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徳が高い人間になりたい

1度目の目覚めは最悪だった。

悪夢を見て3時頃に目が覚めた。内容はとてもリアルなものだった。夢の続きを見ることがたまにあるので、怖くなって寝付けなかった。

しかし人間時間が経てば眠くなるもので、いつの間にか自然と眠りについていた。

幸いにも悪夢の続きを見ることはなかったので、再び目が覚めた時ホッとした。

8時くらいに目が覚め、しばらくベッドに横たわりケータイをいじる。よくないなーと思ってはいるが、1度触り出すと止まらない。よくないと思っていることの方が人間はしてしまうらしい。

今日は祖父の四十九日法要なので、喪服に着替え近所のお寺へ行く。ちょっと非日常感があって気分が高揚してしまう。

近所のお寺のお坊さん、みんな「おっさん」と呼んでいる、はとても徳が高い人間のように感じる。頭を丸めた、ふくよかな体つきをしている、いかにも人当たりのいい人という感じの人だ。この人の表情が徳の高さを感じさせているのだと思う。裏を感じさせない、おっさんのありのままを感じさせるにこやかな表情。まるでお釈迦様のような表情をしている。

また話す内容も素晴らしい。個人を偲ぶ大切さはもちろんだが、生きることはこんなに素晴らしいのだということを教えてくれる。説法を聞いていると心が晴れやかになる。

無事法要も納骨も終わり、ようやく長い忌中が終わった。この1ヶ月ちょっとの間、初めてのことばかりで新鮮だったと思うと同時に、死とは尊いものだなということを感じた。僕が死んだ時は家族が自分の思い出話に花を咲かせてくれているのだろうか。花を咲かせてもらえるような生き方をしたい。

じいちゃんの葬儀以降、親戚と関わる機会が増えた。それまでは正月とお盆だけ集まっていたが、ここ1ヶ月間は供養の法要などで顔を合わせることが多くなった。

関わる機会が増えたので、叔父さんたちと話す機会が必然的に増えた。その話を聞くのがとても楽しい。みんなおしゃべりなので色々なことを話してくれる。地元がどうだとか、仕事がどうだとか取るに足らない話だがそれが面白いのだ。

生きてきた年数が違うので、僕より多くの経験値を持っている。話を聞くというのはその経験値を分けてもらっていることにほかならない。これほど楽に経験値を手に入れられることは他にない。話せる時はたくさん話すべきだ。

今僕に出来ることは本を読んだりして、自分のこれからを積み上げていく土台を作ることだ。そのためにはたくさんの知識に触れ、興味関心があるものを探し出していくこと。それが今後の自分を作っていく。

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