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「西洋的な自由」と「東洋的な自由」に関する500文字のメモ

「自由」の意味を知る上で、鈴木 大拙 先生に学ぶことは多い。今日はその一端を500文字のメモに残しておきます。

いわく、自由には「西洋的な自由」と「東洋的な自由」がある。

西洋的な自由とは、フリーダム。つまり、束縛からの解放を指す。

フリーダムが特徴的なのは、はじめに束縛があること。

束縛は、「固執 / 執着 / 固定 / 強要 / 否定」などの言葉に言い換えられるかもしれない。

日本で広く知られている「自由」の概念は、西洋的な自由に近い気がする。

悲劇のヒロインが「たすけて。ここから出して!私は自由になりたいの!」と叫ぶワンシーンの自由は、西洋的な自由を渇望している。(たぶん)

では「東洋的な自由」とは何だろう?

これを鈴木 大拙 氏は「松は松であり、竹は竹であること。」と表現する。

これを僕は簡単な言葉で、「あるがままであること。」としたい。

東洋的な自由とは、はじめからそうであるように、「そのもの」であること。「松は松で竹は竹」だけど、それを区別しているのは人間の勝手。

松は竹じゃないことを意識していないし、竹は自分が松じゃないことを僻んだりしない。東洋的な自由の概念は、はじめから自由だ。

追記:僕が東洋的な自由という概念を初めて知ったのは、「東洋的な見方」を読んで。むずかしい話だけど、時折ふっと視界が開けるように世界の違った見方を教えてくれる本。


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