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生命讃歌(書くことは時に祈りに似ている。)

書くことは時に祈りに似ている。日々がうまくいかずに自己否定に陥り、他人の人生の光り輝く一瞬が眩しくて目を伏せる誰かの心へ祈る。

2016年の冬、僕は布団に包まって「プロフェッショナル仕事の流儀」を見ていた

日本料理人が1mm単位の世界で技巧を凝らし、美しい料理を仕上げていく。それでも何か足りないと、工夫に工夫を重ねて最上を塗り替え、鬼気迫る表情で創作に励む。張りつめた緊張感が画面越しに伝わってきて、布団の中の僕も息を飲んだ。お客が喜ぶ顔で緊張の糸が解け、気づいたら僕も涙を流していた。

もちろん感動したのもあったけど、それ以上にテレビに映るプロフェッショナルを前に、あまりに自分が不甲斐なさすぎて泣けてきた

2014年の年末に会社をやめた僕は形だけの独立と相なり、1年ばかりをかけてあの手この手で奔走して、思い通りに行かないことばかりで疲れきっていた。

その時はすでにお昼に近く、普段だったら仕事を始めている時間だったけど、どうしても布団から出たくなくて何の気なしに録画してあった番組を見たのだ。

自分の存在がなくても何事もなくグルグル回る社会。布団に包まってテレビを観ている何もできない自分。それにひきかえ、プロフェッショナルの仕事は眩しすぎて神聖ささえ感じた。(え?俺、ここで何してるんだろう。ってか俺いてもいなくても同じかも。社会に必要とされてないかも。)と思ったら、自然と涙が頬を伝わっていた。

時は経ち、僕は2020年の春を迎えて独立6年目の年を過ごす。ありがたいことに、たくさんの友人に出会い、信頼し合えるクライアントに出会い、運とご縁でまだ生き延びている。

でもこの春、世界は短い時間で一気に変わってしまった。今までとは全く異なる未曾有の状況に、多くの人が息苦しさを感じて生きている。もしかしたら部屋の片隅で布団に包まっていたいつかの僕が、まだ布団から出られないでいるかもしれない。うまくいかないことだらけで、無力感にさいなまれ、社会に必要とされてないかも、と本気で思っているかもしれない。

恥ずかしくて苦い思い出は、本当は胸のうちに閉まっておきたい。でもわざわざ引っ張り出したのは、伝えたいことがあるからだ。僕はそんないつかの僕に伝えたいことがある。(書くことは、時に祈りに似ている。)

「存在している」その一点において、すでに喜ばしいことだ。

なんとか布団から出られたものの、独立してからの5年を振り返ると結果が出ない、苦しい時間が本当に長くて、自分で選んだ道とはいえ諦めにも似た思いを持つことは何回もあった。

苦しい時が連続すると、最初にくるのは内臓だ。ずっしり鉛みたいな感覚が広がる。そして普段の呼吸が思い通りにいかなくなる。当然、自信はなくなるし、小さな成功にも喜べなくなる。他人の成功が眩しくて目を伏せたくなる。そのうち、なんでもない簡単なことでも取り掛かるのが難しくなる。

問題集があれば、順番に問題を解いていけばいい。マラソンは走り続ければゴールがある。でも、問題もゴールも自ら作るのはしんどい。苦しさの理由のひとつはそれだった。(僕の場合1人で独立したから、ってのもあると思う。問題とゴールを設定する力は鍛錬ですこしずつついてきたけど、そもそ無理に作らなくていい、みたいなことも考える。またどこか別の場所で話せたらと思う。)

あと、もうひとつ。僕は事業がうまくいかない時、知らぬ間に自己否定も一緒にしていた。事業がうまくいかないのは自分のせいで、自分がダメだから良い結果が出ないのだと。でも実際は、そんなことはない。

僕は無知で、頑固で、わからずやかもしれないし、他の人がやれば僕以上にうまくいくかもしれない。でも、事業がうまくいかないことと、自分が至らないことは必ずしもイコールじゃない。自分で自分を否定するのはとても苦しいし、自分を否定してまで何かを無理にがんばる必要はない。

本来、僕らは生きているだけで大きな価値がある。

「存在している」その一点において、すでに喜ばしいことだ。

生きるのが苦しくなるほど自己否定しても意味がない。でも目の前のことがうまくいかなくなると、そんなに大切なことも忘れてしまうことがある。

生きるとは抗うことだ。

著書「動的平衡」で福岡伸一さんは、細胞が破壊と再生を繰り返して動的に平衡を保っている状態を「生きている」と表現した。

生命は「エントロピー増大の法則」によって、自然の摂理に従いすぐに朽ちてしまう。その理(ことわり)に抵抗するために、先んじて自ら細胞を破壊し再生することで、やがてくる終わりを先延ばしにしているのだ

僕なりに解釈すると、つまり、生きるとは抗うことだ。

何かをがんばっていても、がんばっていなくても僕ら=生命は常に抗っている。もがいてもがいて、生を謳歌しようとしている。本人が望んでも望まなくても、いつか必ずくる終わりの日までずっと、生きているだけで抗い続けている。

どうにもこうにもならなくて、天を仰ぎたくなるような時も。自己否定で泣きたくなるほど苦しい時も。がんばりたくなくてサボって寝てる時も。

僕らは生きてるだけで、すでに抗っている。すでに戦っているのだ。

だからまずは存在するだけでいい。存在するだけで十分だ。がんばってもうまくいかなくても、布団から出てこれなくても、まずは自身の存在を超肯定しようよ。

もし気持ちが落ち着いてきて、呼吸が苦しくなくなったら、そろそろ布団から出てもいいかもしれない。あなたを必要とする誰かは必ずいる。(視野が狭くなった時ほど、近くにいる人が見えなくなることがある。)まだまだ苦しい時が続くかもしれないけど、こんな時でも生きていることは確かだ。

世界は一気に変わってしまったけど、今年も桜は咲いている。桜が舞って綺麗な季節、晴れた空に春の匂いが漂っている。うまくいってもいかなくても、生きてるって素晴らしい。

生きてるって素晴らしいんだ。

ここまで読んでくれてありがとう。この文章の原型は2019年、暗い森を抜け出すかのように、すこしずつ事がうまく運びはじめた初夏に書いた。でも書きながら誰かに届いて欲しいとか、もっとうまく書きたいと思ったら書ききることができなくて、お蔵入りになってしまった。2020年春、僕は祈りにも似た思いでこの文章を書いている。誰かの心に届くかどうかはわからないけど、僕は祈っている。

最後に。僕はドミニク・チェンさんの言葉と行動に背中を押されるようにして、この文章を完成することができた。感謝(takk.)。


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