実物を見ない」とか「将来すごいビジネスマンになるために今勉強する」みたいな「今を生きない行動」を自分はよく取るなと感じた。そしてそれが本当に何のためなのかはよくわからないけど、何となく不安だからとか、人から認められたいからとかいう理由でやってしまっている。楽しい40-50を生きるのも大事だと思うけど、楽しい32歳を生きることも大切ではないだろうか。そう考えた時に自分がやるべきことをもっと真剣に考えたいと思った。(といいつつ自分が今やっている勉強は将来のためというよりも、いけてる32歳でありたい、若いうちから機会を取りに行きたい、というものなので十分今を生きているとも言える)

  • ビラブルアワーの発想のように、「金にならない」「自分のためにならない」と思うような時間を軽視するきらいが、自分にはあると感じる。時間を商品としてしか理解できなくなるので、非常に貧相な心の人間になってしまっていると感じる。時間対効果を気にしなければ、どんなに豊かな人生を遅れるだろうか(そういう意味では現代のタイパ重視の若者は常に時間への強迫観念を感じてストレスを溜めているのかもしれない)

  • 「やりたいことが多い人ほど、やるべきことをやっていないような気分になる」というのはまさに自分。比較的裕福だったり好奇心が旺盛だと辛い。休みの日すら夜には「今日もやりたいことをやりきれなかった・・・」などと毎回打ちひしがれることになる。この感想を書いている間も「英語の勉強したかったのにできなかった・・・」と若干凹んでいる。やりたいことすらもしっかり捨てること。

Next Action

  • 「暇が怖い」という発想をやめ、「何もしない時間」を愛する

  • やるべき仕事は絶対に「3つ以内」に絞り、それ以外はやらない(捨てる)

  • 自分が思う理想像なんて達成できるわけないと理解する。完璧主義のOSを入れ替える(完璧主義からの脱却)

  • スマホをいじっているときに、「苦痛から気晴らししてない?」と問いかけてみる(スマホでなく、やりたいことで気晴らしをする)

  • 好きこそ物の上手なれを意識する。「うまくいかない」→「嫌悪」→「逃避」→「うまくいかない」のループに陥っていないか点検する(自分のハードルを下げる)

  • 問題をすぐ解こうとせず向き合う。未解決の状態を苦痛を思わず味わう(忍耐・粘り強さを身につける)

  • 快適な衰退よりも不快な成長(安易な快適さに逃げない、不快を愛する)

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