夢はひっそりと終わる

ここ最近、特に大々的には発表はしてないのだけど、一つの夢を諦めました。
「漫才師」になる夢です。
「芸人」を諦めたわけではないのですが、「漫才師」になることは諦めました。
芸人は一人でもできるけど、漫才師は一人ではできないからです。
僕はもう、今後、誰ともコンビを組むことはないです。ずっと一人で芸人やっていきます。
そもそも、誰かと組んでネタをやることに向いていなかったのかもしれません。
本当は、吉尾が亡くなってルサンチマンが終わった時点で、気づくべきだったのかもしれません。
ルサンチマンが成立していたのは、僕の性格を吉尾が理解した上で、めちゃくちゃフォローしてくれてたからです。

そもそも漫才に向いてないって気づくまでに6年かかってしまいました。
三組ほどコンビを変えてしまいました。
そして、それによって疎遠になってしまった人間関係もありました。誰かに迷惑をかけたこともありました。
そういうのも嫌なんで、もう誰ともコンビは組まないです。
ただ、一つだけ分かってほしいのは、僕はルサンチマン以降、誰かに「自分からコンビ組んでくれ」と持ちかけたことは一度もないです。頼まれたから組んで、組んだ以上は、その時組んでるコンビを全力でプロモートするから、そのコンビが終わった時、「あいついつも同じパターンで終わってるな」って思われがちですが、それだけは言っておきたいし、分かってもらいたい。
まあ、この話は本題ではないし長くなるのでこの辺でやめておきます。

とにかく僕は、「漫才師」になることを諦めたのです。
思えば、僕は漫才師に憧れていました。中高時代は、ダウンタウン直撃世代で、文化祭で漫才をやったこともありました。
大学の卒業式の日。23才の僕と吉尾は「漫才で天下取るぞ!」とその日に漫才師になることに決めました。
一番の目的は、昔好きだった子にテレビに出て漫才やってるとこ見せたかったから。
そこから、神楽坂のボロ劇場や、ルミネザよしもとや、有明コロシアムや、代々木公園の路上、色んなとこで漫才できました。地割れが起きるほどウケたこともあれば、無音状態のゼロ笑いもあった。
極限までテンションを上げて臨んだM-1。落ちたらこの世の終わりかと思うほど、自分の中の全てだったTHEMANZAI。
全てが思い出です。もう僕は、誰とコンビを組んでもあの時程のモチベーションを保てない。今年はM-1もエントリーしなかったですし。

あ、ここまで書いて「辞めるご報告」みたいな雰囲気になっていますが、それは違います。
先にも書いたように、「漫才師」は諦めますが、「芸人」は諦めてません!
むしろ、「日本唯一の速読芸人」として、モチベーションは最大限まで上がってます。誰も登らない山を登ってる感じが、堪らなく楽しいのです。僕は自分の考えで好きなように動く方が向いているのかもしれないです。とにかく速読で日本にムーブメントを起こしたい!
今は、速読本の執筆の締め切りが怖いのですが。

また、ピンネタももっと頑張っていきたい。むしろ「コンビをやりたい」って迷いがなくなる分、集中できるのかもしれません。

とにもかくにも、私の「漫才師終了宣言」でした。
漫才よありがとう!

ルサンチマン浅川と申します。