アニメ『鬼滅の刃』にハマったら第19話『ヒノカミ』のすごさを語りたくなった話

何度も何度も見返している。何度観ても泣いてしまう。アニメ『鬼滅の刃』第19話『ヒノカミ』である。

この回は、炭治郎と禰豆子の絆についての物語だ。ゆえに、伊之助と善逸はいったん退場となる。冒頭で伊之助はしばりあげられ、善逸は毒をくらってもう戦えない。ちなみに私は、善逸が横たわっている山小屋の引きの様子を見るたび、『キャビン』(2011年)の本国版ポスターを思い出してしまう。山小屋が宙に浮いていたら『キャビン』を連想しても仕方ないと思う。
善逸はしのぶさんに助けられる。そのときしのぶさんは、走馬灯について話す。ここではただの雑談なのだが、これがあとから効いてくる。

一方、炭治郎は鬼の累と対峙していた。折れてしまった刀を手に、それでも戦おうとする炭治郎の様子が胸を打つ。炭治郎は諦めないのだ。糸を操る累は大変強く、とてもじゃないが避けられない技を繰り出してくる。そこで禰豆子が炭治郎をかばい、累の攻撃をその身にうける。その様子を目の当たりにした累は、「本物の絆だ、欲しい」と声を上げるのだった。
累の、家族にまつわる物語は別の回で語られるものなので、今回は触れないでおく。ともかく、累は禰豆子を欲しがるのだ。恐怖と痛みで支配するために。冷静な累と、熱血な炭治郎は、そのキャラクター性を比べてみてもまったくの正反対だ。家族に対する思いも正反対だ。

禰豆子は累の糸で空中に固定され、縛り付けられる。動けなくなった禰豆子と、満身創痍の炭治郎。とてもじゃないが累に勝てるようには見えない。それでも果敢に累へ向かっていく炭治郎。しかし、累の圧倒的な攻撃に、思わず「負ける!」と声を上げる。炭治郎の目のアップ。

そしてカットが変わると、ステンドグラスのように「走馬灯」が姿を表す。しのぶさんが言っていた(善逸が見た)走馬灯と、炭治郎が見た走馬灯のイメージはだいぶ異なるように思うのだがどうだろう。私はここがすごいと思っている。受け手が想像していなかったものを出してくるのだ。そして走馬灯(過去の記憶)は形を変える。

幼い日、病弱な父とともにあった炭治郎。父は「息を整えてヒノカミ様になりきるんだ」と言う。この瞬間、しのぶさんが言っていた「走馬灯」の意味がわかる。ヒノカミの舞を踊る父に尊敬の眼差しを向ける炭治郎。ヒノカミの舞のシーンはCGだと思っていたが、調べてみたらロトスコープだった。だからあんなにぐりぐり動くのか。すごい。

父は炭治郎にアドバイスをする。呼吸だ、と。この走馬灯が終わるとき、この瞬間、私はいつも泣いてしまう。父との約束を思い出し、水の呼吸からヒノカミ神楽の呼吸へ変えるのだ。そしてここで挿入歌が入る。この曲がまたよくて、抑えたかんじではあるが非常にエモーショナルである。「竈門炭治郎のうた」という実にシンプルなタイトルもよいではないか。歌詞もまた、炭治郎のことを端的にかつリリカルに表現している。

禰豆子は血鬼術を使い、炭治郎を手助けする。累の首が宙を舞う。
ここでエンドクレジット。

あー! なんてうまくできているんだ! こんなクオリティの高いものを観せてくれてありがとう! 家族の絆の物語であり、炭治郎の成長の物語でもあるのだ。いや、炭治郎は毎話毎話で成長をみせているか。とはいえヒノカミ神楽の呼吸が登場するという点ではもっとも炭治郎が成長した回と言えるのではないだろうか。

人は、成長物語が好きだ。人間をえがくとき、成長を抜きにして語れないのではないかと思う。それをこんな形で見せてくれたことに感動する。炭治郎は本当にいい子で、まっすぐで、見ていて安心する。まじめだし。こんないい子が、すくすく育っていくんですよ。見ていて気持ちがいい。CGと作画もすばらしくて、もうほんとぐりぐり動くね。『鬼滅の刃』は作画が非常に安定している。

前回も書いたけど、私はアニメが好きです。ハマってきた数が少ないだけで。今まで一番ハマった日本のアニメは『魔法少女まどかマギカ』だけど、『鬼滅の刃』はそれを超えちゃったなってかんじする。あくまで私の中でね。これ書いて思い出して『魔法少女まどかマギカ』10話がいかに好きかという話を書こうかと思ったんだけど、たぶんやらない。

ところで、『鬼滅の刃』を観ていると、『羅小黒戦記』を見返したくなる。『羅小黒戦記』の話は、またいつか。冨岡さんとムゲンって似てない?

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