ヒプノシスマイクにハマったら、忘れていたことを思い出した話

前回の記事、自己紹介の部分に、こういうことを書いていた。

好きな音楽のジャンルはオルタナティヴ・ロックで、90年代の呪縛から逃れられずスマッシング・パンプキンズを永遠に愛している。が、ふだん音楽を聴く習慣はない。

なぜ、私に音楽を聴く習慣がなかったのか。上の記事に書いた、元大手レコード会社の人(Aさんとする)と話していて思い出した。

小学生の頃、聴力検査で引っかかってしまっていたのだ。生活に支障はないが一定の音階が聞こえていないらしい、と言われた記憶がある。でも、Aさんは言った。

「耳は鍛えれば全部を別々に聞き取れますよ」

自分が見ている風景と、他人が見ている風景が同じであるかどうか疑問に思ったことは、誰にでもあるだろう。音も同じで、自分が聞いている音楽と、他人が聞いている音楽は違うだろうと思っていた。私に音楽を聴く習慣がなかったのは、「私には、全部をちゃんと理解できていないかもしれない」という不安感があったからなんだろう、と、思った。思い出した。

「自分には理解できていないかもしれないから」で諦めるのはもったいないことだ。例えば、2009年公開『ウォッチメン』。身近な原作ファンが、映画化されたものをめちゃくちゃ叩いていたときに「私は面白かったと思うけれど、原作をまだ読んでいないから、これが『本当に』面白いのかどうか判断できないんだ」と思ってしまった。また、さかのぼって2003年公開『キル・ビル』。こちらは顕著で、「面白かったけど、元ネタが全部わからないと『本当に』は、わからないんだろう」と思ってしまった。

そんなことはない。面白いものは面白いと言うべきだし、良いと思ったものは、誰がなんと言おうと褒めるべきだ。「するべき」という強い言い方はあまり好まないが、これについては言いたい。良いことは言ったほうがいい。

結局は、自分がどう思ったか、である。たとえ、一部が欠けた状態で見た/聞いた、としても、体験したのは、自分自身だからだ。

また、Aさんが言うように、鍛えれば済む話かもしれないと思う。『ウォッチメン』はその後、原作を読みめちゃくちゃハマった(ちなみにアラン・ムーアだったら『TOP10』が好きだ)。クエンティン・タランティーノの映画は、もう、「クエンティン・タランティーノっていうジャンル」っていうことでいいんだと思うようになった(ちなみにクエンティン・タランティーノ監督作は『ジャンゴ』が一番好きだ)。後追いで何が悪いのか、何も悪くない。体験のあとに知識をつけるのでも、いいじゃないか。

というわけでヒプノシスマイクである。私はまだまだハマってから日が浅いし、『全部』を知っているわけではない。ラジオとドラマパートと曲、あと舞台しか見聞きしていない。音ゲーがたいそう苦手なためアプリは諦めてしまったし、コミカライズにはまだ手を出していない。

いいじゃないか。これからだ。楽しいことは、まだまだあるんだ。

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